「やりたいこと」を言いづらいのは、一人でやりきれるか不安だから──サラリーマンのぼくが伝えたい「動機を同期する」方法
会社から求められる「やるべきこと」と、自分が「やりたいこと」のバランスをとるのは、なかなかむずかしい。
無防備に「やりたいこと」を表明すれば、すべての責任が自分ひとりにのしかかったり……。「やりたいこと」があっても、どう実現すればいいか分からなかったり……。
どうすれば、サラリーマンは会社で「やりたいこと」を叶えられるのでしょうか?
元コピーライターで、現在は事業開発に取り組んでいるいぬじんさんに、コラムを寄稿いただきました。
いつまでも無邪気に「やりたい」と言ってられない問題
『必ず手に入れたいものは、誰にも知られたくない』という歌がある。
若い頃、ぼくはこの歌詞の意味があまりよくわからなかった。手に入れたいものがあるなら、できるだけ色んな人たちにそれを知らせれば、自然とチャンスが巡ってきて、いつかは手に入れることができる。そういう風に思っていたし、実際にそういう経験を何度もしてきた。
ところが、年を取って体力が落ち、子育てが忙しくなると、24時間仕事のことばかり考えられない。いつまでもそういった無邪気な態度で働くわけにはいかなくなってくる。
ぼくは、特に子どもが小さい頃、本当はもっとバリバリ働きたいところをグッとこらえて、泣く泣く保育園のお迎えに行く……といった感じですごしていた。
そういう生活の中で無防備に「やりたいこと」を表明していると、「そういえば君、こういうこと、好きだったよね?」といった感じで、わりとキツめの仕事が飛んできたときに、返答に困ることがあった。フルパワーなら十分に対応可能なんだが、今はけっこう難しいなあ……と悩み、場合によると断らざるをえなかったりする。
仕事を断ること自体は何も問題はないのだが、「やりたいことを断ってしまった」というのは、自分自身に対して地味に効いてくる。せっかくのチャンスを無駄にしてしまっただけでなく、これからは同種の相談がもう来ないかもしれない、なんて勝手に想像してしまい、余計に落ちこむ。
また、そういう思いをするのがイヤで無理に引き受けた時は本当に大変で、対応する時間を工面できなかったりする。家族が寝静まってからパソコンを開いて夜中に悪戦苦闘したりしていたが、睡眠不足が続くと一気に体調が悪くなってしまう。
「やりたいこと」が「やらなきゃいけないこと」になる
そうやって何度か辛い経験を繰り返した結果、ぼくは気づいたのだ。
サラリーマンにとっての『必ず手に入れたいものは、誰にも知られたくない』ことの意味に。
「やりたいこと」を誰かに知られてしまうと、それは「やらなきゃいけないこと」になってしまう。
そこで弱音を吐いても、「え……だって、前からやりたいって言ってたよね?」と返されてしまう。ぐうの音もでない。自分で自分の首をしめてしまうのである。
だから、死線をくぐり抜けてきたサラリーマン諸氏は、そんな簡単に「やりたいこと」を口にしない。
色んな人たちの話に耳を傾け、思慮深げにうなずき、意見を求められればそつなく何かを答える。けれども、決して、決して「やりたいこと」をさらけ出すことはない。それがサラリーマンの護身術なのだ……。
「やりたいこと」を隠したらどうなったか?
ぼくは、今書いたような理由で、30代後半の一時期、「やりたいこと」を隠したまますごしていた。その結果、どうなったか?
まず、仕事に対する判断力が弱まった。ぼくは、物事を判断するときに、論理的な考えや根拠のある理由以上に、こっちを選んで失敗しても後悔しない、という気持ちをとても大事にしている。ところが、「やりたいこと」を隠して、どこか他人事のように仕事に取り組んでいると、そういった熱い気持ちが生まれない。その結果、自分で何かを決めることが苦手になってしまった。
また、毎日が、不完全燃焼なものになった。いつも、これは本当に自分がやりたい仕事ではないのだ、という思いを持ったまま働いていたので、どこかで力を出し惜しんでいた。だから、今日は全力を出し切ったぞ、と思える日がほとんどなかった。
それまでの人生で、ぼくは自分が「やりたいこと」を信じてやってきたように思う。もちろん妥協もあったし、あの時の判断は間違っていたなという時も何度もある。だがいつだって「やりたいこと」が羅針盤になってくれ、進むべき方向を指し示してくれた。
ところが「やりたいこと」を隠しはじめると、それは周りだけではなく、ぼく自身にも見えなくなってしまい、ついには生きがいすら見失うようになってしまった。
ひとりで実現できないなら、みんなで力を合わせて
さて、ぼくはそんな状態からどうやって脱出できたのか? それは他人の力を借りることだ。
自分の「やりたいこと」を他の人たちに知ってもらい、応援してもらえるような関係性を作る。ぼくはこれを、「動機」を「同期」すると呼んでいる。
ぼくだけではない。誰もが何か「やりたいこと」を持っている。「やりたいこと」というと、なんだかすごいことのように聞こえるかもしれないが、もっとささやかなことでいい。毎日を機嫌よくすごしたい、というようなことでもいいんじゃないか(むしろ、それよりもすばらしいことは、なかなかないようにも思える)。
そんなそれぞれの「やりたいこと=動機」は、なかなか自分一人では実現できないものだ。その点、職場というのはすばらしい。たくさんの人たちが集まって、力を合わせることができる。だったら、職場にお互いの「動機」を持ち寄って共有し、それぞれを実現させようと協力することもできるんじゃないだろうか。
ぼくの職場には、そうやって自分の「動機」を持ちこんで、周りの人と「同期」させている人たちがたくさんいる。アイドル好きの人には、アイドルや「推し活」に関して知りたいという相談が来るし、旅行好きの人には、地域活性化に関する質問が寄せられるし、子育てに悪戦苦闘している人には、働きながら子育てをすることの大変さについてインタビューしたいという依頼が来たりする。
それらはすぐには仕事と結びつかないこともあるけれど、そうやって、少しずつみんながその人の「動機」を知るようになっていく。
そういう話をすると、いぬじんさんの働いている職場が特殊なだけですよと言われることがあるけど、そんなことはないと思う。
ぼくは、ほかの会社の人たちが「動機」を他の人たちと「同期」させて、新しいことをはじめたり、それが会社の看板となるような活動になったりするケースもたくさん見てきた。そういった場面に出くわすたびに、この国の会社はまだまだやれるぞ、と元気をもらえる。
「動機」を「同期」する関係を育てるためには
では、自分の「動機」を他の人たちと「同期」するためには、どうすればいいのか。重要となってくるのが、よく話すことだ。
お互いの「やりたいこと」やぼんやりとした願いを伝えあい、お互いの「動機」について理解しあう。そして、この職場でそれらを実現するために、どんなことを協力しあえるかを一緒に考える。そんな対話の場と時間をちゃんと作ることが役に立つと思う。
とはいえ、わざわざ自分から「やりたいこと」をさらけ出しにいくのは難しい。
たとえば、直接一緒に仕事をすることのない人や、別の支店や支社の人、腹を割って話せる親しい同僚など、そういう話をしても問題のなさそうな間柄の人と話してみるのはどうだろう。ランチをしながらでもいいし、お酒の席でもいい。
けど、ぼくがおすすめしたいのは、何かのついでの話ではなく、「やりたいこと」について話す、ということ自体をちゃんと主目的として、お互いに時間を取って、じっくり話すことだ。
ぼくの同僚に、これがとても上手な人がいる。定期的に「いぬじんさん、ちょっと相談があるのですが、時間もらえますか」と連絡をしてきてくれる。相談がある、と言われたら、ちゃんと時間を取って話をしよう、となる。
で、実際に話しはじめると、たしかに相談もあるのだが、お互いの「やりたいこと」がちゃんとゆるぎないものとしてあって、その実現に向けて取り組めているかを確認しあう場になる。だから、ぼくもこの人の真似をして、色んな人に「ちょっと相談があるのですが」と言って声をかけてみる。怒られたことは一度もない。
そうやって、みえてきた「進みたい方向性」について周りに伝えることで、応援してくれる人たちも現われはじめた。
はじめは1人。
そのうちに2人、3人。
今はもっとたくさんの仲間がいる。
だから、あらためて思う。「やりたいこと」は隠すものじゃない。ぼくたちがこれからの人生を進んでいくときに頼るべき、心強い味方なんだと。
変えていく自由と、変化を引き受ける責任
最近は、色んな会社で、「対話の場」を設けるケースが増えてきたように思う。会社は会社で、社員にモチベーション高く仕事に取り組んでもらえるように試行錯誤をしている。それはすばらしいことだと思う。
ただ、実際に「やりたいこと」をサラリーマンとして実現していくのは、ぼくたち自身だ。
もちろん、うまく会社が提供してくれる機会を生かして、仲間づくりができるなら問題ないけど、なかなかそうはいかないことも多い。また、どうしても会社主導での取り組みだと、遠慮してしまったり、経営者や上司に忖度してしまったりもする。
じゃあどうすればいいのか?
簡単だ。ぼくたち自身が、仕掛けていけばいい。自分たちで「対話の場」を作って、色々と試していく。
そして、賛同してくれる仲間を増やし、なんとかして会社の中で「やりたいこと」が実現できないかを探っていく。粘り強く。死線をくぐり抜けてきたサラリーマン諸氏なら、できるはずだ。
今の企業には、まだまだ一人一人の「やりたいこと」を応援しあえる環境が十分に整っているとは言えない。
それを変えるのは、ぼくたち自身。「動機」を「同期」できる関係をつくっていくことが第一歩になるだろう。
みんなで会社をひっぱって変えていく「自由」と、その変化の結果をみんなで引き受ける「責任」。
そんな、自立した個人が支えあう会社があれば、これは最強だなあと思う。
というわけで、みんなで一緒にサラリーマン人生を変えていきませんか。
(おしまい)
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執筆
いぬじん
元コピーライターで、現在は事業開発に取り組んでいる。中年にさしかかり、いろいろと人生に迷っていた頃に、はてなブログ「犬だって言いたいことがあるのだ。」を書きはじめる。言いたいことをあれこれ書いていくことで、新しい発見や素敵な出会いがあり、自分の進むべき道が見えるようになってきた。今は立派に中年を楽しんでいる。妻と共働き、2人の子どもがいる。コーヒーをよく、こぼす。
撮影・イラスト
松永 映子
イラストレーター、Webデザイナー。サイボウズ式ブロガーズコラム/長くはたらく、地方で(一部)挿絵担当。登山大好き。記事やコンテンツに合うイラストを提案していくスタイルが得意。
編集
深水麻初
2021年にサイボウズへ新卒入社。マーケティング本部ブランディング部所属。大学では社会学を専攻。女性向けコンテンツを中心に、サイボウズ式の企画・編集を担当。趣味はサウナ。