どんなに知識があっても「知恵」は身につきません──知恵は持つものではなく使うものなんです
わたしたちは毎日、数多くの問題に直面します。問題を対処し、前進するうえでもっとも大切なのが「知恵」です。
ところで、「知識」と「知恵」にはどのような違いがあるのでしょうか? そして「知恵」を身につけるためにはどうすればよいのでしょうか。
そこで、社会文化的要因と知恵の関係性を研究しているイゴール・グロスマンさんに、サイボウズ式編集部のアレックスが聞きました。
知恵とは「日々の生活で起きる問題にどう対処するか」
大学時代に心理学の授業を受けました。でも、イゴール先生の専門である「知恵」の話は、一度も聞いた覚えがありません。
心理学的に「知恵」は、「知識」とはどう違うのでしょうか。
知恵は、知識のような「蓄積するもの」とは異なり、「よい判断をするためのもの」ととらえることが多いですね。哲学でも心理学でも。
わたしの研究室では、「人々が日常生活の中で起きる問題にどう対処するか」という視点で知恵を扱っています。
これは新しい見方ではなく、アリストテレスや老子、孔子の書物にも類似のアプローチが見られるんですよ。
おもしろいことに、哲学的な視点の多くが、最近心理学で脚光を浴びている2つのプロセスに関係しているんです。
1つ目は「メタ認知」です。
自分や自分の置かれている状況を客観的にとらえて、「どうすれば、問題となっている状況を解決し、前に進むことができるか」を考える力がメタ認知です。
2つ目は「道徳的願望」です。
わたしたちには「本当はよい行いをしたい」という願望があります。しかし、さまざまな制約によって、それが叶えられない状況がよく起こります。
つまり知恵とは、困難な状況下で「他者と協力しながら、道徳的願望に近づけること」でもあります。
つまり、メタ認知と道徳的願望という2つの知恵によって、目の前の問題を適切に対処していくわけです。
ここで大切なのが、「知恵を身につけるプロセスは、知識を蓄積するプロセスとは異なる」ことです。
たとえば、スーパーコンピューター並みの記憶力の持ち主であっても、人とうまく付き合えないのと同様に、どんなに知識がたくさんあっても、知恵は身につきません。
知恵は、一度つけて賢くなれば、分野を問わず発揮できるんですか?
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、「知恵とは、状況に応じて適した戦略を考えることだ」と言っています。そういう意味では、メタ認知はすべての分野に適用できるはずです。
だからといって、どんな状況でも同じような対応ができるわけではありません。知恵が発揮されるかどうかは、過去の体験、経験、社会性、生い立ち、目の前の状況のとらえ方など、多くの要素に左右されます。
「内省の質」が知恵を測る指標
知恵がある人と、そうでない人との違いは何でしょう? 「どれだけ効率的にメタ認知を使いこなせるか」でしょうか。
知恵と効率は関係ありません。戦闘機のパイロットは効率よく情報を収集し、複雑なタスクをこなしますが、だからといって知恵があるとは限りません。
知恵のある人とそうでない人の違いは、「論理的思考のプロセス」にあります。
知恵がある人は、一辺倒のトップダウン式の方法ですべての問題を解決しようとしません。外部の視点も含めて、幅広い観点から物事を検討しながら、内省します。
その「内省の質」が、知恵を測る重要な指標です。
答えを知っていたら、いまごろ巨万の富を築いてカリスマ的存在になっていたでしょうね(笑)
このテーマについて本格的な実証研究が行われるようになったのは、ここ30年のことで、正確な科学的研究よりも憶測が多いんです。
ただ、繰り返し困難な状況にさらされると、時間の経過とともに知恵を身につける人がいるとわかってきました。
こういう人は、まるで車の後部座席から少し距離を保ってフロントガラスを眺めるように、物事を客観的にとらえる術を身につけて、メタ認知を強化します。それが実りある内省につながります。
このように、物事を客観的にとらえるように意識すれば、メタ認知は自分でもトレーニングできるでしょう。
同僚との交流が知恵を育む
会社では、グループでの活動に力を入れるといいですよ。社会的なかかわりがあると、知恵を発揮しやすいという研究結果があります。
長期的に観察すると、同僚との交流が多い人や、職場に大切に思う同僚がいる人のほうが、知恵がつくことがわかっています。
これは、集団の中にいると、自分とは異なる考え方や先入観を覆すような視点に直面するからだと考えられます。
メンター制度を取り入れてメンターとメンティーのペアを組むと知恵がつくこともわかっています。
メンター制度を取り入れている多くの会社では、受け手であるメンティーが注目されがちです。
しかし、教える立場になると、視点が変わり別の角度から物事を考えるようになるので、メンターに注目するのもおもしろいと思います。
また、知恵を身につけるためには「自分は失敗する」という事実を受け入れることも大事です。
自分の限界を認め、そこから学ぶ姿勢を持ち、過去の失敗だけでなく成功につながりやすい戦略をグループで共有するのです。
人間は互いにコミュニケーションし、歩調を合わせて、ともに未来に向けて計画するように進化してきた社会的な動物です。
もし箱の中に閉じ込められて、社会的背景をまったく考慮せずに判断しろと言われたら、それは社会的動物としての人間の能力と相容れないでしょう。
年齢を重ねても知恵がつくとは限らない
わかりません。知恵が年齢に左右されるかどうかを示すエビデンスは、ほぼ皆無です。
たとえば、年齢が異なる2つの集団に何らかの違いがあったとき、その原因が、集団による違いなのか、年齢なのか、育った文化なのか、知りようがありません。
一方で、多くの認知能力は、20代から年齢とともに低下することが研究でわかっています。
時間をかけて蓄積された知識、つまり「結晶性知能」は、健康であれば70代、80代になっても蓄積され続けますが、それもいずれは衰えていきます。
でも、知恵についてはわかっていません。子どもよりも大人のほうがメタ認知を活用しているのは確かですが、同一人物を長期間にわたって追跡調査した研究はありません。
異なる文化、異なる時代に育った人々の観察に基づいて推測するしかありません。
若者と年長者に、ある問題を解いてもらう研究がドイツで行われました。
すべての年齢層に理解しやすいような問題では、どちらのグループも結果は同じでした。
でも、年長者が日常生活で経験していないような内容の問題を出すと、年長者のパフォーマンスは大きく低下しました。つまり「経験が豊富であっても、必ずしもそれが役に立つとは限らない」のです。
年功序列は創造性を奪う
そうですね。多様性によってさまざまな視点がもたらされるので、職場では世代を超えたかかわりがプラスに働くと思います。
若者は一般的に、自発的で素早く、たくさんの議論やブレインストーミングのアイデアを生み出します。
しかし、アイデアを取捨選択し調整して、1つにまとめあげることは、年長者ほど得意ではありません。
一方で、若者が何か見落としたり、思い込みがあったりする場合には、年長者の意見はプラスに働きます。
質問を投げかけて会話を始めるだけでもよいと思います。そういう意味でも、世代を超えた協力関係はとても重要です。
わたしは支持していません。年長者を尊敬することは道徳的には大事だと思います。ですが、「尊敬や感謝」と「権力」を混同するのは危険ですし、年功序列によって創造性が奪われてしまう危険があります。
また、権力の座に就く人は、自分の失敗を認めにくくなりがちです。知的謙遜、つまり「自分はなにを知らないか」を理解することは、知恵をつけるには重要な要素です。
職場では、知的謙遜の文化を促す方法に目を向けるべきでしょう。肯定して対立を避けるという意味ではなく、異なる視点を求め、共有し、認めることが大切です。
もちろん、会社や仕事、業務などによりますが、全般的に知的謙遜を促すことは非常に有効です。
ローテーション制ですね。年功序列型の組織では、常に権力を求める人が出てくるので、フラットな構造は機能しません。何らかのリーダーシップが必要になります。
でも、リーダーシップは必ずしもトップダウン式である必要もなければ、不変である必要もありません。
ローテーション制は、さまざまな年齢や経歴の人が重要なポジションに就ける利点があります。勉強にもなるし、視野も広がるので楽しみもありますよ。
知恵は「持つ」ものではなく、「使う」もの
深刻な弊害はないと思います。創造性を発揮するにはメタ認知が必要なので、創造性は知恵の一部だと言えます。
さまざまな視点から物事を見て、さまざまな角度から検討する能力が、創造性の鍵を握っています。
また、協力したり、妥協したり、バランスを取ったりする能力も知恵の1つですから、頑固になることも少ないでしょう。
知恵のある人は「真実の逆も、また真実であり得る」という考えを受け入れられるため、社会的にも知的な意味でも物事を受け入れやすいのです。
とはいえ、メタ認知は人を疲れさせます。練習を重ねれば機械的に適用できるようになりますが、一般的に経験則に基づいて判断するよりは手間がかかります。
知恵をつけるには、心地良い場所から一歩踏み出し、慎重に考えなければいけないので、エネルギーを使います。
おそらく、これが知恵の最大の弊害でしょう。知恵も賢く使わなければいけません。
そうです。人は知恵があるか、ないかのどちらかだ、というのはよくある誤解です。これが当てはまる人もいるでしょうが、ごく少数に過ぎません。
わたしの研究によれば、どちらかというとグラデーションのようなもので、状況によって大きく違ってきます。
一般的な傾向はあります。メタ認知を活用する傾向が強い人は存在するので、一般的に知恵があるといえるかもしれません。
ただし、日頃から知恵を発揮しているからといって、特定の状況で知恵が発揮されると約束されるわけではありません。決定論ではなく、確率論なのです。
執筆:アレックス イラスト:髙野 綾美 編集:竹内 義晴
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編集
竹内 義晴
サイボウズ式編集部員。マーケティング本部 ブランディング部/ソーシャルデザインラボ所属。新潟でNPO法人しごとのみらいを経営しながらサイボウズで複業しています。