ハーバード・ビジネス・レビュー編集長は「働きたくなる会社」をどう考えているか
仕事のやりがい、報酬、成果は何か。人の「働きたい」という気持ちが仕事の成果に直結するともいえる今、改めて「働きたくなる会社」とは何だろうと思いました。
サイボウズ式は、「DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー」(DHBR)の読者のみなさまと「働きたくなる会社」についてディスカッションをすることにしました。この議論を通じて、日本企業の未来を議論していきます。
ハーバード・ビジネス・レビュー 編集長の岩佐文夫さんは「働きたくなる会社」をどう考えているのか。サイボウズ式 編集長の藤村能光が聞きました。
自分ごとで考えられるか、「批判と対案」を出し続けられるか
ハーバード・ビジネス・レビューは"経営幹部たちの「秘密の教科書」"であり、読者は、経営者に加え、将来の幹部候補や企業のエース的な存在が多いと伺っています。岩佐編集長にとって、その読者はどう映っているのでしょうか?
尊敬しています。この人達の期待に応えたいという思いが強いです。
普通の人って、すぐに答えを求めたがるじゃないですか。例えばマーケティングなら、Webとテレビと新聞の広告の比率はこうだと。そう言ってくれれば分かりやすいけど、ビジネスはそんなに単純じゃない。
ハーバード・ビジネス・レビューの読者は、それを抽象化して、自分で考えようとする。経営って基本は矛盾だと思います。だからこそ、おもしろい。だれもが同じ応えに行く着く問題ではないんです。それを考えようとするのが尊敬できる。
自分ごとで考えぬけるということですね。
人間って「人に貢献したい」のが本質だと思うんです。何かを持ちかけられると、解こうとする。
僕は、困ったことがあると何人かの人に相談にいくんです。「こう考えているんですけど、どうですか?」と聞くと、まるで自分ごとのように考えてくる。
その人たちがいい人なのか? もちろんそうですけど、目の前に課題が与えられたら解かずにはいられない習性なんだと思います。そういう人がDHBRの読者の典型です。
「自分の意見を持っている」という点も強そうです。
その点でいうと、これはメディアとの健全なつきあい方の話にもなりますが、情報のすべてを鵜呑みにしないことも大事です。
理想は、あるテーマに対して「批判と対案」を出すこと。それを繰り返すと、世の中は1ミリずつよいものになっていく。僕も、そういう議論がどうやってうまれるかをよく考えています。批判ばかりも好きじゃないし、礼賛ばかりも発展がないと思います。
「その会社で働きたい」は、今の時代の競争優位性となるか?
働きたくなる会社を岩佐編集長が読者と考えてみたくなった理由は?
人工知能は人の仕事を奪うと言われています。実はその前から、「人・モノ・カネ」という経営の3資源のうち、これから人がますます重要になってきています。
お金は余るだろうし、企業が何かをやる時にお金を集める手段は、クラウドファウンディングのように多様化していますから。
人が一番大切だと。
はい。一番希少なのは人で、人を集めるのが一番難しい。
優秀な人をたくさん採用し、人にどう働いてもらうと生産性が飛躍的に高まるか。そのためには人の能力をどう引き出すか。どうすれば自発的にその人は働こうとなるか──。
それが企業の競争優位性に直結する。「その会社で働きたい」ということが、すべての指標になるくらい重要な気がするんです。
社長の青野が書いた『「働きがいのある会社ランキング」に思う』では、会社での仕事だけでなく、育児や家事も働くことだという論旨がありました。
正論ですよね。働くってそれだけじゃない、まったくそうだと思います。
働きたくなる会社、もっと言えば、お金のために働く必要のない社会を作った方がいいかも、と思っています。そのために社会をよくしたい。
やりたいこと、やっていること、利益のプロセスは一直線か
好きな会社が4つあるとお聞きしました。東京糸井重里事務所、気仙沼ニッティング、ライフネット生命保険、そしてサイボウズ。その共通点はありますか?
公明正大というとつまんないですよね。自分の言葉で言えないかと、ずっと考えていて。最近は4つじゃなくて5つと言っているんだけど、(5社目は)六花亭ですね。 共通するのは、「やりたいこと」「やっていること」「利益を出しているプロセス」、そのすべてが一致している企業です。
なるほど。
僕、最近カメラをはじめて、わかったことがあるんです。
いい写真を撮るには光学の知識や絞りやシャッタースピードの調整などの技術が必要ですが、それがあればいい写真がとれるかというとまったく違う。「何を撮りたいか」という意思が問われるんです。
分かります。
経営もまったく同じで、よい経営には知識も技術も必要。だけど、最終的にその企業が何をやりたいの? どういう社会をつくりたいの? という意思がはっきりしていないといけません。
「こういう社会を作りたい」「だからこういう事業をやっている」「そして、こういう売り方をしている」──。これらにきれいな線が見えた時、僕はそれをいい会社だと思うんです。
ハーバード・ビジネス・レビューは、社会を変える人の武器になりたい
DHBRを今後どうしていきますか?
「社会を変えようという人をふやしたいし、そういう人の力になりたい」。これまでもそう思ってこの雑誌をつくってきましたし、これからもその思いは一緒です。
伝統を否定するつもりはないけど、日本の過去の延長線上に、いい未来は期待できないと思うんです。日本は成熟社会になり高齢化し、人口は減少しています。
飛躍的に生産性を高めるしかないけれど、単なる改善以上のものが必要です。何か仕組みを変えるようなこと。そう思っている人を応援したい。DHBRは、そういう人たちの武器の1つでありたいんです。
今回のDHBRとサイボウズ式のコラボで「働きたくなる会社」を掘り下げ、「働く」を変える人が増えていけばよいなと思います。初回のテーマは「市場性で給与を決めることについて」。このテーマに対して、サイボウズ側でも議論をして記事にしますので、ご期待ください。
編集者と編集長の仕事のたった1つの違い
ここからは話を変えて、岩佐編集長個人としての「働くこと」を聞いてみたいと思います。ずっと編集の仕事をされていらっしゃるんですよね。
ええ、前の会社では36歳まで編集の仕事をしていて、その時に独立、起業、勉強、転職のいずれかを考えるきっかけがありました。
僕は机の前に座るタイプじゃないから「勉強」は違う、人を切れないので「起業」も違う。じゃあ独立して「フリー」になるかとあいさつまわりをしていたら、ダイヤモンド社と縁があり、「転職」となりました。雑誌を1回やってみたかった。前職は財団法人の出版部。出版専業じゃない会社でやっていた人材が、出版社で通用するのかを試してみたかった。
この歩みは成功でしたか?
新しい道を試そうと思った時点で成功。もとの会社にいればそれなりに評価されていたと思うのに、あえて別の場所に飛び込む。他流試合をするということ。それを決めただけで僕にとっては成功でした。
編集者と編集長の仕事の違いはどう感じますか?
編集者の役割は2つ、企画と制作です。それを統合したものが「編集」となります。
企画は、だれになにをどういうかたちで情報を伝えるか。パッケージやどう出すかといったこと、すべてをプランニングする。それに必要な書き手、写真家、デザイナーに声をかけていきます。
制作は、仕上がってきたものにデザインを入れたり、見出しを入れたり、ディレクションをしながら紙面を構成していく仕事です。
では編集「長」の役割は?
意思決定ですね。みんなのアイデアであろうと、僕のアイデアであろうと、それを世に出すことを決める人。チームで編集という作業をする時に編集長が必要、というだけです。
編集長の企画が通らないこともある?
ありますよ。ただね、それって格好悪いじゃないですか(笑)。
だから絶対通そうとする。その雰囲気があって、(編集部員も)空気を読んでくれて、通ってしまうこともある。それは編集長として気をつけないといけないですし、権限があるだけ余計慎重にならないといけないですね。
5つのアイデアから「選ぶ」は最悪、6つ目を「考え抜けるか」
企画を生み出す上で大事なことは?
「誰の企画が通った」というディスカッションをしないことも大事だと思っているんです。
例えば5人の企画を選ぶ時、最悪なのは5案の中間を企画にしてしまうこと。5つのうち1つに決めるのもベストだとは思いません。
5人が真剣に作った5つの企画をもとに、より真剣に議論をすると、5つではない6つ目の企画が出てくることがある。これが大事です。
その企画でいこうと決定して、会議室を出る、そのときにみんながみんな「あれは自分のアイデアだ」と思っている。誰もが真剣に考え、議論したからです。
そうやって浮かんだ案が理想じゃないかな。「あの企画はわたしの」というのはベストではない。
チームで企画を作る意識でしょうか?
そうですね。「あれ、誰が作ったっけ? 自分で決めた気もしているし、みんなが決めた気もしている」。こうなっている企画が理想ですね。そうやって会議室を出た時のみんなの顔って、とてもいい顔をしているんです。
理想ですね。私も昔は自分の企画を通そうと必死になっていました……。
僕も。
サイボウズ式編集部になってから、チームで企画を考えるようになったのかもしれません。
僕が4年間DHBRにいて副編集長をやっていて、書籍編集に異動し、また戻ってきて、今編集長をしています。そういう意味ではいまめちゃくちゃ楽しい。
雑誌は編集長のものだから、編集長は楽しくてあたりまえなんですよ。
ただ、編集長1人が楽しんでいる雑誌は嫌だなって思って。みんながまるで編集長のつもりで楽しんでもらうにはどうふるまえばいいか、いつも真剣に考えていますね。
差別化はいらない、ピュアにいいものを作ることを貫き通せるか
そのやり方は正しいと確信がありますか?
ない。ぶれない軸も必要だし、みんなの意見に柔軟に、というのも大事で、毎回いつも悩んでいます。「みんなが楽しんでいる」と(編集長の)僕が思うのは、最悪かな。
最近は、どれだけピュアに自分がいいものを作ることに専念するかに尽きると思っています。誰かの意見を取りいれよう、おもんばかろう、とは思わない。目的に純粋になることじゃないかな。それは単純なようで難しいのですが。
「ぼくら」と「読者」のおもしろいが違うこともある。
人の心をわかったつもりになるのは傲慢だと思うんです。「読者はこう考えているに違いない」と限定はしたくない。
もう1つは自分にある自信。それは「自分は世の中で、個性的ではない」という自信です。
個性的ではないことが武器になる?
ええ、僕がおもしろいと思ったことは、100人の1人はおもしろいと思ってくれるはず。
チームラボの猪子寿之さんの「おもしろい」に反応するのは、10000人に1人かもしれませんが、雑誌のビジネスは100人に1人が共感してくれる企画であればやっていけるという自信ですよね。
なので、自分がおもしろいと思うことにピュアに集中する。おもしろいかどうかは、自分がおもしろいと思えるか、自分がいくらそれにお金を出せるかの度合いかなと思います。
100人に1人ということは、1億人だと100万人に伝わるということですね。発想がエキセントリックじゃないというのは、編集者にとってある意味重要なのでしょうか?
編集の仕事をしていると、すごい人に会いますけど、個性ではかなわないですよね。自分の個性は何だと……。
あります。
もう1つは差別化。差別化なんて考えないんですよ。本という商品を作るとして本屋に行くと、絶望的な気分になるんです。「ここにないものを作るのは無理だ」と思いますよね。
だからネットも見ずに、自分でおもしろいと思うものを考えぬく。それが書籍や雑誌になって出た時に似たものが世間にあったら、それは共感すればいい。
それはいいですね。考え抜いているからそう言えるのだと思います。
僕は自分がおもしろいと思うことを信じているし、これだけひとりひとりが違えば、好きなものも違います。
差別化って思っているほど難しくなくて、自分が素でいいとおもっていることをやればいいと思っています。僕と同じ人っていないんだから、差別化だってできるんじゃないかと。そう信じたいんですよね。その上で、多くの人が受け入れてくれるように見せる工夫をする。自分のおもしろいが先で、それをどう表現するかが後です。
取材・文:藤村能光/写真:山下亮一
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