日本人の同僚に知ってほしいこと──欧米人の僕が、日本企業で初めてマイノリティになった苦悩と期待
※この記事は、Kintopia掲載記事「What I Wish My Japanese Colleagues Knew about Working as a Foreigner in Japan」の翻訳です。
初めて「少数派」になった僕
僕はスイス育ちの白人男性だ。人生の大半は多数派に属していて、少数派になった経験はなかった。4年前、日本に来るまでは──。
日本人の要素はゼロ、日本語と文化の知識は初心者レベルという状態で日本にやって来て、最初の2年間は語学学校に通った。
しかし、それだけでは日本への理解はほとんど深まらず、自分が育った文化とはまったく違う日本文化にどっぷり浸かる体験がしたいと思った。日本について学ぶだけでなく、少数派であることの本当の意味を学ぶことになるとも知らずに。
日本に来て2年半が過ぎたころ、日本を代表するグループウェア開発会社「サイボウズ」に入社した。仕事は海外向けのブランドコミュニケーション、サイボウズ式・英語版「Kintopia」の運営、東京本社と海外拠点のコミュニケーションのサポートだ。
現在、サイボウズ東京本社の社員数は500人を超えているが、外国人社員は20人未満、全体の4パーセント以下だ。これでもほかの日本企業と比べれば、多い方だろう。
全体的に見れば、多様性を受け入れているサイボウズで働く僕はラッキーだ。サイボウズの海外拠点にいる100人程度の社員を含めれば、多様な文化や経歴を持つ人にも出会える。
それでも「超少数派」について、日本の会社で働く前に知っておきたかったこと、そして日本人の同僚に分かってほしい、認めてほしいと思うことがいくつかある。
すべてを挙げたら本が何冊か書けそうなので書かないが、日本で働く外国人について、日本人の同僚に知ってほしいことを紹介しようと思う。
立ちはだかる2つの関門
まず、第1の難関は想像に難くないと思うが、言葉の壁だ。僕の日本語力は、日本に暮らす平均的な外国人よりは高いと思う。
最難関とされる日本語能力試験(JLPT)の1級にも合格した。読解力はあるし、書いたり話したりする分にはたいてい、言いたいことは伝わる。
ただ外国語で仕事をすると、何をするにもこんなにも余分に時間がかかるとは思いもよらなかった。
メッセージを読む。返信する。書類に記入する。どの情報が自分に該当するか考える。どの作業も日本人より数秒は余分に時間がかかる。それぞれがわずかな時間であろうと、数秒も積み重なると大きくなる。
そして母国語で働くときより、ずっと気力がいる。日本語を意のままに操れるわけではないので、自分の言いたいことをどう表現するかを考える時間が必要だ。
さらに何を書いても、念入りな見直しがいる。正しい文脈で的確な表現を使っているか、常に辞書を引いて確認している(なのに驚くほどミスが起きる)。
たとえるなら、本当は最高品質のスイス・アーミーナイフを使えるはずなのに、さびついた缶切りで、なんとか缶を開けようとしているかのように、何をするにも気力を消耗し、ミスも起きやすくなる。
日本人なら難なくこなせるささいなことが、苦痛でしかない場合もある。たとえば、手書きの文章。これは日本語学校では教えてくれなかった。チーム作りの演習の場でポストイットが登場したら、もうお手上げだ。
日本語のビデオ会議に参加してみて、自分は思った以上に音質に敏感だとも知った。英語なら相手のマイクが途切れても、たいていは内容を理解できる。
それが日本語の場合、わずかに音質が下がるだけで、理解力に大きな影響が出る。ちょっとした雑音が入るだけで、相手は異星人かと思うほどだ。
さらに標準語とは違う俗語、慣用句、表現が出てくると、途方に暮れる。たとえば、おもしろ半分に関西弁を使うのが好きな同僚たち。
話の要点は理解できてもメッセージ全体をつかむには、方程式でも解くかのように頭をフル回転させなくてはいけない。やっと方程式が解けたと思ったら、笑いの輪に入るタイミングを逃している。これが第2の難関だ。
「みんなが思う僕」と「本当の僕」
外国人である僕が日本の文化に身を置くと、単純な交流の場ですらやっかいな事態になることが分かってきた。たとえば、冗談やポップカルチャーにまつわる話題が理解できない。間違ったことを言わないか、自分の考えが伝わるかと心配しすぎてしまう。
結果的に人が多い場では口を閉ざすことが多くなった。参加者の人数に関係なく、日本語で話すときには、母国語で話すときほど自信が持てない。
気まずさと気苦労を避けるため、やっかいな交流の場からは足が遠いてしまう。サイボウズ社内にはたくさんの部活動があるが、参加する気にはなれない。新しい人間関係をつくるのにも努力が必要なので、いっしょにランチを食べるのは親しい数人の同僚だけ。
仕事にも直接的な影響が出る。会議では重要な点を聞き逃したかもしれないと不安になり、意見を言うことが少なくなる。自分が担当する企画でない限り、意見を求められなければ発言しない。
勇気を振り絞って発言してみても、論点からズレているような気がする。自分の発言が話題と直接関係がなかったり、関係はあっても話題になったのは5分前で、会話は気づいたら先に進んでいたりする。関係のある話題でも、独創的な考えだったり、的確に説明できない前後関係があったりするかも知れない。
スイスで働いていたときと比べると、意見を言ってもうわべだけの反応が返ってくることが増えた。社交辞令的に軽くうなづいてくれるものの、日本人が理解しやすい身近なアイデアに話題が移ってしまう。
同僚はどれもこれも一風変わった個性、つまり僕の性格の一部だと思っているのかもしれない。「あの人は、ほかの人と同じような考え方をしないのかも」「おもしろいアイデアを出すのが得意じゃないのかも」「人づきあいが苦手な変わり者で、話しかけにくい人なのかも」
でも同僚の目に映る自分は、本当の自分とは違うと説明する言葉を僕は持ち合わせていない。同じ言葉や文化を共有する同僚の前ではふるまいも違うこと、もっと有能で、もっと結果を出せる社員になれることも。でも、やることなすことすべてをゆがめてしまう厚い壁が立ちはだかる。
外国で働くことは、素晴らしい人生経験だ。でも本当の自分を犠牲にすることでもある。
ロールモデルがいない。昇進はできないの?
超少数派であるために、キャリアの見通しが立てにくいことも学んだ。
ほとんどの人は自分より経験豊富な先輩社員の行動をモデルにして、「職場での自分」を作り上げる。リーダーやマネージャーと話をしながら真似をしつつ、昇進に必要なツールを身につける。
僕の場合、出世の階段を登っている上司は日本人だけで、外国人でマネージャーレベル以上の職に就く社員は海外拠点にしかいない。
つまりロールモデルになる人がいない。「日本人らしさ」で日本人を超えるのは不可能なので、「日本人らしく」ふるまうのは逆効果だ。人と違う視点を持つことが僕の付加価値であって、それは既存の方法に疑問を投げかけ、独創的なアイデアを出し、新しい顧客にアクセスする方法を考えることだ。
サイボウズ社内で自分に似たキャリアを形成してきた人が誰もいないので、見通しが立たない。能力を最大限に発揮して働けば昇進できるのか。それとも、もうすでに目に見えないガラスの天井にぶち当たっているのか……。
サイボウズが日本で、外国人社員をマネージャー職に登用する日は来るのか。キャリアを積むには海外に行くしかないのか。
僕は、一従業員から執行役員に至るまで、すべての階層で多様な企業こそ、真に多様な企業だと考えるようになった。世界中に支店があっても、重要な決定はすべて日本の執行役員が下している企業はグローバル企業ではなく、グローバルでも実績のある日本企業だ。
では、なぜ外国人を雇うのか?
ここまで読んで、外国人が日本企業で働くメリットは何だろう? と思う人もいるだろう。
何をするにも余計な時間がかかるなら、日本人の同僚とまったく同じ要領でタスクをこなせない。文化的な壁のせいで、意欲が下がり、生産性にも影響があるかもしれない。
それでも、外国人を雇う価値はあると考えている。
企業の視点からすると、多様性は創造力のアップにつながるという研究結果がある。一般的に多様なグループでは、創造力に富んだアイデアが出やすく、収益の増加にもつながる。
僕の視点からすると、まったく異なる文化を持つ同僚と働くことで、世界を知り、自分の文化や価値観についても、新しい視点がもたらされる。実際に拡散的思考や、自立して働き、責任を果たす力が高まってきたと感じている。
とはいっても、外国の文化が加わると職場は複雑になるので、企業には備えが必要だ。外国人を採用する前に、複雑化する職場環境に対処する備えはあるのか、企業は自問する必要がある。
日本人とまったく同じ仕事を任せるために外国人を雇ってもメリットはない。外国人は必然的に業務効率が落ちるので、自分はペースが遅く、能力が劣ると感じてしまう。また同僚の負担となることで、さらに孤立する可能性もある。
多くの日本企業が翻訳やローカリゼーションにしか外国人の価値を見出さないのは、もったいない。意思決定の過程に参加する機会が与えられれば、破壊的なアイデアや既存の概念にとらわれない考え方をチームにうながしたり、見落とされがちな欠点や非効率な点を探したり、さまざまな成果が出せるはずだ。
想像力、多様な物の考え方、グローバルに働きかける能力といった外国人の特性を生かすには、企業側の変化が求められる。
外国人社員の評価基準を見直す
現地の人材と同じ仕事をさせるために外国人を雇う意味はないし、外国人を同じ基準で評価するのも無意味だ。
僕が日本企業で働く場合、当然、外資系企業で働くときと同じだけの生産性は発揮できない。数多くの障害があるからだ。
つまり社員のアウトプットだけをベースに評価されたら、外資系企業で同じ仕事をして発揮できる価値と比べて見劣りするのは仕方がないし、結果として給与も下がる。
それよりも、チームのパフォーマンスで貢献度を評価すべきだ。チームに拡散的思考を促しているか。チームとして新しいアイデアやプロセスの変更、新たな問題解決方法を見出したか。会社の新しいビジネスにつながったか。
回答が「イエス」ならば、その社員の評価だけでなく、チームメンバーの評価にも反映されるべきだ。結局のところ、アイデアを積極的に検討してもらえる環境でなければ、新しいアイデアに価値はない。
ほとんどの企業が採用している個人をベースとした評価と比べると、全体像を見てチームのイノベーションを測るのは、残念ながらかなり難しい。
結果的に日本に住む多くの外国人がスキルを生かすには外資系企業の方が有利だと考える。だからマネージャー職に就けるほど長く勤める外国人社員は、わずかしかいないという構造になる。
日本企業の経営者が外国人社員の評価基準を積極的に見直さなければ、近い将来、この負の連鎖が断ち切られることはないだろう。
多様性に力を
多様性の潜在性を余すところなく引き出すには、多様性を企業の意思決定プロセスに組み込む必要がある。結局、エンパワーメントなき多様性は見せかけにすぎないからだ。
エンパワーメントにはいくつかの段階があるが、まずは外国人社員が話しやすい環境をつくることだ。日本人社員と比べると、外国人社員は何をするにも時間がかかるので、十分な時間が必要になる。
たとえば会議で重要な決定がなされるとしたら、外国人社員は完全に情報を処理しきれておらず、正しい知識に基づいた意見を出せない可能性がある。
そしてなじみのないアイデアを検討する姿勢を示すこと。外国人社員の発言はユニークだったり、目新しかったり、やっかいだったりすることもあるが、必ずしも悪いことではない。興味を示し、質問して説明を求め、真の対話をすれば話が進むだろう。
外国人社員は、日本人にとってはつじつまが合わない、あるいは複雑に聞こえるアイデアを出す傾向がある。日本には議論を避ける文化があり、社交辞令で短く「ありがとうございます」と言った後「でも、別の方向で行くことに決めました」というのが通例だ。
でも、もっと深く掘り下げれば見えるものがあるかもしれない。会話の中で前後関係を聞き出せば、出来損ないのアイデアもダイヤの原石かもしれないのだ。
最後のステップは「実行」だ。外国人社員の意見に耳を傾けても、実際に形にならなければ、自分には価値がないと思ってしまう。
外国人社員の仕事と、日本人社員の仕事を完全に分けるのは、多くの日本企業が陥る罠だ。アイデアを交わしながら、独創性と拡散的思考を促進するのが多様性の本質であって、1つひとつは色が違っても中身は均質なサイロを並べることではない。どんな話題でもさまざまな意見が出るのが多様性だ。
サイボウズ式・英語版「Kintopia」の運営を担当する僕にとって、これは非常に大事な問題だ。上司からの指示を受けて、自分の仕事をするだけなら何の苦労もない。
でもフィードバックをし、会社全体のブランド戦略の策定に加わることがないなら、僕の仕事の大部分は無駄になってしまう。反対に日本人の同僚から僕の企画へのフィードバックをもらえないなら、クリエイティブに考える貴重な機会が失われてしまう。
多様な未来へ
グローバル企業にとって多様性が重要なのは、特に諸外国の競争相手が多様性に富んでいるからだ。競争するには、日本企業はリスクを負わなくてはならない。そのリスクのひとつが外国人だけでなく、女性やLGBTQ、障がい者など少数派が昇進できる内部構造の再考だ。
同じような経歴の人が集まって意思決定をする企業は、多様なグローバルの市場では劣勢に立たされる可能性がある。日本企業がグローバルに成功するには、ストレートの中年日本人男性だけが主導権を握っていてはいけないのだ。
翻訳やローカリゼーションの担当者の積極的な採用や「ダイバーシティ推進部」の設置は、解決策ではない。海外事業向けに日本的発想を適合させても、それはオリジナルの劣化コピーであって、グローバルな発想ではない。
過去には、日本人だけが経営陣に名を連ねている企業でも成功できた時代があった。でも、それは競争相手も一枚岩だったからだ。
いまだに欧米の経営陣はストレートの白人男性がほとんどを占めているが、ほかの国が多様性を重視する中で、潮目が変わってきている。つまり、日本は後れを取る危険にさらされている。
今後は、外国人が居心地のいい企業に変わることが、日本がグローバルな市場での中心的な役割を維持するための鍵だと僕は確信している。
それには、外国人を単なるお飾りやローカリゼーションの専門家、実務担当者としてだけでなく、イノベーターや意思決定者として受け入れなくてはならない。
このような問いかけに対してオープンな姿勢をみせてくれるサイボウズに感謝している。この記事に取り上げた件を、社内のグループウェアや対面で上司や同僚たちと安心して議論や相談をすることができた。
全社向けにも、グループウェアで多様性に関する考え方を共有したことがあり、さまざまな部署の方から「いいね」や率直な意見をコメントでもらった。
そのようなことがあったからこそ、この気づきを正直にここに書くことができた。マジョリティである日本のメンバーだけではなく、多様なメンバーに対しても安心感を感じさせることができるのは、まさにサイボウズの「多様な個性を重視する」理念の結果だ
もちろん、まったく不安がないわけではない。でも、少なくとも言いたいことを言うことができ、否定することなく聞いてもらえる安心感は大きい。
そしてほかの企業が追随してくれることを願ってやまない。
執筆・Alex Steullet/翻訳・ファーガソン麻里絵/イラスト・yummi/編集・小原 弓佳、藤村 能光
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執筆
撮影・イラスト
夕海
日本大学芸術学部美術学科を卒業後、フリーランスでの活動を開始。講談社にて『三瓶先生の時間』が第2回THE GATE奨励賞、『ひみつの花園さん』が第69回ちばてつや賞大賞受賞。オリジナルデザインのTシャツ等も販売中。