医療マンガがヒットするワケは欲求不満!? マンガにみる現代サラリーマンの深層心理
近年、映画やテレビドラマの原作として使われることも多い「医療マンガ」。マンガの世界でもいわば「定番」のジャンルと言っていいでしょう。
1970年代の手塚治虫による「きりひと賛歌」や「ブラック・ジャック」を皮切りに、現在まで多くの病院や医療にかかわる人々を題材にしたマンガが描かれてきました。
特に2000年代には「Dr.コトー診療所」(作:山田貴敏)、「JIN -仁-」(作:村上もとか)、「ブラックジャックによろしく」(作:佐藤秀峰)、「医龍 -Team Medical Dragon-」(作:乃木坂太郎)といった、後に映像化されて大ヒットを記録する作品も多く生まれています。
Wikipediaの「医療マンガ」によると、1980年代以降に実に多くの医療マンガが世に出ていることが分かります。たしかに、ある特定の職業ジャンルとして考えると、マンガの数も飛び抜けて多いですね。
マンガというのは、読者の欲求を反映したエンターテイメントです。ですから、ある時代に流行っている作品の傾向を見ることで、そのとき社会的に「不足している」要素や、その時に多くの人が求めている「理想」のようなものを知るいい材料にもなるんですよ。今回は、ちょっと「チームワーク」からは離れるかもしれませんが、仕事マンガの中でも特に象徴的な「医療マンガ」の世界を見てみましょうか。
今回も法政大学キャリアデザイン学部の梅崎修先生に、医療マンガを題材に「組織」や「サラリーマン」について語ってもらいましょう。
「医療マンガ」の読者に潜む「あこがれ」
医療マンガの数が多い理由のひとつはジャンルの「細分化」ですね。「難病手術専門の医者」「過疎地域の医者」「獣医」さらには「麻酔化医」「刑務所医」「薬剤師」「管理栄養士」といった医療分野でも専門性の高い職能を持つ人物が主人公のマンガが、それぞれに存在しています。他の職業では、ここまで専門が細分化してしまうと、マンガにならないか、マンガにしたとしても読み手が限られて売れなくなってしまいそうなものです。しかし、医療マンガの世界に関してはそうではないところが興味深いですね。
医療マンガが読者を引きつける要素として「鉄板」と呼べる柱の1つは「ビジネスとしての医療と人の病気や生死にかかわるヒューマニズムとの衝突」から生まれるドラマです。
しかし梅崎先生は、細分化する医療マンガが多くの読者を獲得しているもう1つの理由として、読者の潜在的な「専門性へのあこがれ」があるのではないかと指摘します。
まず医療現場のように専門性の高い職場は、それぞれが担う役割も明確に分かれているので「物語が作りやすい」。その上で、作品が支持を得る理由は、読者の「専門性がある世界に対するあこがれ」が広く存在しているからという見方もできます。
ビジネスマンの欲求を満たす「麻酔科医ハナ」
病院の手術室で働く「麻酔科医」を主人公とした作品に、双葉社の漫画雑誌「アクション」に連載されている「麻酔科医ハナ」(作:なかお白亜、監修:松本克平)があります。
麻酔科は手術を受ける患者に対して麻酔をかける専門の科です。麻酔を必要とする手術をしたことがある人なら分かると思いますが、直接執刀し、手術の前後にも患者と接して診断する医師とは異なり、手術室以外で会う機会はほとんどありません。
このマンガの主人公である「華岡ハナ子」は、研修期間を終えたばかりの駆け出しの麻酔科医です。望んでやってきた職場ではあるものの、不規則で過酷な勤務、患者の生命維持に対する責任の重さから、さまざまな葛藤(かっとう)も抱えます。
作品のトーン自体は全体にコミカルですが、それゆえに患者の生死や医者の倫理にかかわる大きな問題に直面したときのシリアスな展開とのギャップが分かりやすく描かれており、この作品の魅力にもなっています。
ハナ子をとりまく麻酔科医のスタッフたちもそれぞれにバックストーリーを抱え、各々のキャリアの中で築き上げてきた「自負」を持って、麻酔科医という職業に就いています。
たびたび壁にぶつかるハナ子は、こうした先輩、同僚たちとのかかわりの中で、一歩ずつ、麻酔科医として成長をしていくのです。
落ち込む主人公に先輩が「俺たちの仕事は……」と語る場面があるのですが、高い専門性を持った登場人物から出てくるセリフには、カッコよさを感じます。このマンガの中には、麻酔科医という仕事が抱える痛みやつらさも多く描かれています。しかし、ネガティブな側面も専門性の一部として「語れる」という部分を、うらやましく感じるのではないでしょうか。「自分の仕事を語れる」ことへのあこがれというのは、案外多くの人の中にあるのかもしれません。本当は人の生死をコントロールするすごい仕事なのに、周囲からは”地味な仕事”と思われていること、それでも仲間のなかで成長していく点、最後には仕事を語れるようになっていくところ。私たちに身近なこの3つの要素がうまくこの漫画には描かれていて、読者の欲求が満たされ、読後にスッキリしますね。
今どきのサラリーマンのジレンマ
自分の仕事環境を見回してみると、たしかにこうした形で「専門性を語る」必要がない、むしろ「専門性など役に立たない」とされる雰囲気はないでしょうか。
かつては多くの労働者が「職人」として、それぞれに高い専門性を持った職業に就き、社会にかかわってきました。
戦後になると、自分の労働力と引き替えに会社から給料をもらって仕事をする人が大幅に増えてきました。こうした環境の中で、働く人のアイデンティティは「専門性」から、自分が属する「会社」へと移行していきます。
しかし、雇用の流動性が高まった現在の社会では、その会社さえも長期にわたるアイデンティティとはなり得なくなっています。
つまり、仕事の中に継続的にアイデンティティを求めることが非常に難しい社会になっているとも言えます。
梅崎先生は、現在の産業構造から考えれば「専門性」よりも「市場価値」を重視する働き方が求められるのは「ある意味で正しく、無理もないこと」だと言います。しかし、仕事の市場価値の側面が強調される昨今の風潮は偏向気味だとも指摘しています。「市場価値」がそのまま「専門性」につながることはないわけです。
専門性で細分化を続ける医療マンガが読者にうけている現実は、「自分の仕事の専門性をストーリーとして語り、アイデンティティを得たい」という人の潜在的な欲求の表れだと見ることもできます。
働く人が何らかの形で専門性を感じられれば、その人は自分の仕事や職場をストーリーとして語ることができるようになります。それは自分の仕事の中で感じている「痛み」や「責任の重さ」に、「意味」や「誇り」を与えることにつながるんじゃないでしょうか。これは仕事の市場価値以上の「価値」の獲得ですね。
自分の仕事やそれに伴う痛みに「意味」や「誇り」を感じること。いわゆる「やりがい」ですよね。
でも「自分の仕事の専門性を認識して、ストーリーを語る」って、そう簡単にできない気もするんですが、具体的にはどうすればいいんでしょうかね?
う~ん、そうですねぇ…。まずは自分の仕事の中に「ニッチな専門性を作る」ことから始めてみるというのはどうでしょう?
ニッチな専門性ってなんでしょう?
いわゆる職人や専門職でなかったとしても、「アイツはこういうことやらせると天下一品だ」とか「この分野ではかなわない」と周囲の人々に認められる「強み」は、誰しも持っているんじゃないでしょうか。それぞれに自分の担当している仕事の中で、そうした強みをお手製で「専門性」としてまとめ上げて、ストーリー化することはできると思うんです。自分の中の「やりがい」につながることはもちろん、そうした「ストーリーを語れる」人に対するニーズは、世の中に確実にあるはずで、そこを開拓していくという姿勢も、これからの仕事の中で大切になってくるんじゃないかと私は考えています。
なるほど。医療マンガを楽しむときには、登場人物が自分の「専門性」をどんなふうに「語って」いるかに注目してみるのも面白いかもしれません。
そこから、自分の仕事の「専門性」は何だろうと考えたり、それについて人と語ったりする機会を持つことが、仕事にやりがいを感じ続けるためのヒントになるかもしれませんね。
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