そのがんばりは、何のため?
管理職のきみと、いつか管理職になるきみと、管理職が苦手なきみへ
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」。今回はたらればさんに、「頑張りとモチベーション」についてコラムを執筆いただきました。
「編集長」という中間管理職、「自分がやらなきゃ」と思い込んでいた
みなさん、「編集長」と聞いてどのような職務を想像するでしょうか。わたしは若い頃、「やりたいことがなんでもできるえらい人」だと思っていました。 オフィスを見渡せる奥まったスペースに立派な机と豪華なイスが用意され、いつもそこにどかっと座って、自分の好きな人に書いてほしいことを書いてもらい、「どうだ、おもしろいだろう」とのたまって読者に喝采を浴び、そのくせ「いやいや、えらいのは書き手ですよ」なんていう存在。 出版社に就職した22歳のわたしは、すくなくともそうした姿を夢見ていました。いつか編集長になって、好きな書き手に好きなことを書いてもらうんだと。 けれど、実態はぜんぜん違いました。苦労して実際に編集長になってみると、驚くほど「自由」がない。 「あれ、編集長って、つまり中間管理職なのか」と、このとき初めて気づきました。 そしてなにより、これは多くの中間管理職のみなさんが首肯してくれると確信しているのですが、若い頃わたしが「自由だ」と思っていた多くの要素は「妥協の産物」であり、上からと下からと右からと左から迫りくる壁のなかで、なんとか活路を見出す「箱庭のもがき」のことでした。 仕事における「自由」とは、「できること」と「許されていること」と「会社や読者(顧客)に望まれていること」をすべてクリアしたわずかな手持ちピースの組み合わせに「やりたいこと」を織り交ぜて、なんとか「成果」というパズルを完成させることだったわけです。いやぁ、至難の業だ。 この業を、どうにかして、もうすこし「なめらかに」できないか、あるいは全体のサイズを大きくして成果を大きくできないか。 そう考えて毎日やりくりしていたら、ある日、体調が崩れたうえになんと自分が業務のボトルネックになっていることに気づきました。 いやぁ…お恥ずかしい。なんでそんなことになったのか原因を考えてみると、どうもわたくし、「自分でやったほうが早い」という「呪い」にかかっていたようなのです。管理の第一歩は「仕事を分けて環境を整備する」こと…と宮本武蔵も言っている
「自分がやらなきゃ」、「自分でやったほうが早い」を積み重ねていくと、「誰もやってくれない」に行き着かざるをえなくなります。作業の責任とは、「それを(面倒くさくても)適切に割り振ること」まで含まれていると思ったほうがいいようです。 誰にも割り振れずに自分でやり続けるかぎり、仕事は(作業者の器以上には)まったくスケールしないし、そもそも管理職を置く意味がなくなります。 仕事全体の成長が止まるだけでなく、管理者は自分だけで仕事を回している気になって心も体も削れていき、周囲も仕事の最適化について考えなくなります。わたしはなりました。すまん。 釣った魚を分け与えるだけでなく、釣り竿を渡して釣り方を伝えることまでが仕事なのですよね。 陸上『400m走』の世界記録は、ウェイド・バンニーキルクの43秒03(2020年9月28日時点)ですが、4人でバトンを繋いで走る『400mリレー』の世界記録はそれより6秒以上速い36秒84(ジャマイカ代表)です。 このリレーの記録は、ウサイン・ボルトの100m走世界記録を4倍したタイムよりも速いのです(9秒58×4=38秒32)。 ボルトがひとりで4回走るより、誰かにバトンをつないで協力して走ったほうが速い。いわんやわれわれ凡人をや。ひとりで走ってる場合かと。 もっとはっきり書けば、管理職は管理に専念したほうがいいし、作業員は作業に専念したほうがいい。「仕事を分けて、環境を整備する」ことこそが「管理」の第一歩だったりするわけです。 編集長になりたての頃のわたしは、そんな簡単なことさえわかっていませんでした。本当に、すまん。 では具体的に「管理」って何をすればいいのか。個人的に大変参考になったのは、『五輪書』でした。マジか。マジです。『五輪書』は1645年頃、江戸時代初期、宮本武蔵によって書かれた兵法書です。 この頃、長く続いた戦国時代に終止符が打たれ、平和な江戸時代が訪れたことにより、「戦闘員としての武士」と「政治家としての武将」のあり方が見つめなおされる状況にありました。 そうしたなかで、大変すぐれた兵法家であった宮本武蔵は、「たとえば家を建てるにしても、棟梁の仕事とその棟梁の指示に従う大工では、作業や関心事がまったく違う」と書いています。 はっきりと、「武将≒管理者」と「兵士≒従業員」の仕事は別だ、と書いてあるんですね。 どう違うかというと、武将(棟梁/管理者)の仕事
・ルールや法律(矩)をよくわきまえておく
・大工(従業員)それぞれの技量を把握して各々に合った(違う)作業を割り当てる
・いい加減な仕事を許さない
・(それぞれの大工の)やる気には上中下があると知る
・仕事全体に勢いをつける
・無理なことは無理だと知る
兵士(大工/従業員)の仕事
・自分の使う道具はよいものをそろえる ・その道具を大切にして手入れを怠らない ・その道具をうまく使えるようになる 参照:『宮本武蔵「五輪書」』 魚住孝至編 角川ソフィア文庫刊、「地の巻 兵法の道」より本記事の作者が要約達成感を得てもらうために、管理職が知りたいこと
宮本武蔵はさらっと(管理職の仕事として)「仕事全体に勢いをつける」と書いていますが、その前に「やる気には上中下ある」と書いてあるとおりで、そんなに簡単に「勢い」なんてつけられるものじゃないんですよね。そもそも「やる気スイッチ」ってどこに付いてるんでしょうか。 これ、どこにあるかは人それぞれ違うんですけど、ひとつ特徴があるなとは思っています。それは、「自分のスイッチは見つけづらいけど、他人のはわりと見つけやすい」ということ。管理職って、そのためにいるんじゃないかとさえ思っています。 この点で参考になるのが、アメリカの心理学者フレデリック・ハーズバーグの職務満足における研究です。 ハーズバーグはピッツバーグの11の会社の技術者や会計士と面接調査を実施して、「仕事を頑張ろう」と思うような要因と、「仕事なんかやってられない」と思うような要因は違う、という結果を発表しました(ハーズバーグの二要因理論)。 最初のこの図を見たときはかなり衝撃的だったのですが(「昇進」や「成長」や「給与」が、仕事の満足感や不満度に比較的大きな影響を与えておらず、それらよりももっとずっと「達成(感)」や「承認」、「会社の制度と管理」のほうが満足/不満を左右するとは…)、たしかに自分や周囲の人間を観察してみると、おおいに思い当たるフシのある調査結果だとも思います。 では次に気になるのが、この「達成(感)」を得てもらうためには、どうすればいいか。 わたしがこの「ハーズバーグの二要因理論」を知るキッカケになった本、『心理学的経営』(大沢武志著/PHP研究所刊)によると、「自己申告制度」が有効だ、とあります。 自分で「これがやりたい」と口に出すこと。それを誰かに伝えること。 なるほど「やりたいこと」って、空から降ってくるものでも蛇口をひねったら出てくるものでもなく、ただ自分の心を覗いていると、そこから染み出てくるものがあって、それを掬い取って育てて言葉にする必要があるんですよね。 これも中間管理職の多くが同意してくれると思うのですが、後輩や部下って、なかなか「やってみたいこと」を言ってくれません。言ったら仕事も責任も増えることが大きいからでしょうが、「(責任や作業量が増えても構わないと思えるほどの)やりたいと思えることがない」というケースも多いのだと思います。 そもそも何か「やりたいこと」をもつこと自体がリスクですし(「やりたいこと」がなければ挫折を味わうこともないので)。 けれど、それでも、後輩や部下には「やりたいこと」を思い浮かべて、先輩や上司に伝えてもらいたい。 なぜなら、それこそが仕事における「達成(感)」を得る最短の道であり、また上司と部下、先輩と後輩が「同じ方向」へ進むために最低限必要なことだからです(向き合ってばかりだとぶつかりますから、同じ方向に進むことが大事なのだと思います)。 そうしたことを考えると、中間管理職にとって重要なのは「伝えてもらう機会」をなるべく整えることであり、いま多くのスタートアップ企業が「1on1ミーティング」を頻繁に実施しているのは、それが狙いなんだろうなと思います。始めたことを「がんばり続けるための準備」
長く中間管理職をやっていると、ごくまれに「自分で勝手にやりたいことを見つけて、勝手に各種手続きを用意して、勝手にやり遂げて、部署や会社の業績をあげてくれる部下や後輩」に遭遇することがあります。 一度、某巨大製造業の取締役の人に、「そういう部下って、どうやって育てるんですかねぇ…」と聞いたことがあります。もしかしたら効率的な育成法みたいなものがあるんじゃないかなと思って。 そしたら「育てられません」と即答されました。「そういう人は石油みたいなものなんです」と。え、せ、石油。 「あちこち調べて、たくさん掘り起こして、運がよければ手に入ります。けれどそのままでは役立つことはなく、場所や機会を用意してあげる必要があります。ただし放っておいたり雑に扱うと、そのうち揮発して消えてなくなったり、炎上したりします」 と、立て板に水でまくしたてられました。 きっと何度も似たことを考え、思い悩み、現時点での結論に達したんだろうなと思います。 育てるコツが存在しないのだとしたら、地道に探し続けて、受け入れ態勢を整えて、環境を整備し続けるしかありません。 だからこそ、管理職にとって重要なのは、後輩や部下が思いつきで何かを始めてみたり、何かと何かの間に挟まって苦労したりしたあとで(「始めること」も「挟まること」も大事な仕事だと思うのですが)、その「始めた何か」や「挟まってもおたがいがぶつかって摩耗しないような状態を保つこと」を、「続けられるようにすること」なのだよなあ…と、最近よく考えます。 「続けられるようにすること」。大事なことなので改めて書きました。 がんばれば、たいていのことは始められます。けど、続けてゆくことはその何倍も難しい。自分と周囲の環境を調和させないといけないからです。 アリストテレスは、「優秀さとは、単発的な行動ではなく習慣のことである」と言ったそうです。毎日なにを積み上げていけるか、そのために何を準備すればよいか。 これは管理職かどうかに限らず、仕事で何かを成し遂げたいと思うのであれば、その日1日がんばるのではなくて、がんばり続けるために必要な準備を整えたほうがよいと思います。 この「がんばり続けるための準備」のひとつが、自分の取扱説明書をもっておくことなのだと思っています。案外、自分のトリセツに無頓着な人は多いですが、あるとすごく便利なので、騙されたと思って書き出してみましょう。 好きな食べ物は何で、嫌いな食べ物は何か、読んで気分が上がった本や音楽は、食べて気持ちが前向きになれたご飯はどんな料理だったか、言われて嬉しかった言葉はどんな言葉だったか。 これには向き不向きがあると思うのですが、私自身について言うと、「よかったこと、前向きになれる方法」を書いておいたほうがいいと思っています。それもなるべく具体的に。 仕事の選択肢で悲観的なほうを選びそうになったら、とりあえず温かい食べ物を食べる。誰かに謝ったり謝られたりする時はなるべく文字だけでなく、音声や対面などのコミュニケーションを混ぜる。愚痴が出そうになったらお気に入りの漫画(最近は『ちはやふる』末次由紀著 第40巻と『スキップとローファー』高松美咲著 第2巻)を開く。 自分の身の上に降りかかってくる運命を変えることは難しいけれど、悲しいことやつらいこと、楽しいことやうれしいこと、いろいろあるなかで、そのうちの何を書きとどめておくかは、自分で選ぶことができるんですよね。「がんばる必要のないところでがんばってしまっている人」へ
自分の仕事を振り返ってみると、たくさん間違えてきたなぁ…と実感します。「編集長になればなんでもできる」と思って間違え、「管理職は従業員ができることをすべてできなければならない」と思って間違え、「いざとなれば全部自分でやればいい」と思って間違えてきました。 「がんばりすぎた」などと都合のいい言い方はしません。「がんばる必要のないところでがんばってしまった」のだと思います。「無理なことは無理だと知る」ができていなかった。 もしいま、不要ながんばりに陥っている人がいるとしたら、「誰かにバトンを渡したほうが、結局早くゴールできますよ」と伝えたいです。 一度誰かにバトンを渡して、ゆっくりお風呂に入って、好きな食べ物を食べて好きなマンガを読んでみる。それで気分がすこしだけ上向いてきたら、そのとき自分に「効いた」食べ物やマンガをトリセツとしてメモっておくと、きっとそれからそれが「命綱」になるんじゃないかなと思います。企画:神保麻希(サイボウズ)/執筆:たられば/編集:野阪拓海(ノオト)/イラスト:iziz
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」
一生懸命がんばることは、ほめられることであっても、責められることではありません。一方で、「報われない努力」があることも事実です。むしろ、「努力しないといけない」という使命感や世間の空気、社内の圧力によって、がんばりすぎている人も多いのではないでしょうか。カイシャや組織で頑張りすぎてしまうあなたへ、一度立ち止まって考えてみませんか。
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