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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔
第48回:いろはかるたをハックする
元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第48回。今回のお題は「いろはかるたをハックする」。
ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。
文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki
これまで「ハッカーの遺言状」と言いながら、あまりハッキングそのものを紹介してこなかったような気がする。もっとも、前回の「音楽を聴く楽しみ」は、音楽鑑賞をハックしたと言える。
何度も書いているように思うが、プログラミングは、プログラミング言語という言語を使って何かを書く行為だから、言語能力が重要だ。母国語がきちんと書ける人はプログラミングに強いというのは、例外もちょっとはあるかもしれないが、私の信条である。
というわけで今回は、特に短くて、何らかの真実を巧みに表現した古来の日本人の知恵である日本語の諺をハックしてみよう。といっても少々広すぎるので、さらにエッセンスが詰まった「いろはかるた」を素材にする。もう今日的常識では意味の通じないものもあるが、それは無視。私が昔から愛用しているハックの結果もあるが、ほとんどはインターネットで「いろはかるた」を検索して、1日もかけずにハックした結果である。そういえば、第36回の「松尾馬生『奥の裏道』」のハックも1日程度ですんだ。原典が素晴らしいとハックもしやすいということか。あるいはハッキングになると急激に生産性が上がるということか。
枯れに枯れたエレガントなプログラムがハックしにくいのに、日本語で書かれた短い諺がハックしやすいのは、日本語がプログラミング言語よりはるかに広く深い世界を対象としているからである。四苦八苦ならぬ、詩句ハック。まずは幸先よし?
前置きはこれくらいにして早速紹介していこう。グルーピングをしたつもりだが、どうもしっくりこないので、結構行き当たりバッタリである。
● 犬も歩けば罰が当たる
犬のようにあちこち嗅ぎ回っていると、そのうち罰が当たるという意味。昨今のマスコミのポピュリズムに徹したスキャンダルの嗅ぎ回りはもうどーでもいいラインを越えてしまっている。それを喜んで受け入れる日本の庶民にもきっと罰が当たるだろう。
● 馬にも衣装
「馬子にも衣装」はすでに差別語である。これからは「馬にも衣装」でなければならない。日本の重賞競馬(GI)で優勝した馬が着飾っているシーンを見ると、この言葉の意味がよく分かる。もちろん、馬の骨のような人物がちゃんとしたスーツを着たら、一流の営業マンに見えてしまうことも表している。プログラマが服装で評価されないのは、よい伝統である。
● 背も腹も美味しい
背に腹は替えられないという偏狭な人たちもいるが、どの魚も背と腹はそれぞれの味があり、どちらも美味しい。
● 家宝は寝ても持て
物騒な世の中になった。家宝は寝るときも肌身離さず持つべきである。ただし、そのおかげで強盗に襲われて怪我したとしても当方は責任を持てない。
● 弘法大師も木から落ちる
● 猿も筆の誤り
この2つの諺は、遺伝子交叉と同じ原理で、諺の交叉(crossover)によって産まれた。つまり、上の句に続く下の句が入れ替わったのである。交叉の結果の1つ目は、どんな偉い人でも年取ったら、木になんか登ってはいかん。大怪我するよ、という諭しである。2つ目はどんなアホでも筆の誤りは必ずある、だから気にするなという諺である。何か書き損じた場合は、こう言えば場は丸く収まる。心なしか、交叉以前の諺よりも教訓的である。
● 仏の顔に三度笠
古い日本民話にあるように、雪の降る寒い夜にお地蔵さんに三度笠をかけてあげたら、お礼が来るのである。仏にすがるだけではあかん、give and takeの関係が必要だということを説いている。ありがたや。
● 青信号みんなで渡れば恐い
「赤信号みんなで渡れば恐くない」というのは、信号を渡ろうとする人たちの視線から見た諺である。いわゆる地べたの虫瞰視線。ところが最近、テロや意味不明の暴走車が赤信号だろうが何だろうが突っ込んでくる(※1)。ここで鳥瞰視点が必要になる。これが「青信号みんなで渡れば恐い」である。(御上主導の)見掛けの青信号に釣られて渡ってしまった大衆が、歴史上ひどい目にあった事例は数限りない。要するに信号のあるところもないところも、道は注意深く渡るべきなのである。
● 何買っても銭失い
「安物買いの銭失い」は事実の半面しか見ていない。高い物を買っても銭は失われるのである。論理的に完全を期すなら、こういう諺にせざるを得ない。やはり、古いいろはかるたの庶民感覚にはどこか抜けがある。
● 猫にこんばんは
● 一を聞いて十かと訊く
この2つの諺は人間の「無知」を皮肉っている。猫に「こんばんは」と呼びかけて、「おはよう」と言ったときと違う反応を期待するのはおかしいし、そう言われても猫は怪訝な顔をするだけだろう。「一を聞いて十かと訊く」は、注意散漫な人を揶揄している。「一」と言ったのに「あの、さっきのは十のことですか?」と訊いてくる輩にいちいち対応するのはいやになる。
● 縁の下の力餅
縁の下に落ちて放置されていた力餅は誰の目にも止まることなく腐っていく。拾って食べたら腹をこわす。要するに、縁の下の力餅は黙って無視すべきである。
● 頭隠して尻が臭い
かくれんぼしていて、頭を筆頭とする体を隠しても、オナラをしたら一発で見つかる。粉飾決算や製品のデータ改竄は、最後はオナラのような下らないもののせいで暴露・糺弾されてしまう。
● 運を点に任す
将来の自分の運を、試験の点に任せるという意味。しかし、試験の点はそもそも自分の努力の結果である。結局、これは運が自分の努力次第という、ごく真っ当なことを表している。
● 立て看板に小水
くだらないことを立板に水のごとく喋り続けてはいけないのと同様、立て看板に小水をかけることもやってはいけない。つまり、品性が疑われることをやってはいけないことを意味する。
● 鬼にカネボウ
元は「鬼にカネボウ化粧品」だったものが短縮された。これは見たくない光景の代表例。想像するだけで身震いする。ただし、これは子どもが参加するいろはかるたでは禁止されている。塗ったくったナマハゲを見てPTSDを発症する事例が増えてきたからだ。
● 嫁、遠目でも傘の内に居てくれ
見たくないシリーズの2つ目。傘をさすだけではだめで、亭主のほうに傘を傾けて顔が見えないようにしてくれという、庶民亭主の切ない気持が伝わってくる、いろはかるたの中の代表作。
● 妻に非が、と申す
これも庶民亭主の本音願望を表す諺。しかし、こういう亭主にかぎって、爪に火をともすような生活をしている。
● 六十の手ならいい
よく分からないのだが、無害無毒な六十歳のじーさんであれば手を握られてもまぁいいかという庶民女性の感性であろうか。これは子どもには難しすぎる。
● 老うてはオレに従うな
年取るとオレオレ詐欺に引っ掛りやすくなることに警鐘を鳴らす現代的諺。しかし、この諺をもう理解できない年寄りがオレオレ詐欺引っ掛かるのであった。みんな「老うては子に従え」という古いバージョンの諺で育った世代だからである。
● 悪い門には福来る
これはオレオレ詐欺師たちがウハウハと笑う状態を表現した諺で、「老うてはオレに従うな」がいかに効果がない諺かを示す対句である。
● 道理が通れば無理が引っ込まない
● 論議好きの論議知らず
この2つは大企業内部でよく見られる現象を、諺にしたものである。特に解説の必要もないだろう。
● 部下に釘
頼りない部下に釘を刺してもまったく効果がない。今どきの部下の脳味噌は実は糠ではないかと疑いたくなるが、実は自分の脳味噌も糠だったりする。大手企業の不祥事が後を絶たないのはこのためであろう。
● 上司の長談議
下手の長談議と並び、会社では最も嫌われる行為。それに気がつかない上司は、自分が昔それに悩まされたことをすっかり忘れている。会社が成長しないのは、人材の品格や能力の縮小再生産が行われているからである。糠では米は育たない。
● 目上はたんこぶ
昔のいろはかるたには、「会社」という概念のない世界で作られたにもかかわらず、現代社会、もとい、現代会社に通じる真理がたくさん含まれている。これもその代表例である。触ると痛いし、無視しているとさらに腫れてくる。
● 知らぬが放っとけ
このような態度が、企業におけるデータ改竄の放置を生む。知らぬではなく、実は知っていたのだろうという疑いがかかってしまうのだ。
● 花より談合
これも今はあってはいけない企業文化の名残である。
● 勇断大敵 社長の勇断は危ないことがある。特に社長の頭が糠だった場合は、ほとんど間違いなく危ない。社長が糠頭かどうかを確かめる唯一の非侵襲的方法は、社長の発言に釘を刺してみることである。
● 地獄のサンタも金次第
地獄に行っても、薄愛精神に満ちたサンタクローズはやって来るらしい。しかし、靴下をぶら下げておくだけではダメで、お金をはずまないと来ないと言われている。この諺の真偽は地獄に行ってみないと分からない。地獄に行くのは簡単だと思うが、現世にレポートするのが難しい。化けて出るしかないのだろうか?
● ラララ、苦あれば苦あり
人生は苦しいことだらけだが、いつもラララの気分でいれば、それは1+1=2と同じくらい自明なことという悟りが開ける(※2)。古典かるた会で「楽あれば苦あり」と読もうとして、吃ったのではない。苦悩の現代、もういろはかるたにはその諺はない。
● 無芸退職
サラリーマン人生の鉄則である。ただ、この「芸」を宴会芸だと誤解しているサラリーマンが多いのが残念だ。
まだまだあるのだが、夜も更けてきたので、続編は別の機会にする。読者諸兄もいろいろハックしていただきたい。(つづく)
※1:2017年9月25日午後10時に、渋谷のスクランブル交差点に突っ込んできた黒いワゴン車の記憶は生々しい。
※2:もし、あなたがそれを疑うのであれば、偉大な数学者か哲学者になれる。もっとも、疑ったあなたの年齢が14歳以下の場合のみ。
撮影協力:
アンドビール
竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
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