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夫の家事に妻が納得しない理由──コデラ総研 家庭部(58)
テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第58回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「夫の家事に妻が納得しない理由」。
文:小寺 信良
以前も同様のテーマのことを書いたことがあるが、最近また同じような話がネットでちらほら聞かれるようになったので、もう一度「夫の家事に妻が納得しない問題」を考えてみる。
前回は資料をベースに夫婦で家事を分担しなければならない理由と、社会から振り下ろされる妻と母というイメージの重さについて分析した。今回はPTAのお母様方と飲み会の席でいろいろ話をする中で、気づいたことを中心に書いてみたい。
そもそも妻が家事のクオリティについて責任のある立場となる背景には、妻を育てた母親の影響が大きい。我々が子供だったころ、すなわち昭和後期の時代は、今と比べると専業主婦の割合が4倍ぐらいあった。家事全般を仕切るのが妻の仕事であったわけで、さらに家電のクオリティも今のようなレベルではなく、作業に対する合理化は主に「知恵と工夫」で賄われてきた。デイリーなタスク以外のイレギュラーな事態も知恵でカバーするため、家事に関する知恵の引き出しがとてつもなく多かったことだろう。
僕自身も家事のやり方で悩んだときには、母親はこんなときどうしてたかなと思い浮かべることも多い。各家庭における家事の方法論とは、自分の母親のやり方を模倣することで伝承されるものなのである。
その母親の家事クオリティを100%とするならば、今の自分自身の家事クオリティを、女性自身は低いと見積もっている。おそらく60%〜70%ぐらいだと見ているのではないだろうか。仕事を持ち、そちらの忙しさが増すにつれてその自信はさらに下がり、40%〜50%ぐらいまで低下する。
そのクオリティの低下を、夫の手伝いで賄おうとする。しかし手伝いとは、誰かのやり方をトレースさせるものだ。「これはこのように、このやり方でやってほしい」とリクエストするわけだが、所詮はオリジナルを模倣するだけなので、元々完成度が低いものなのである。例えば現状40%のクオリティしかないものに対し、手伝いを導入して30%の仕事量を積み上げたとしても、トータルのクオリティは55%ぐらいにしかなっていないということも、当然あり得る。
主婦としては30%のタスクを積んだはずなのに、半分のクオリティでしか仕上がってこないことに苛立ちを覚える。手伝う側からすれば、言われた通りにやっているのに、パフォーマンス的には労力の半分しか評価されないので、不満が残る。できないバイトとそれに苛立つコンビニの店長の関係みたいなものである。
僕自身は、僕の家事のやり方で不満を言ってくる相手もないので、独自の合理的なやり方を開拓している。その成果をここで披露してきているわけだが、女性に言わせればこの方法論は「おもしろい」とは思うが、同時に「自分としては導入しない」という。そこには、母親から受け継いできたやり方という引き出しの外側にある方法論は、なかなか受け入れられないという気持ちがあるようだ。
その理由には、独特の方法論を開拓した人間が「男性」で「素人」だから、という面も大きい。例えば僕がこの家事で本でも出せばまた事情は変わるかもしれないが、要するにここでご紹介している方法論には、導入するに足る根拠がないんである。
男の家事に対する脳内マップ
家事を分担する夫側にも、意識の問題がある。つまり現在担当している家事は、「手伝い」のつもりだからだ。言われたことや、自分が気がついた範囲のことしかやってないので、家事トータルでは大した戦力になっていない。つまり家事というタスクの全体像が見えていないという、抜本的な欠陥がある。
以前ネットで話題になったのが、家事のタスクを一覧にした分布図だ。
家事育児を「やっているつもり」の旦那へ見せた執念の分担図
http://select.mamastar.jp/90918
これはあくまでもこの家庭での一覧だが、僕らおっさんにとっては女性特有の考え方が分かって非常に興味深い。それは、家事のタスクが定期と不定期という軸で考えていることだ。男性の場合、こういう空間軸で考えないのではないか。この項目を僕の頭の中で再構築すると、こういうことになる(図1)。
そもそもおっさんの脳では、上記の記事にある分布図のように、タスクをバラバラのままでは把握できない。ジャンル別に分けてワークフローで考えないと、覚えていられないのである。さらにどっちみちやらないといけないことなら、定期とか不定期という概念も希薄だ。繰り返しのスパンが長いか短いかだけの問題でしかない。
男性の家事分担は、大ジャンル小ジャンルのうち、どれかのジャンル丸ごとガバッと任せてもらった方が、やるべきことやクオリティが管理できる。バラバラのタスクそれぞれを任されても、それは所詮「手伝い」でしかなく、クオリティに責任が持てないのである。
もちろんこれらを2人で分担すれば、それぞれのタスクをこなすタイミングを一致させなければならないといった調整は必要だろう。それはそれで話し合ってやっていくしかない。また互いの仕事の都合でどうしても細かいタスクが抜ける場合は、互いに補完しあう柔軟性が必要だ。これはビジネスのような陣取りゲームではなく、子供を育てつつ社会で生き残るための戦略だと考えれば、男性は理解しやすい。
大ジャンル丸ごとひとつ請け負うのは無理と考える男性もいるかもしれないが、そんなことはない。僕が仕事をしながらこれを全部一人でやっている実例である。もちろんそこには、妻には理解しがたい奇妙な方法での合理化は必要になる。
妻も母親のやり方ではない方法論を受け入れる覚悟が必要になる。主導権を手放すのは辛いだろう。ただ、どうしても生理的に受け付けないというところがあれば、そこは話し合いである。実は夫の側も、妻のやり方が受け入れられない部分というのはあるものだが、それを言い出すと喧嘩になるので言わないだけ、ということを知っておいても損はないだろう。
子供が小さいうち、自分もまだ若いうちは、自分自身にもやりたいことが沢山あるのに、家族や子供の犠牲になっているような気がしてしまうものだ。だがそれは家事を楽しめるような工夫によって不満はクリアできるし、合理化によって余裕が生まれれば、自分のやりたいこともまたできるようになる。そこに至るまで時間はかかるが、家族で生きていくトータルの時間に比べたら、わずかなものである。(了)
本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、取り上げてほしいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
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