そのがんばりは、何のため?
いつも不完全燃焼だった42歳。追いつめられて頑張りに優先順位をつけたら、本気で生きられた
ものすごく忙しいのに、ずっと不完全燃焼だった
ずっと広告会社で働いてきたぼくにとって、仕事というものは人生において一番大切なものだった。特にコピーライターの仕事をしていたころは、やりたいこととやるべきことがほとんど一致していた。仕事をがんばることが、人生をがんばることそのものだった。
ぼくは若いころに、早くそういう状態を作って、自分がやりたいことの中に没頭して生きたいと願っていた。コピーライターの仕事は、そういった願いを叶えるためにいくつもの努力をして、ようやく手に入れた理想の環境だった。
だけど、理想の状態は数年しか続かなかった。
ぼくはいくつかのヘマをしたり、当時の上司に逆らったりして、コピーライターの職を解かれ、広告クリエイターとしては墓場のような職場に左遷された。
新たな職場では、キャッチコピーを書く代わりに、事業計画書を書くようになり、自分でアイデアを考える代わりに、得意先がアイデアを思いつくのを助けるファシリテーションをするようになった。
ただまあ、その職場はかっちょいいコピーを書きたいクリエイターにとってはたしかに墓場だったけれども、実際にやってみるとけっこうおもしろかったし、自分の工夫次第で良い成果を得られた。
そうやって仕事に関する視野がすごく広がったので、「左遷されてよかったのかもしれない」と後になって思う。
だけど、いずれにしたって、そこからぼくは、自分のやりたいこととやるべきことを一致させることができなくなってしまった。
できることが増えていくと、いろんな種類の相談が舞い込んできた。それはとてもありがたいことだったし、どれもぼくの好奇心を満たしてくれるものだった。
けれども、おかげでどんどん忙しくなり、おまけに1つ1つのことについて深く掘り下げて考える時間を確保できなくなってきた。
また、あまりに多岐にわたる業務をやっているうちに、一体自分は何をやっている人間なのかがわからなくなってきて、モヤモヤとした気持ちでいることが増えた。
おまけに、うちは共働きなのだけど、子どもが生まれてからは、毎朝の保育園の送り、熱を出したとき(特に上の子はよく発熱した)の自宅待機、土日の家事や子どもの相手などに時間を取られるようになった。
あとちょっとふんばって企画を考えられたら……とか、もう少しだけ粘って次の行動を起こせたら……という場面もあった。だけど「今日は子どもが熱を出していて心配だから早く帰宅しなければ」と泣く泣く仕事を切り上げることが増えていった。
そんな経験を繰り返しているうちに、適当に手を抜いて仕事をするようになってしまった。
いくら手を抜いても仕事の量自体はまったく減らない。手を抜いたせいで物事が停滞したり、本来ならもっとおもしろくできたはずの仕事が、つまらないものになってしまったりするようになった。
子どもとすごす時間の流れの遅さに、いらだっていた
モヤモヤするのは帰宅してからも同じだった。
子どもはかわいい。
だけど、子どもに関する物事というのは、びっくりするくらい時間の流れが遅い。
ごはんを食べるときはポロポロと食べ物を落とし、口元を汚し、ゆっくりゆっくり食べる。
服を自分で着替えられるようになっても、いつまでもダラダラとしているし、すぐにシャツの前と後ろを間違えるし、「早くやれ」と叱ると駄々をこねて余計に時間がかかる。
あるいは公園に遊びに行くと、同じ遊びばかりを繰り返したがって、もうこっちは退屈で退屈で、おまけに寝不足だからぶっ倒れそうになる。
一番辛いのは、プール教室の見学だ。
子どもがプールで泳いでいる様子を、保護者の見学部屋から応援してやらないといけない。ここがひどく狭いうえに混雑していて酸素が薄い。
おまけに、この見学という作業がものすごく退屈なのだ。なぜなら子どもの数が多い時間帯なので、みんなひたすら自分の泳ぐ番が来るまで、プールサイドでずっと待っているだけなのである。
わが子が泳ぐほんのわずかの瞬間のために、じっと、ほとんど何も変わらない光景を眺め続け、ようやく自分の子どもの番になったぞという瞬間にすかさず手を振る。
子どもはうれしそうに手を振り返すので、それはかわいい。けれども、それ以外はとにかく眠いし、酸素が薄くて息苦しいし、狭くて身動きができない。おまけに周りでママ友同士が大声で夫の愚痴を言い合っているのを聞かされる。
じっとがまん。1週間の中で、一番苦しい時間だ。
「この時間があれば、ぼくはもっとやりたいことをできるはずなのに」という気持ちを抱いたまま、モヤモヤと週末をすごす。
ほかの同僚が、週末の時間を利用してこんな勉強会に出席した、こんな研修を受けた、こんな資格を取得した、という話を聞かされると、嫉妬心を強く駆り立てられる。
「俺だって週末が自由になれば、まだまだ成長できる……。そうすれば給料だって増えるだろうし、やりたいことにもっと夢中に取り組めるはずなのに……」という気持ちを抑えられない。
そうやって、ぼくはいつも忙しくて時間がないのに、何かに没頭して夢中に取り組めたという満足感は得られず、ずっと不完全燃焼のままで暮らしていた。
中年を迎えるにあたり、自分なりにもがいていた
ただ、ぼくも自分がこういう状態にあることを放置していたわけではない。数年前からこのモヤモヤと向き合い、どうすればそれが解消されるのかを考えて、試行錯誤をしていた。
いろんな失敗の中で、自分なりに見つけた打開策は、以下のようなことだった。
だけど、ただでも時間がないのにまた新しいことを始めるのは大変なので、いくつかのことをやめることにした。
モヤモヤした気持ちをさらけ出して、いろんな人に相談してみた
もちろん、ぼくだけの力では、こういった仮説にまでたどり着くことはできなかった。
いろんな人に悩みを相談した。うまくいってる人にインタビューをさせてもらったり、関係のありそうな本を紹介してもらったり、似た悩みを抱えている人と対話をしたりして、少しずつ自分なりの仮説を作っていくことができた。
とにかく、自分が苦しんでいることを認めて、それを他人に打ち明けることができてよかったなと思う。
おそらく、いつまでもモヤモヤを自分の中だけにとどめていても、何の解決策も出てこなかっただろう。
相談したからといって、ズバリの答えが相手からもらえるわけではないけれども、その人の反応をヒントにして、自分自身が気づいていないことや、あえて考えないようにしていることが見えてくる。
特に印象的だったのは、ある人にぼくの悩みを打ち明けてみたところ、こんな返事をもらったことだ。
「ええと、いぬじんさんは幸せなのだと思います。ちゃんとした仕事があって、愛する家族がいて……。十分に幸せなのだと思います」
そうか、ぼくは他人から見たら十分に幸せに見えることもあるのだ、というのは自分だけでは気づかなかった視点だった。
どうしても、ぼくは、自分にないものばかりを見てしまう。だけど、すでに持っているものに目を向け、自分が努力をしてきたことを認めてやることも、変わるためには必要なことだと思う。
そこにコロナがやってきて、1日の半分の時間を奪っていった
ぼくは、自分ががんばる優先順位をはっきりさせ、その代わりにやらないことを決め、それなりに自己変革に取り組んできた。
うまく行き始めたこともあったし、逆にうまく行かなくなったこともあったし……。仕事相手や家族とぶつかったりしたこともあって、一進一退といった感じだった。
そこにコロナがやってきた。
小学校が休校になってしまったので、2人の子どもがずっと家にいる。
そして妻は仕事の性質上、朝から夕方まで出勤を続けざるを得ない状況になった。
おかげでぼくは自宅に残り、朝・昼・晩の3食を作り、2人の子どもの面倒を見るという用事と、会社の緊急対応や混乱する現場の情報収集・整理を、同時にやらないといけなくなった。
実際にやってみると、まったく時間がない。
その時間のなさは、これまでとは比べようもなかった。
朝起きて、子どもたちの朝食を作り、自分の分を作っている余裕もなく、パンのかけらを無理やり口に詰め込んで仕事を開始すると、まもなく子どもたちがケンカを始める。
がまんできなくなって、「うるさい、ケンカしてる場合か、その前にさっさと食事を済ませて宿題をやりなさい」と叱っていると、会社の人や得意先から電話がかかってくる。
それに対応していると、またケンカが再開されている。
子どもたちだって、普段は学校や保育園に行って、規則正しい生活を開始しているはずの時間に自宅にいるので調子が狂っているのだ。
親がちゃんと見てやらなければどうにもならない。
そんなわけで午前中は、何もできない。
昼食を食べ終えて、少しだけ近所の公園で体を動かすと、ようやく子どもたちも落ち着きを取り戻してくるので、その隙にテレビ会議を始め、会議と会議のあいだの一瞬でメールや報告書や企画書を書いたりチェックしたりしていると、もう夕食の準備の時間だ。
そしてここからは、子どもがちゃんと風呂に入って寝静まる夜まで、何もできない。
ぼくはこの1日の中で、自分が仕事に使える時間を紙に書いてみた。
午後の13時半から17時までの3時間半と、子どもたちが寝静まった22時すぎから24時までの1時間半。
それは、ぼくがこれまで仕事にかけることができていた時間のきっちり半分だった。
「これは緊急プロジェクトなんだ」と開き直った
もう開き直るしかない、と思った。
これまでの半分の時間で、今まで以上に仕事をして、残りの時間で、子どもたちが小学校に行って受けられるのと同じ程度の勉強をさせる。ちゃんと家事もやり、自分が倒れないように睡眠時間も確保する。
これは、このめちゃくちゃな条件の中でやり抜く緊急プロジェクトなんだと決めつけることにした。
幸い、理不尽な状況の中でゴールに向かって突き進むプロジェクトには慣れている。
今回のプロジェクトのゴールは簡単だ。
万が一、いまの状態がずっと続くとしても耐えられるような生活リズムを作ること。
まずは家族で話し合って、全員分のタイムスケジュールを作り、それを毎日修正していった。
朝は、文字通りホームルームをして、子どもたちにその日の予定を説明する。
ちゃんと学校と同じように体育の時間や工作の時間もとっているので、今日はそこで何をしたいかを話し合い、やるべきことをみんなで合意してから、1日がスタートする。
ぼくは、とにかく仕事に使える時間が少ないので、朝からラストスパートをかける勢いで働く。
これまでなら、何時間もダラダラとやっていた会議を30分で終わらせ、30分で終わるものは15分で終わらせる。
良いことやおもしろいことを思いついたら、モニョモニョと悩まずにすぐに提案し、実行する。うまく行かなかったらすぐに引っ込める。
判断のスピードがものすごく速くなった。
もちろん、いつもうまくいくわけではない。仕事中に、いきなり兄弟ゲンカが始まることもあるし、ぼくの打ち合わせが延びてしまって昼食の用意が遅れてしまうこともある。公園で遊ぶ時間がなくなって、子どもたちの不満がたまったりして、リズムはどんどん崩れていく。
それでも、ちゃんと夜はやってくる。
家族が寝静まった深夜、もうヘトヘトになって、今すぐ布団に潜りこみたいところをがまんして、1日の振り返りをノートに書いて、その反省をもとに、修正した明日の予定をホワイトボード(子どものドリルの付録についていたおえかきボード)に書きこむ。
そんな毎日を繰り返していたら、不思議なことに、仕事ではこれまでにないおもしろい取り組みが発生したり、子どもたちも自分から勉強をするようになったり、家の手伝いをしてくれるようになった。
上の子などは、もう学校に行かなくても大丈夫とさえ言っている(それは良くないと思うが)。
何よりも、ぼく自身がこれまであんなに不完全燃焼な毎日について悩んでいたはずなのに、今は謎の充実感を覚えている。
今までは、時間がないと言いながら、まだ本気で生きていなかった
さて、一体ぼくに何が起こったのだろうか。
簡単だ。
要するに、これまではまだ余裕をかましていたのだ。
モヤモヤするとか不完全燃焼だとか言いながら、本気で生きていなかったのだ。
もう自分は年だしとか、高尚な仕事じゃないとやりたくないとか、なんでこんなつまらないことを俺がやらねばならんのだとか、自分にいいわけをしていた。
あっちこっちといろんなものに保険を掛けて、どれも中途半端に手をつけて身動きが取れなくなり、自分で自分を縛っていたのだ。
それが、もうこれまでの半分しか時間がない、となったときに急に目が覚めた。本当に自分が大切にしているものを優先し、そうではないものを捨てて、必死に生きるようになった。
ぼくに必要だったのは、自分のがんばりに優先順位をつけざるをえない、選択肢が極端に少ない状況に追い込まれることだったのだ。
またいつか、大事なことを忘れてしまったときのために
今回は、ぼくが今経験していることをありのままに書いた。これからもどんどん状況は変わるだろうし、また気づかないうちに元のいらぬ余裕を取り戻してしまって、再び不完全燃焼がどうだとか言い始めるかもしれない。その時のために、忘れないように、心構えや今やっている工夫を書き留めておこう。
あ、忘れてた。
あと、インターネットに文章を書くことは、たまにでもいいから書き続けること。
[おしまい]
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」
一生懸命がんばることは、ほめられることであっても、責められることではありません。一方で、「報われない努力」があることも事実です。むしろ、「努力しないといけない」という使命感や世間の空気、社内の圧力によって、がんばりすぎている人も多いのではないでしょうか。カイシャや組織で頑張りすぎてしまうあなたへ、一度立ち止まって考えてみませんか。
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執筆
いぬじん
元コピーライターで、現在は事業開発に取り組んでいる。中年にさしかかり、いろいろと人生に迷っていた頃に、はてなブログ「犬だって言いたいことがあるのだ。」を書きはじめる。言いたいことをあれこれ書いていくことで、新しい発見や素敵な出会いがあり、自分の進むべき道が見えるようになってきた。今は立派に中年を楽しんでいる。妻と共働き、2人の子どもがいる。コーヒーをよく、こぼす。
撮影・イラスト
松永 映子
イラストレーター、Webデザイナー。サイボウズ式ブロガーズコラム/長くはたらく、地方で(一部)挿絵担当。登山大好き。記事やコンテンツに合うイラストを提案していくスタイルが得意。