キャリアにロールモデルはいらない──脱会社員、ボツワナ支援で得た「人生の岐路で本当に考えたいこと」
こんにちは。サイボウズの育自分休暇制度を利用し、青年海外協力隊員としてアフリカのボツワナ共和国でボランティアをしている長山悦子です。農村で雇用を創出するためクラフトビジネスを立ち上げ、2015年末に2年間の活動を終えました。現在は、さらにもう1年の活動延長を決めて、パスポート更新のため日本に一時帰国してきました。
今回の育自分休暇日記では「ボツワナの文化」「アラサーで会社辞めてボランティアするってどんな感じ?」「海外ボランティアに加え、転職や留学、ギャップイヤーなどで“自分のキャリアに変化を起こす”ときに考えたいこと」を話します。
図々しさが好意のしるし。ボツワナ流のコミュニケーション
ボツワナ共和国は、わたしがはじめて訪れたアフリカの国でした。それまではアフリカにあまり興味がなかったものの、国際協力の勉強をしていたので、アフリカを取り巻くキーワードは耳にしていたくらいです。
飢餓、紛争、エイズ。雄大な自然とサファリ、汚職とダイヤモンド、植民地支配の歴史──。こんな先入観を抱いていましたが、ボツワナを訪れたことで、それらはほぼ一新されました。
小さな驚きをあげればきりがないのですが、もっとも衝撃的だったのは「人を頼ること、甘えることに肯定的」な文化でした。
日本にいると「世間様に迷惑をかけてはいけない」という礼儀正しさを感じますが、ボツワナでは「その服かわいいね、なんで私にくれないの?」とか「今晩家に行くからごちそうしてね!」とか、よく知らない人でも気軽に(そしてえらそうに)声をかけてきます。
最初はその図々しさにうんざりしていましたが、次第にそれらはただのあいさつみたいなもの、甘えることで好意を示しているのだと気づきました。
アラサー女子、日本の豪華なオフィスよりボツワナを選ぶ。
約2年ぶりに帰国した日本は新鮮でした。大量の情報がきちんと整頓されていて、何を買うにも店員さんが笑顔でていねいに対応してくれます。少し混雑した電車の中で人にぶつかると、にらまれました。
帰国直後は多少変なところがあったかもしれませんが、20数年日本で生まれ育ったこともあり、数日で日本になじみました。コンビニでファッション誌を買い、女性モデルの眉の濃さをチェックし、ネットで検索した美容院に行って髪を整えたら、それっぽい見た目になりました。
年末に遊びに行ったサイボウズの新オフィスは豪華できれい。元同僚たちの笑顔や雰囲気には慣れ親しんだものがあり、年明けからこのオフィスで働けそうな気もしました。
けれど、「農村での雇用創出」というボツワナに残してきた宿題があるので、予定通り、延長したもう1年をまっとうするためにボツワナに戻ってきました。
これまでの2年で、「ボツワナの小さな村のクラフトビジネスだって、頑張ったらちゃんと売り上げをあげられるんだ」という希望は描けたと思います。でも、それを本当に現実のものにするには、まだ時間が必要です。
外部のボツワナ人の協力も得ながら、残り1年、ボランティアが帰国しても現地の人だけで活動を続けていける体制づくりを模索していきます。
何かを変える力が欲しいなら。多様な世界を知ることの意味
キャリアについて考えるとき、大事なキーワードの1つが「パラレルキャリア」です。今はボツワナで地方の雇用創出をテーマに活動していますが、さかのぼること5年前、わたしは日本で地方の農村をPRするボランティアをしていました。
国内外を問わず、バックパッカーや留学、転職、副業などを通じて、複数の異なる文化圏を経験したことのある方は多いと思います。パラレルキャリアを含めた「不連続なキャリア」はイノベーティブな反面、それを実践するのはとても体力を使います。ずっとひとつの場所で過ごせば、変化に対するコストを払わないぶん楽かもしれません。
ボツワナの未来を考えながら、日本の未来も考える。ふたつをそれぞれ考えるのは大変だし、異なる価値観の狭間で孤独を感じることもあります。
でも、複数の世界を知っている人は、その人自身の中でも、他者とかかわる中でも、大きなイノベーションを起こす素質を持っています。それは停滞した世の中を変える力になるので、全員がそうである必要はないけれど、パラレルなキャリアを積み上げる人たちが増えていくといいなと思います。
キャリアは、「デキるひと」だけのもの?
「キャリア」というと、「バリキャリ」のような仕事一筋のできる人の働き方、というイメージを持たれがちです。でも、わたしはそのような働き方だけがキャリアを積み上げる方法ではないと思っています。
キャリアの意味を調べると、「仕事の面から見た人生そのもの」とあり、狭義では「職業、職履、進路」ですが、広義の意味では「個人の人生と生き方そのもの、その表現のしかた」と出てきます。
わたしは今ボランティアとして働いているので、給与としてのお金はいただいていません。でも、企業に勤めていたときと変わらず真剣に働き、充実感を得ています。「個人の人生の表現」という意味では、どんな場所や企業で働いていても、主婦であっても、いろいろなキャリアを各人のペースで、楽しく描いていけるものだと思います。
ロールモデルって、本当に必要?
最近よく聞かれる「ロールモデル」という言葉についても触れたいと思います。ロールモデルとは「行動の規範となる存在、お手本」という意味で、あの人のようになりたいとモチベーションを高めたり、将来の自分を思い描く参考になったりするような人のことです。
わたしは7年前、「“民間企業で働きつつも国際協力に携わる社会人”というロールモデルになり、そういう人が活躍できる仕組みを作りたい」という目標をたてていました。
圧倒的に少ない国際協力の仕事の数と、求められるスキルの高さ。その競争に勝てる超人を目指して頑張るよりも、無理せずに誰もが国際協力にかかわれる世の中を目指したかったのです。
その目標に向かう途中で、SNSやグループウェア、プロボノ、パラレルキャリア、青年海外協力隊……というキーワードに出会い、もう一歩でゴールが見えそうなところまで進むことができました。
ただ、よくよく自分のたどってきた道を振り返ると、万人にお勧めできるやり方ではありませんでした。私の個性とあっていたからこそ、うまくいった道でした。そして、世の中は7年前とは変わっていて、わたしが当初考えていた仕組みもすっかり古い考えになってしまいました。
ネットや本では、多くの新鮮で刺激的なキャリア・ライフスタイルの事例が提案されています。私自身もそういったものにたくさん刺激と勇気をいただいてきました。でも、それらの生き方は言語化された瞬間から過去のものになっていきます。
めまぐるしく変わっていく世の中では、素晴らしい先例を参考にしつつも、各人が自らの個性を考え、次の時代を見据えたオリジナルモデルをつくっていかなければなりません。正解がないぶん苦しいですが、自らの意思と責任で描いたキャリアはとても誇らしく、納得できるものになるはずです。
私が今まで辿ってきたキャリアは“普通の会社員”に軸足を置きながらも、それを少しはみだして冒険し続けるモデルでした。これからもその面白さを追いかけますが、時代や自分の変化にあわせて新しいモデルに出会うのも楽しみです。
この記事がこれから新しい転機を迎える方の、何かのきっかけになればうれしく思います。
執筆:長山悦子/編集:椛島詩央里
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