特集・連載
そのがんばりは、未来の土台になっている? 誰かのためにがまんせず、自分のために行動しよう
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」。3月に著書『世界は夢組と叶え組でできている』を出版された桜林直子さん(通称:サクちゃんさん)に、「よいがんばりかたとは何か?」についてお話を伺いました。
「がまん強いね」を褒め言葉だと思っていた
数年前、とある友人から「サクちゃんは、がまん強いね」と言われたことがありました。
私は、それを褒め言葉として受け取りました。「がまん強い=がんばり屋さんでえらい」という風に解釈したのです。
ですが、ありがとうと伝えると、どうやら良い意味で言っていなかったようで、「いや、褒めてないわ」と言われました。その人は、「がまんしてがんばること」をマイナスの意味として伝えていたのでした。
そこで私は、はじめて「今までの自分の生き方って、全部そうだったのでは?」と思いました。がまんしてがんばることは長所だと思っていたけど、そうでもないのかと、ふと気がついたのです。
「仕方なさ」をがんばりの糧にしていた
私には昔から、すぐに「しょうがない」ととらえ、あきらめ、がまんしてしまう癖がありました。
たとえば、仕事で何か嫌なことや制限があったときには、「やらなきゃいけないんだからしょうがないじゃん」「誰かがしなくてはいけないのだから」と、仕方なさをがんばりの糧にしていました。
誰もが嫌がるような面倒な仕事を引き受けてばかりでしたし、自分の意思や考えとはちがうことも「会社の方針だから」と心を無にしてやることもありました。嫌なことをしているからお給料をもらえているとさえ思っていたような気がします。
これには、私の育った家庭環境や経済状況が少なからず影響していると思います。
恵まれていたとは言えない環境で育った私は、がまんすることが必然的に多くありました。10代の頃に父が病気で倒れてから数年間は、入院費や介護が必要だったので、自分の時間やお金を自由に使うことができませんでしたし、その後もシングルマザーという立場になり、好きなことを自由にできる状況にはありませんでした。
「いいな」と他人をうらやんでも、どうしようもできないことが多かった。それがゆえに、何事に対してもあきらめがとても早くなったのだと思います。
もちろん「あきらめられること」は、「仕方がない、ではどうしようか」という思考にすぐに移れるので、長所でもあります。
ですが、私の場合はそこに対するあきらめが早すぎて、「仕方ない」と「自分ががまんしてがんばればいい」が、無意識のうちにイコールになってしまっていたのです。
自分を主語にできていない場合に「よくないがんばり」が起きる
がまんしてがんばってしまっていたとき、私は、「会社のため」「人のため」と、自分を主語にしてこなかったように思います。
もちろん、人からは重宝されるし、ありがたがられます。でも、「私がしたいから」という気持ちはなかった。
「だって困っているし」「頼まれたし」「やるしかないし」と仕方なくやっていて、どこか「やってあげている」ような気持ちになっていました。自分の意思ではないのだと、行動と思いの差を正当化するように、自分以外を主語にしていたのです。
そうやっていると、気づけば「あなたは何がしたいのですか」と聞かれたときに答えられなくなってしまう自分がいました。
それから抜け出せたのは、「自分を主語にすることを癖づける」ようになったからです。
たとえば、会社に文句を言う場合などもそうで、「会社がこうだから」「上司のせいで」などと言うよりも、「上司の考えはこうだけど、自分はこうしたい。なぜなら〜」といったふうに、自分を主語に置き換えて考えるようにしました。
感情的になってしまってもいいので、自分を主語に据える。すると、自然と誰かのせいにすることをやめ、自分自身のためにがんばるようになります。思い通りにならなくても、不満ではなく「こうしたい」希望が溜まっていきます。
それが、「がまん」のがんばりから抜け出すひとつの方法ではないでしょうか。
自分のサイズと持ち物を知る
自分を主語にするために、私は「自分のサイズと持ち物を知る」ことを大切にしています。
「自分のサイズを知る」とは、変えられない環境や「ほっといたらこうなってしまう」という性格や性質を洗い出して、自分が持つでこぼこを過不足なく把握すること。
たとえば、私なら「仕事をする時間を固定したくない」「子どもがいるので18時以降は働けない」「おせっかいで人のことばかり気になる」などがありました。
「自分の持ち物を知る」とは、理想ではなく、現実で自分のできることを洗い出すことです。私の場合は、「全体を把握する力」や「解決力」「人にまかせるのが得意」などがあるかな、と思います。
自分のサイズをきちんとわかっていると、ブカブカの服や、キツキツの靴を選ばなくてもすみます。合わないものは、はじめから選択肢にも入れない。
自分の持ち物を知っていると、自分が何ができるかだけではなくて、他人の持ち物と組み合わせて役に立つ方法も見えるのです。
何でも「大丈夫です」「できます」と言って無理をしてしまうのは、自分のサイズと持ち物をきちんと把握していないからで、「相手のため」のがんばりのつもりでも、向いていないことやできないことをやるのは、逆に相手にとって失礼なことにもなります。
それがわからないと、役割や立ち位置を意識せずに、見当違いのがんばり方をしてしまいます。本来の「自分のサイズや持ち物」を無視して、相手の期待に沿うように自分の形を変えるためのがんばりは、あまりいい結果を生みません。
誰かに評価されるための履歴書に映える「できること」を探すのではなく、性格や性質も踏まえたほんとうの自分の材料を適切に知ることが、適材適所への道なのではないでしょうか。
欲求や願いがわからないから、自分が幸せになる方を選べない
持ち物とサイズのほかにも、自分の欲求や願いについて知っておくことも大切です。
「自分が何をしたいのか、どうすれば幸せなのか」を知らないから、自分が幸せになれる方、大切にされる方を選べないのです。自分のことをよく知っていると、自分の願いが満たされない方向へのがんばりはしないですむ。
……とはいっても、なかなか自分の欲求を正確に把握するのは難しいもの。私も、「人のため」とがまんする癖から「自分のためにしたいこと」がなかなか出てきませんでした。
そこで、「自分はどういう状況で喜ぶのか?」を知るために、まずは苦手なことや嫌な状況を書き出して、ひとつひとつひっくり返す作業をしました。
「これが嫌だ」を見つけて、「ではどうなったらうれしいか?」と考えてひっくり返すと「こうしたい」が見えてきます。
たとえば「仕事が終わっても終業時間まで会社にいないといけないのが嫌だ」をひっくり返すと「時間を固定せずに自分のタイミングで仕事をしたい」になりました。
理想に近づくための、必要ながまんもある
自分の欲求が明確になると、理想に対して、今はその通りにならない理由があるはずです。
そして、理想に近づくための、「自分にとっての不足を補うような努力」が必ずどこかで必要になってきます。
この努力は、やっていることとしては「がまん」に見えるかもしれませんが、必要ながんばりだと思います。
たとえば私はシングルマザーなので、2人でしていくはずの子育てを1人で行っていて、圧倒的に時間がありませんでした。でも、2人で稼ぐお金を1人で稼がなきゃいけないという側面もある。
時間は半分しかないのに、お金は倍必要。でも、私は「時間がないから稼げない」とは思いたくありませんでした。シングルマザーだからといって、現状をあきらめ、苦しい生活をすることはしたくなかったので、「半分の時間で2倍稼ぐ」と決めました。これは私の「こうしたい」という明確な欲求でした。
そこで「どうしたらその不足を埋められるのか」という、目標を叶えられる方法を考え、実行しました。プラスの要素を望む前に、マイナスをゼロ地点にするためには必要な努力。これは、自分の土地に草花を植えたり建物を建てたりする手前の、地盤を整える工事のように考えています。
そのがまんやがんばりがなければ、次に進めないような努力は、未来への土台づくりです。今振り返っても、これは「いいがんばり」だったと思います。
「いいがんばり」は、さらにいいものへ
ただ、「いいがんばり」ではあるけれど、手数の割に最大化できていないような場合には、もっと「がんばりの精度」をあげていけるのでは、と思います。
そのためにも、やはり自分のサイズと持ち物をちゃんと知って、もっとよくしていくために必要な道具ややり方を考えていくことが必要です。
自分の持っている良さを最大化できるようにしていくがんばりこそが、一番理想的な「いいがんばり」なのではないかな、と思います。
そうすると、1人でがんばることだけが「がんばり」ではなくなってきます。「人に頼る」というがんばり方や、あえて「休む」など、バリエーションのあるがんばり方が生まれてくる。
あらゆる方向からがんばって、それがいちばんいい結果につながる。そういう「いいがんばり」を、目指していきたいです。
失敗してみなくてはわからないこともある
ただ、「自分を把握する」ためには、実際にやってみなければわからないことがたくさんあります。失敗を重ねることでしか気づけない部分も、もちろんある。
新入社員のように、まだあまりできることが多くないときから、「自分ができる範囲はここまでなので」と思い込んで決めてしまう必要はないです。やったことがないのならば、向き不向きはわからないですよね。
だからこそ、「やってみて失敗してしまった」という経験は必要で、無駄ではないと思います。そういう意味では、自分のサイズや持ち物を決めることは、早ければいい、というものではありません。
やってみた後で、「あきらかに向いていないのに、自分の癖でついついやってしまい、結果的にうまくいかなかったり違和感を覚えてしまう」といったことが何度も繰り返されていたら、自分のサイズに合っているのか、がんばる方向を考えてみてもいい時期だと思います。
逆に言えば、その感覚を掴むまでは、とにかくやってみてもいい時期なのかもしれません。最初から小さな範囲でガチガチと固めてしまったら、できることは増えていかないですから。
できることを増やしながら広げる時期と、向いているものに絞って掘る時期では、がんばり方がちがいます。がんばりには、時期によっていろいろな種類がある。ときには失敗をしたり、自分を見失ったりすることもある。
少しずつ自分のことを知りながら、自分をいかすために、これからも自分にとって「いいがんばり」を探していきたいです。
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」
一生懸命がんばることは、ほめられることであっても、責められることではありません。一方で、「報われない努力」があることも事実です。むしろ、「努力しないといけない」という使命感や世間の空気、社内の圧力によって、がんばりすぎている人も多いのではないでしょうか。カイシャや組織で頑張りすぎてしまうあなたへ、一度立ち止まって考えてみませんか。
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執筆
あかしゆか
1992年生まれ、京都出身、東京在住。 大学時代に本屋で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者を目指すように。2015年サイボウズへ新卒で入社。製品プロモーション、サイボウズ式編集部での経験を経て、2020年フリーランスへ。現在は、ウェブや紙など媒体を問わず、編集者・ライターとして活動をしている。
撮影・イラスト
かざまりさ
都内在住の陽気なイラストレーター。 ウェブ・雑誌のカットイラストなどを中心に、シンプルで暖かみのあるイラストを描いています。 カレーが好きでGINGERwebにてカレー記事連載中。