仕事ってもっと楽に考えてよかったんだ
問題は、組織を助けてくれるアラート。苦労を取り戻せるチームは強くなる──向谷地生良×宇田川元一
「弱さと向き合い、苦労を取り戻すこと。問題を切り離さず向き合うことが、企業にとって大切なことだ」──。
こう指摘するのは、組織論・経営戦略論の理論研究者である宇田川元一(うだがわ・もとかず)さん。
この「苦労を取り戻す」という言葉は、ソーシャルワーカーの向谷地生良(むかいやち・いくよし)さんが運営に携わる社会福祉法人「浦河べてるの家」(以下べてる)の理念のひとつです。宇田川さんは「べてるの思想には、イノベーティブな組織をつくるためのヒントがたくさん詰まっている」と言います。
社会にはさまざまな問題解決の手法が存在しており、またその情報も流通しています。ですが、企業に山積している問題はなかなか解決されません。ただ方法を知っているだけでは、問題は解決に向かわないようです。
今回は宇田川さん、向谷地さんのお二方をお招きして、べてるの実践や理念をひも解きながら、「私たちはどんな風に、自分や組織の問題と向き合っていったらいいのか?」をテーマに、じっくり語っていただきました。
組織の問題はふたつに分けられる
僕は組織論の中で*ナラティヴ・アプローチを展開している研究者として、向谷地さんたちが設立されたべてるの思想にすごく感銘を受けています。
今日こうしてお話ができることを、とても楽しみにしてきました。
* ナラティヴ・アプローチ:「医療などの専門性を一度脇において、患者の語る”物語”をまずは正しいものとして聴いてみよう」とする方法であり、臨床心理や医療の研究から生まれた思想。
普通の会社組織とはまったく異なる共同体だと思うのですが、どういった観点から共感してくださったのでしょうか?
これは、ノウハウや論理的な思考によって、解決策がすぐに見つかる問題のことです。
たとえば、「クラウドサービスを使いこなせていない人が多く、各々が持っているデータが共有されない」という問題であれば、データの格納方法がわかるマニュアルを共有したり、勉強会を開けばいい。
先程の例でいえば、マニュアルを共有したり、勉強会の参加を呼びかけたりしても、なにかと理由をつけて積極的に取り組んでくれない場合があったとします。
これは表で語られている言葉の背景に、語られていない別のことがあるはずです。
「マニュアルを読むことや勉強会への参加が面倒」「クラウドサービスへの苦手意識がある」「データを共有すると自分の知識や経験の価値が減ってしまうと考えて不安」など、合理的な考えを伝えるだけでは解決が難しい要因が、複雑に絡み合っている可能性がある。
問題の背景にあるものを、距離をとって眺めながら語ることにより、気づかないうちにとらわれている基盤としてのナラティヴ(物事の解釈の枠組み)を相対化できる。
そこに向き合うことで、組織の葛藤や孤立がもたらす苦悩や、目先の問題解決に走ってしまい、適応課題に皆で取り組めない状況を少しずつ変えられる。その結果、目の前の問題を「解決」するのではなく、「解消」していけるのではないかと思っています。
「人生の苦労を取り戻す」。苦労や問題って、そんなに簡単に取り除けるものではない
けれども、べてるはそうしない。むしろ、問題を積極的に迎え入れるような姿勢がありますね。
とりわけ精神疾患というのは、その人が抱えている生きにくさが究極に煮詰まった状態とも言えます。
だから、その辛さを単に薬で抑えるのは、付け焼刃でしかなくて。生きづらさの背景にある大切な「本来の自分らしい苦労」を探して引き受けることを大事にしています。
その人が依存症になった道筋を辿っていくと、過去に経験した「寂しさ」や「虐待の体験」などから自分を逃がすために起きているという、病の根っこにある生きづらさの問題が見えてきます。
これはアルコールだけではなく、こころの病と言うのは、その人のかかえる苦労の上に積み重なった状態で起きているところがありますね。
職場で起こる問題は、組織を助けにきている
たとえば「職場でうつになった社員が出てしまった」というのは、組織の問題が現れている状況だと思います。
その人のストレス耐性や能力の問題として、細かい対応は産業医に任せ、休職させたりする。
これって、先ほどの話でいう「投薬で無理やり苦痛を抑える」のとほとんど同じことですよね。
けれども、それって本当は「組織全体としての問題があって、そこに反応しやすい人がうつになってしまった」という状態なんじゃないかなと。
つまり、職場の一部の問題は、組織全体としての問題があることを知らせるアラートなんですよね。
べてるでは、「病気はあなたを助けにきている」という言葉もよく使っています。
職場で起こる問題も、病気と一緒で、組織を助けにきているんですよね。
なぜならば、それが適応課題ならば、手っ取り早い解決は、単なる問題を見ないようにして、自分たちから切り離そうとしているだけになってしまうからです。
新しい事業をはじめる時は、最も“頼りなさそうな人”を組織の真ん中に置く
* ぱぴぷぺぽ状態:病状の悪い状態を表現した言葉。べてるの家代表の早坂潔さんが講演のために東京へ来たとき、山手線の車中で調子を崩し、知人の家へ緊急避難した際に、「ぱー!」、「ぽー!」と言って飛び跳ねたのがはじまり。以後、べてるでは、幻覚妄想状態など、病状がひどくなることを「ぱぴぷぺぽ状態」と呼んでいる。
その人を組織の中心に置くことで、いろいろ大変なことも起きますが、その苦労は手放してはいけません。それは必ず、他の人にとっての働きやすさにもつながっていきますから。
異質なものを排除しようとする組織から、イノベーションなんて起こり得ない。これを踏まえれば、「苦労を取り戻していくことで、組織は今よりもクリエイティブになっていく」とも言えるかと思います。
「問題は必ず起こる」という前提の考え方を持つことは大事
さっきも向谷地さん、「大変なことがたくさん起こる」って。
べてるには「問題だらけ、それで順調」という標語があるくらい、毎日いろんな問題が起きているんですよね?
べてるのみなさんは、そういうきつさ、怖さをどうやって乗り越えてきたんでしょうか?
だから、「問題はあって当然。むしろ、あったほうがいいよね」と開き直った。
何かが起きたとしても“それで順調”と考えて、みんなで知恵を出し合えばいいと、楽観的になるんです。
「次はどんな問題が起こるのか?」と、怖さもありつつ、ワクワクするようにもなる。
そうならないためにも、「問題は必ず起こる」という前提の考え方を持つことは大事ですね。
主観的な感覚を尊重し、常識にとらわれず、反転させたものの見方をする
僕は、こうしたべてるの「主観・反転・“非”常識」の思想に、とても感銘を受けました。
当事者の、主観的な感覚や理解を尊重し、常識にとらわれず、時には反転させたものの見方をして、苦労から新たな可能性を見出そうと試みています。
*当事者研究:精神疾患を抱える当事者たちが「自分の苦労の研究者」となって、仲間や関係者と共に苦労のメカニズムを解明していこうとする試み。
その方は「どうしたら摂食障害が治るのか」ではなく、「どうしたら摂食障害になれるのか」を研究したと。
この「文脈」とは、先ほどのアルコール依存症の方の話で言えば「寂しさ」や「虐待」など苦労の根っこにある問題のことであって。
「打算的」な弱さの共有にならないように
しかし、その中で、ときに僕は打算的な安っぽさを覚えることがあります。表面的と言うか。
そういうところで出てくる弱さは、表面的なものになりやすく、切実に困っていることは話しづらいですよね。
加えて、そうした「弱さを語ることが大事だ」ということをどこかで知って、自分が単純にやりたくないだけのことを、弱さだからとして話すようなことも打算的だなと感じます。
だからこそ、むしろ「やりたくないと思うきっかけは何だったのか」などを考え、表の苦しさのもっと裏側にあることが語れるようになってくると、「実はやり方が分からなくて困っていた」など、もっと大切な苦労が語れるし、苦しいという大切な弱さが浮かび上がってくると思うのです。
苦労はもっと掘り下げていくと、すごく大きな価値があるんです。
問題だらけ、失敗続き、それで順調なんです
たとえば、炊飯器ってボタンひとつでお米が炊けるじゃないですか。
そういう便利なものが、いまの世の中にはたくさんあふれています。
それがないのに、いろいろと省略された後の結果だけを受け取って「できる」とか「解決した」と錯覚してしまう。
生身の経験から得られる情報って、もっとザラザラしていて。だから、事あるごとに引っかかる。その引っかかりが足場になって、しっかり立っていられるようになる……そんな感覚があります。
そういう循環を起こしていくために、みんなでどんどん失敗をして、それを公開していけると、社会は本当の意味で強くなれるんじゃないかな。
失敗こそ、その人が人生で得てきた、かけがえのない財産だと思うのです。
*反脆弱性:ナシーム・ニコラス・タレブが提唱する概念。外部からの衝撃によって破壊されない頑健性ではなく、外部からの衝撃によってより強くなる性質のこと。頑健性は設計強度を上回る衝撃で破壊されるが、反脆弱性は、そうした衝撃によってより強くなる。
SNSシェア