管理職になるということは
無理やり自分を「管理職っぽい人間」にあてはめようとしたら大失敗した話

働き方と同じように、管理職のあり方も、もっと多様になっても良いのではないでしょうか?
そう信じて、サイボウズ式は「管理職」について考える特集「管理職になるということは」をスタートしました。
今回は、広告代理店に24年勤務するいぬじんさんに「管理職っぽくふるまおうとして大失敗した話」について寄稿いただきました。
「管理職になること」が目的だった頃の話
40代になるより少し前、ぼくはひどく人生に迷っていた。
これまでは「広告クリエイターとしての道を進み続ける」というわかりやすいキャリアの方針があった。それが失われて以来、ぼくは進むべき道を見失ってしまっていた。
あっちの職種、こっちの領域、と会社の都合で何度も異動を繰り返し、周りから「器用貧乏になってしまっているのではないか?」と心配されたりしていた。ぼく自身も、ぼくのこれからをとても心配していた。
いま考えれば、キャリアに答えなんかなくて、自分でちょっとずつ作っていくしかないのだけど、当時のぼくは早く答えを見つけなきゃと、あせっていた。
そして、いつのまにか、何か「手っ取り早い成功」を求めるようになっていた。
会社で「手っ取り早い成功」といえば、ボーナスアップか、出世である。当時、ぼくはスタッフ職(営業ではなく、クリエイティブや戦略プランニングなど特定の領域だけを担当する専門職)だったので、ボーナスはそんなに大きく増えたりしない。
ならば、目指すは出世である。
ちょうどその頃、若いメンバーが多い部に配属になり、ぼくはちょっと年を取っているという理由だけで副部長になった。副部長といっても、たいした権限はなく、現場とやっていることはそれほど変わらなかった。
だがぼくは、ここでがんばれば部長になれる、出世のチャンスだと思って、「管理職っぽくふるまおう」としはじめたのだ。
「管理職」っぽくふるまおうとして大失敗
広告会社というのは、少し前までは「個人商店の集まり」なんて言われていたように、わりと自立した人たちの集まりだったように思う。
だから管理職といっても、いわゆるプレイングマネージャーが多く、そこまではっきりと「これが管理職だ」という定義が明確ではなかった。
しかし業務が複雑化し、リスク管理の面からも、部下をちゃんと「管理」する必要が出てきたのがちょうどその頃だった。
ぼくはいろんな本を読みあさって「なるほど、きっと管理職というのはこういうものだろう」と勝手に決めつけて、いろいろと試しはじめたのである。
しかしこれが失敗だった。
急に「1on1」っぽいことをやりはじめて、忙しい部員たちから煙たがられたり、チームビルディングの真似事をやって「これ、何のために集まってるんですか?」と真顔でクレームをつけられたりした。
部長からも何度か「君のやり方は周りからあまり評判がよくないよ」ということを遠回しに伝えられたりもした。
そんなこんなで、ぼくの副部長の期間は1年で終了し、また現場に戻ることになってしまった。
「管理職」に対するぼくの思いこみ
結局、当時のぼくは「管理職になること」が目的だっただけであって、「管理職をすること」の意味をちゃんと考えたことがなかったのだと思う。
「こういうことをしていると、きっと周りから管理職っぽいと思われるだろう」という視点でばかり考えていた。
実際に、世の中にあふれている「管理職とは何か?」という情報は、あまりにも雑多で、その領域も広すぎる。それらの情報の中で、本当にぼくに役立つことは何なのか? を判断するのはとても難しかった。
じゃあ、周りの管理職の人たちはどうしていたかというと、ぼくから見ると「運動神経の良さ」のようなものを発揮しているように思えた。
ぼくの会社では、管理職は「団体スポーツでキャプテンをつとめるような人」が多い印象だ。こういう人たちは、まるで後ろにも目がついているように周りがよく見えていて、ちょっと調子の悪そうな部下がいるとすぐに気づくし、そういう人に声をかけるのも、何の苦もなくできる。
要は「人の面倒をみたり、仕切ったりするのが昔から得意な人」が多い印象がある。
一方、ぼくは文化系でソロプレイばかりしてきた人間である。基本的に自分のことばかり考えている。直接いっしょに仕事する人に対してはまだ意識が向くけれども、関わりが薄いメンバーの様子や変化に対しては、なかなか気を回すことができない。
結局、自分のことだけしか考えていないから、管理職にはなれないし、そもそも向いていないんだ……。そう思って、勝手に落ち込んでいった。
ぜんぜん違う形で始まったぼくの「管理職」
そしていま、ぼくはまったく違う経緯で、管理職をしている。
40代に入って少ししてから、いろいろと転機になることがあり、ぼくは自分が本当にやりたいことに気づくことができた。
そこからは、それを仕事として実現しようと悪戦苦闘の日々だった。普段の仕事をやりながら、隙間の時間で、こっそりと温めていって、ちょっとずつ結果を出していった。そして運よく、その結果が認められて、新しい組織を作ることができたのだ。
そんな経緯でぼくは管理職をしているのだが、はっきり言って、ぼくはいわゆる「管理職っぽい仕事」をやっていないように感じている。
ぼくはあいかわず、部下のケアが得意ではない。そもそも、彼らのほうが、ぼくよりもずっとしっかりしているので、いつも頼っているし、困ったらすぐに相談している。
以前のぼくなら「管理職なのに情けない……」と、落ち込んでいたかもしれない。しかし、これが思いがけないプラスの効果を生み出した。
なんと、ぼくにつられて、部下も「実はこの仕事がちょっとしんどくて……」とか、「実はちょっとトラブってまして……」とか、これまでなら聞けなかったようなホンネを話してくれるようになったのだ。
おかげで鈍感なぼくでも、誰が黄色信号で、誰が赤信号寸前か、というのがわかって対応できるようになった。
いまのぼくは、管理職っぽくふるまっていた当時にはなかった「この組織をみんなでもっと盛り上げていきたい!」という気持ちが芽生えている。一人ひとりが、それぞれの役割を超えて助けあっていこうと思えている、と確信できるのだ。
ぼくにとって「管理職」は「道を切りひらく」役割だった
管理職の役割とは何なのか? ぼくが思うに、それは「道を切りひらくこと」だ。
もともといまの組織は、ぼく自身の思いからスタートした活動だけど、人が増えてきたことでいろんな意見が出て、想いもバラバラで、なかなか話がまとまらないことが増えた。
そういうとき、ぼくは無理にまとめようとしない。その代わりに、自分が率先して、こっちの方向じゃないかと思うほうに向かって行動する。
「管理職になると自分のやりたいことができなくなる」と思われるかもしれないが、実はそうではない。
管理職でも、いや、管理職だからこそ、「自分のやりたいこと」を明確にし、それを実現するための道を切りひらいてみせることが大事なのだ。
そうすると、みんなが、それをやるならこういうやり方がいいんじゃないかとか、これが必要じゃないかとか、どんどんアイデアを出したり、行動したりしてくれるようになる。
メンバーの中には、ぼくのやりたいことに乗っかりたい、という人もいれば、ぼくに負けずに自分でもやりたいことを見つけたい、という人もいる。どっちも、ぼくのやりたいことを実現するための大事な仲間だ。
「遠くへ行きたいから、みんなで行く」手段としての管理職
組織というのは、みんなで力を合わせるものだ。もちろん、みんなで取り組むせいで、意思決定に時間がかかったり、実行スピードが落ちることも多い。
だけどやっぱり組織で取り組むと、全然違う。
さまざまなところからアイデアや情報がもたらされるし、ぼくが目の前のことにとらわれて本来解決したいことへの対応ができなくなってしまっても、誰かが拾って解決に向けて進めてくれる。
何よりも、みんなでいっしょに悩むことの楽しさ、そして解決方法が見つかったときの喜びはチームじゃないと味わえないと思う。
そして、わずかではあるけれども、会社全体を動かすことにつながったり、社外にちゃんとした影響を与えたりできるのも、みんなで取り組むからこそだ。
まさに「早く行きたいならひとりで行きなさい、遠くへ行きたいならみんなで行きなさい」という格言そのものだよな……と心から思う。
ぼくにとって管理職とは、自分だけではたどり着けないくらい遠いところまで、周りの人たちと、たまにはケンカとかもしながら、力を合わせて進んでいくための手段だと思う。
そして、みんなといっしょに遠くへ行くためなら、面倒な雑務も、予算管理も、人間関係のメンテナンスも、社内の根回しも、全部楽しいと思えてしまうから不思議なものだ。
「管理職とはこういうもの」と思いこまなくていい
ぼくがいまやっていることが管理職として正解なのかといわれたら、ほとんどの人に「間違い」だと言われるような気がする。
これは、たまたま、ぼくが「やりたいこと」を実現しようとする過程の中で起きているできごとにすぎないし、いまのぼくのやり方がずっと通用するわけではないとも思っている。
でも、少なくとも、あの何をやってもうまくいかない、「管理職になること」が目的でしかなかった副部長時代よりも、ずっと楽しく働くことができている。
なぜなのか?
それは、ぼくが「これは自分らしい管理職の働き方だ」と思えているからだ。
もし、あの頃のぼくと同じように「管理職たるもの、こうでなければいけない……」と思いこんでいる人がいたら、こう伝えたい。
大丈夫、「管理職」に正解なんかないから。
「管理職」だけじゃない。変わり続ける世界の中で、人の働き方なんて、これからもずっと変わり続ける。
そんな時にアテになるのは「管理職らしさ」ではない。「あなたらしさ」なのだと。
〈おしまい〉
執筆:いぬじん/イラスト:マツナガエイコ/企画・編集:深水麻初(サイボウズ)
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執筆

いぬじん
元コピーライターで、現在は事業開発に取り組んでいる。中年にさしかかり、いろいろと人生に迷っていた頃に、はてなブログ「犬だって言いたいことがあるのだ。」を書きはじめる。言いたいことをあれこれ書いていくことで、新しい発見や素敵な出会いがあり、自分の進むべき道が見えるようになってきた。今は立派に中年を楽しんでいる。妻と共働き、2人の子どもがいる。コーヒーをよく、こぼす。
撮影・イラスト

松永 映子
イラストレーター、Webデザイナー。サイボウズ式ブロガーズコラム/長くはたらく、地方で(一部)挿絵担当。登山大好き。記事やコンテンツに合うイラストを提案していくスタイルが得意。
編集

深水麻初
2021年にサイボウズへ新卒入社。マーケティング本部ブランディング部所属。大学では社会学を専攻。女性向けコンテンツを中心に、サイボウズ式の企画・編集を担当。趣味はサウナ。