tech
ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔
第38回:ゲームの創造?
元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第38回。今回のお題は「ゲームの創造?」。
ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。
文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki
第8回の遺言状「しっぽりと卓上サッカーを」で書いたように、私は卓上ゲームが好きである。モノポリーもいつ頃だっただろうか、研究者になってからのような気がする。結構はまった挙げ句、このルールでは物足りない、もっとすごいルールにしなくてはと、株や投資家の概念まで入れたルール書を書いた。自分は負けそうだが、あいつは勝ちそうだという場合、競争相手の株を先行投資で買う仕掛けなどを導入したのである。つまり、2位狙いどころか、最後は俺がお前の株の大半を持っているという逆転劇も……。しかし、そのルール書は紙に手書きだったから、もう残っていないかもしれない。
任天堂のファミコンが出て、スーパーマリオを買ったが、なにしろ指先の反射神経がずたぼろなので沙汰止みになった。しかし、ドラクエが出て、初めてTVゲームにはまった。以来単独プレイのドラクエはすべてクリアした。リメークされたI、II、IIIももちろん昔を思い出しながらプレイした。IIのロンダルキアへの洞窟は大変でしたねぇ。東大教授時代は通勤電車の中のニンテンドーDSがプレイ可能な時間であった。
よくできたどのゲームもそうだと思うが、本当に血の滲むような努力がゲームの設計に注ぎこまれてこそ、大ヒットにつながる。ドラクエの場合、すごかったのは、すぎやまこういち作曲の音楽である。ロンドンフィルが演奏したCD全集はドライブのお供だったが、東京交響楽団の最新の演奏も録音が良いし、演奏に迫力がある。ドラクエの音楽は私の琴線に触れるどころか、バチャンバチャンと弾いた。全体にノスタルジックな調べが通底しているこれらの曲はどれを聴いてもドラクエ(いや、すぎやまこういちのというべきか)のアイデンティティがある。すごいことだと思う。思えば、どの作家・作曲家もたくさんの作品を書いているのに、アンデンティティは一貫している(写真1)。
音楽だけではない。ドラクエ・シリーズ全体の組み立てにしっかりしたアイデンティティが貫かれている。だから、70歳過ぎた私ですら、次のXIが楽しみになるのだ(※1)。
ドラクエのライバルのファイナルファンタジーも発売当初からもちろんプレイした。だが、2、3作目で断念した。だんだんアクション系にシフトしていったからだと記憶している。実際、ドラクエでも30秒以内にダンジョン脱出とかいう場面があったような記憶があるが、息子の助けを借りた。TVゲームの好みは各人各様だからしょうがない。
ついでながら、私がはまったもうひとつのTVゲームはシミュレーションゲームの「ファイアー・エンブレム」である。囲碁・将棋のような、やり直しができない真剣勝負感があった。
ドラクエもファイアー・エンブレムも、少なくとも私にとっては、いわゆるゲームバランスがとても優れていた。
「ゲームが面白いか? 奥深いか?」というのはゲーム好きにとっては非常に重要な問題である。第36回の遺言状で紹介したように、大学院時代(1970年ごろ)にゲームのプログラムを作ろうとしていて図書室で文献を漁った。今日に比べれば、その手の文献が圧倒的に少ないし、日本語ではほとんど見つからなかった。
リバーシ(オセロ)のプログラムを書こうとしていたので、1907年に出版された松浦政泰「世界遊戯法大全」(博文館、※2)は非常に参考になった。本をまとめるにあたって著者が厠上褥上(しじゃうじょくじゃう、つまり便所や布団の上、当時の本はちゃんとルビが振ってあったので読めた)で脳漿(のうしょう)を絞ったと書かれた前書きが今でも印象に残っている。これによって、リバーシが19世紀からあったこと、初期のバージョンは隅の優位を減少させるために、もっとマス目の多い十字型の盤面だったことを知った。
そんな文献探索の最中に不思議な本を見つけた。薄いがハードカバーの立派な本で、題名は正確には覚えていないが、「六角碁盤面の研究」、「立体囲碁の研究」、「俳句の数理的研究」だったと思う(※3)。著者は福澤三八。はてどこかで聞いたような名前と思ったら、なんとあの福澤諭吉先生のご子息ではないか。改めて調べたら、長男が福澤一太郎、次男が捨次郎、三男が三八、四男が大四郎なのだそうだ。以下のページによると、男の子に対しては、名前は符牒(見分ける印)にすぎず、歴史上の偉人の名を付けて名前負けするようではいけないという諭吉の持論があったとのこと。
公益財団法人 福澤旧邸保存会/福澤諭吉の子どもたち
http://fukuzawakyukyo.com/kodomo.html
しかし、三八先生(1881-1962)なかなかやります。3冊の中で一番すごそうと思ったのは「俳句の数理的研究」である。コンピュータによる日本語処理などまだ立ち上がる前の出版だったはずだ。興味本位に中を読んだら、縦座標を50音、そして俳句の17文字を文字順に横座標にして文字を縦座標に合わせてマップして折れ線を書くのである。例えば、上の句が「あいうえお」だったら、その部分は右下がりの直線になる。三八先生の論はこのように俳句を波形に変換することによって、フーリエ解析のような波形解析の俎上に乗せるというものだった。実に痛快。残りの囲碁の2冊は立派な盤面の織り込み付録がついていたが、俳句の件があったので、眺めるだけにした。
しかし、完成形と思われる囲碁に対して、勇猛果敢に新しいゲームのルールを開拓しようとした心意気は敬服に値する。
コンピュータパワーの増大と深層学習の発展により、チェス、将棋、囲碁では人間の名人が次々とコンピュータに敗退してしまうことになった。囲碁は名人が負けるのは10年以上先だろうという予想だったのに、あれよあれよという間の進歩があった。最近、尾島陽児さんと加藤英樹さんのDeep Zen Goが趙治勲名誉名人に3戦して1勝したことがニュースになったが、つい最近God Moveというプログラムがネットに登場して、Zenを含めて圧勝しまくっているというニュースが飛び込んできた。これは「何者?」いや「何プログラム?」がホットな話題らしい。
チェス、将棋、囲碁の順に、ゲームが終わるまでの局面の多様性の大きさ、つまりゲームの複雑さが「指数的」に大きくなると言われていたが、コンピュータはそこまで指数的には性能向上していないのに人間が追い付けない領域に達してしまった。
囲碁は実は盤面を大きくしたり小さくしたりしてもゲームとしては成立するので、人間は付き合えないかもしれないが、現在の19×19路盤より大きい、23×23路盤まで行けば、また人間が優位に立てるかもしれない。しかし、それでは芸がないという論も成り立ちそうだ。
将棋類では、中国将棋とも呼ばれる「象棋(シャンギ)」という、チェスよりも複雑さが低いと思われるゲームがあり、中国では今でも盛んに指されているようだ(写真2)。日本人でこれをご存知ない方は多いと思うが、実は私はNTT研究所に入ったばかりのころに、ひょんなことから象棋を知り、少し遊んだことがある。研究室の同僚にお願いしてのお手合せである。
どういうわけか、当時朝日新聞の将棋欄の記事を書いてらっしゃった、チェスプレイヤでもある東公平さんとお知り合いになり、今度象棋の大会をやるから来ませんかと誘われてしまった。都内のレストランのようなところだったと思うが、行ったら10人ちょっとのこぢんまりした集まりで、日本の象棋の競技人口はこんなものなのかと思わされた。で、いきなりトーナメント戦。研究室で少しだけ鍛えていたこともあって、2戦ぐらいは勝てたと思う。なんとそのあとの対戦者があの将棋の大山康晴一五世名人! 畏れ多くてあっさり負けた。
そのとき名人に伺ったのが、「中将棋」という将棋に関する話である。将棋はチェス、象棋の仲間で、多分ルーツはどこかで共通している。その歴史を調べた本を持っているような気がするが行方不明。なぜか「中将棋」は12×12の盤面、21種類の駒、総計46枚(相手も入れたら92枚)と、「大将棋」より盤面も駒数も多い。これも大山名人から話を聞く前に何かで知っていて(当時はインターネットがないから、本や雑誌でしか情報が入らなかった)、盤面と駒を買った(今は所在不明)。ところが、まずルールを覚えるのが大変。マニュアル片手に将棋を指す!
「獅子」という駒は「王将」の動きを2回連続できる。つまり、いながらにして、隣の駒を取れる。「醉象」は成ると「太子」となるが、これは王将と同格なので、本来の王将が取られても負けにならない。などなど不思議なルールに満ち溢れている。しかし、取った駒を将棋のように打てないので、盤面はどんどん(といってもすごく時間がかかる)寂しくなっていく。この時間のかかりようは、とても昼休みのゲームではない。
要するに気の遠くなるようなゲームなのだが、大山名人はこれを子供時代に遊んでいたので、じっくりとした棋風になったのだと仰っていた。
でも、将棋の歴史の話を聞くと、大きなゲームがどんどん小さくエレガントになってきたように思える。それが逆に仇になって、コンピュータに付け入られているのかもしれない。中将棋はまだコンピュータではやれないだろう(と信じたい)。でも、人間にも確固たる名人という人はいないようなので、立っている土俵はやっぱり同じか……。
人間の最高の知能を使うようなゲームで、コンピュータがどんどん名人の座を奪ってきているが、人間はそれほど悲観していないようだ。クルマや新幹線ができても100メートル走やマラソンが立派に競技として成立しているのと同じ理屈だろう。14歳2カ月という最年少で将棋の中学生プロ棋士(※4)の藤井聡太君が、最年少記録保持者だった加藤一二三九段(76歳)に先日勝った。これが結構大きなニュースになっている。最強のプロがコンピュータにはもう勝てないのではないかと言われているご時世だが、やはり価値のあるニュースなのだ。
でも、コンピュータに大きい顔されるのはやっぱり悔しい。コンピュータが当分偉い顔ができないゲームはないものだろうか? 実は(多分)ある。ゲームの創造である。ゲームを作るゲーム、強いて言えばメタゲームである。毎年、いくつか注目すべきゲームが創造されている。ただ、ルールさえ分かれば、コンピュータだったらあっという間に人間を凌駕しそうなものが多いことも事実である。でも、コンピュータがこのようなゲームを生み出すことは当分無理な気がする。いくら深層学習が発展しても、まさに土俵が違う分野だろう。「創造」は人間の最後の牙城だと思う。
遺言状に何度も登場している情報処理学会プログラミング・シンポジウム(プロシン)では、新しいゲームを紹介しあうGPCCという夜の分科会がある。GPCCは「Game and Puzzle Competition on Computer」の略で、確か1975年正月のプロシンのときに、一松信先生が主導して創設された。その次の年からは12年間私が世話人を続けた。創設以来42年も続いている!(※5)
ゲームだけでなくパズルもあるのだが、新しいゲームやパズルの紹介をして1年後までコンピュータで解けというお題を出し、前年度の成果報告を聞くというのがGPCCの本来の趣旨である。しかし、最近は新しいゲームでいきなり対決勝負をするという場にもなっている。勝負して、面白いかどうかで、挑戦するに値する問題かどうかを判定するのだ。新しいゲームの創造性自体を評価しているとも言える。
しかし、本当に創造性溢れるゲームは、1年やそこらではプログラムできないものが大半である。とすると、本当に対決勝負を楽しむことになる。どうもこれもGPCCやプロシンの楽しみの1つになってきた。
プログラムを作るのは大変そうだけど面白いゲームがいくつかある。
1993年に島根県平田市(現出雲市)の太田満保市長が考案したという「四人将棋」は結構面白い。いま手元に盤と駒がなくて写真が撮れないのでWikipediaのURLと「一般社団法人 日本四人将棋連盟」のURLを示しておく。
四人将棋(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E4%BA%BA%E5%B0%86%E6%A3%8B
一般社団法人 日本四人将棋連盟
https://yoninshogi.jimdo.com/
私も10年ほど前には人が集まるとよくやった。4人なので口三味線の戦いにもなるのだが、かなり奥深い。市長さん、やりますね。向かい同士が味方になるダブルスもある。多分、こちらのほうがもっと奥深いと思われる。もっとも、日本四人将棋連盟では口三味線的な勝負(グルになって1人をいじめること)を禁止するためのルールを導入している。今日の世相を反映した(?)このような改良も創造の一種である。
3年ほど前に教えてもらった3人チェス(写真3)は、見てお分かりのように3人で行うチェスだ。これが意外と面白い。3つのチームが交差する中心付近での駒の動きは合理的に整理されているので慣れるのは早い。しかし、ナイトが10方桂馬になったりする。このほかのタイプの3人チェス、4人チェス、立体チェス(写真4)もある。持ってはいるが、残念ながら立体チェス以外はやってみたことがない。
いま欲しいなぁと思っているのはジェスターという駒が追加された10×10のチェス盤(通常のチェス盤は8×8)で行う、その名も「Jester Chess」という拡張チェスである。駒が皮製のケースに入るなど、置物としても立派に作られているので、欲しいなぁと思う。
Jester Chess
http://www.mastersgames.com/cat/board/chess-jester.htm#SMN-121
キングとクイーンの並びの両側にジェスターが並び、前列のポーンが10個になる。で、このジェスターという駒、相手が直前に動かした駒と同じ動き方をする。つまり、相手がクイーンを動かしたら、その直後、自分のジェスターをクイーンとして使える。なんとも危険な駒だ。
これは頭が痛くなるかもしれない。コンピュータで強いプログラムを作るのは、人間にとってややこしいだけに、意外と難しくないかもしれないが、こればかりはやってみないと分からない。
こういう面白そうなゲームはあるのだが、問題は相手探しである。実はこれが一番難しかったりする。いい競技相手を探すのはメタメタゲームといったところだろうか(笑)。電気通信大学の伊藤毅志さんが主宰されている「コンピュータ囲碁高次協調学習研究会」(略称HCCL研究会)は囲碁棋士も参加されている研究会であるが、そこに集まっている人達だったら楽しく遊べそうである。それよりも、情報処理学会のGPW(Game Programming Workshop)のほうが良さそうだが、最近私の足が遠のいてしまっている。いけませんねぇ。
大昔のプロシンの宿で、野崎昭弘先生と同室になったとき、「先生、チェスやりませんか?」と言ってみたものの、チェスセットがない。しかし、囲碁や将棋のセットはあった。それで将棋の盤を使ってチェスをやることにした。同類のゲームだからなんとかなるものだ。飛車をクイーン、香車をルーク、銀将をビショップ、桂馬をナイト、歩をポーンにマッピングすればよい、野崎先生は将棋をご存知だったが、チェスには疎かったようである。それで一通りルールの説明をしてから競技を始めた。
しかし、どうも様子がおかしい。しばらくしてから、やはり同室だった野下浩平さんが、「あ、このチェス、8×9でやってる!」と叫んだ。将棋盤を代用したときに間違ってしまったのだ。8×8のチェスを8×9でやっておかしくならないわけがない。
以来しばらくの間、私は「8×9の竹内」というニックネームでも呼ばれるようになった。これは「ゲームの創造をした」とは口が裂けても言えない。(つづく)
※1:発売までは死なないと宣言しているようなものか。
※2:定価1円40銭というのは当時としては非常に高価だったとか。1984年に本邦書籍から復刻版が出たようだが、Amazonで見たら、5800円から最高3万円の値段がつけられていた。
※3:編集の風穴さんが国会図書館で調べたところ、これらはどうも「碁将棋の数学的研究」、「二つ以上次元をもつ碁将棋」、「詩の数学的研究」だと思われる。いずれも、1934年から1935年にかけて出版されている。
※4:専門家によれば「プロ棋士」という言葉はないとのことである。「棋士」だけでプロを含意している。しかし、ニュースでもやっぱり「プロ棋士」という言葉が使われている。
※5:現在の幹事はソニーの藤波順久さん。
竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
SNSシェア