そのがんばりは、何のため?
「パートナーが変わる」期待を手放そう。仕事も育児もがんばりすぎて疲弊していた、あの頃の自分へ
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」。今回は、フリーの編集者・ライターの徳瑠里香さんにコラムを執筆していただきました。仕事も育児もがんばりすぎて疲弊していた時期があったという徳さんは、どのようにその状態から抜け出したのでしょうか。
2017年に娘が生まれてから2年ほど、私は仕事も子育てもと、がんばっている自分をエンジンに進んでいました。そして、エネルギーが切れてどっと疲れが押し寄せたときには、爆発するように夫に不満をぶつけていたのです。
ああ、このままでは仕事と育児の両立はできない、心と体がもたない、家族との関係性が保てない。そんな危機感があって、自分なりに、気づきを得ながら試行錯誤を重ねてきました。
娘が成長していることも要素としては大きいですが、今はだいぶ健やかに働き暮らすことができるようになってきています。もちろん調子がいいときも悪いときもある、揺れる日々の連続だけれど。
仕事も育児もがんばりすぎて疲弊していたあの頃の自分へ。
自分の価値観を相手に押し付けて期待して叶わず落ち込んでいたあの頃の自分へ。
健やかに働き暮らすために、今の私が手放したことと取り入れたことについて、書いてみます。
「働きやすさ」は人によって違う。相手に「変わること」を求めない
我が家は、共働きの核家族です。私は在宅勤務中心のフリーランス、夫は出張が多く帰りも遅い会社員。
結婚した頃は私も会社員で、仕事中心の生活を送っていて、週末や夜遅くまで働くこともありました。妊娠と同時にどこにも所属しないフリーランスに転身したこともあり、子どもが生まれてからは在宅かつ時短で、私自身の働き方にはそれなりの変化が。一方、夫は出会った頃とほとんど変わらない働きっぷり。「働き方改革」はどこ吹く風、いわゆるワーカホリックです。
子育ての負担が大きくなることへの不満と、家族で過ごす時間が少なくなるさみしさから、私はことあるごとに夫に「働き方を変えてほしい」と言い続けていました。「仕事(会社)を変えたほうがいいんじゃない?」と提案したことも。
当時の私は自分の価値基準で、夫の働き方は普通じゃない、異常だと思い、相手に「変わること」を求め、相手が「変わらない」ことに対して、大事にされていないんじゃないか? と勝手に傷ついていたように思います。余裕がなかったんですね。
そんな中、友人と家族ぐるみで出かける機会があり、我が家の事情を知る友人のパートナーと夫の会話に衝撃を受けます。「仕事は変えないんですか?」という友人のパートナーの問いに、夫が「今の会社は働きやすいんですよ」と答えていたのです。BBQでふたりが焼いてくれた肉を少し離れたテーブルで頬張りながら、思わず「え”っ!?」と小さな声がもれました。いっさい会話に参加していないのに。
そのとき、私は自分のものさしで測って、家族という一つの側面から見て、夫個人の「働きやすさ」に目を向けていなかったことに気づきました。私は夫が今のハードワークを働きやすいと思っているなんて考えてもみなかった。でも聞けば、自分の裁量で動けること、いい仲間がいることなど、夫なりの「働きやすさ」がそこにはあったのです。
家庭はどうなるんだ! と言いたいところですが、夫は出張さえなければ、家でも私以上に家事も子育てもよくやる働き者です。私の愚痴も不満もちゃんと聞いてくれます。夫のやり方で家庭にコミットしているとも言えるでしょう。
一見同じライフステージにいるような家族というチームの中でも、「働きやすさ」は人によって、時期によっても全然違う。夫婦といえど、大事にしたいものも優先順位もそれらを守るやり方も違う。
そんなあたりまえのことがストンと腹に落ちてから、私は夫に働き方や仕事を変えるよう求めることはやめました。おたがいの「働きやすさ」を保ったうえで、家族の課題を解決する糸口を探っていこうと。「相手を変えること」以外の選択肢で、それぞれの働き方で、自分たちの家族のかたちを築くやり方を模索しています。
ライフステージだけでなく、自分の性質から働き方を捉え直す
私が夫の「働きやすさ」を受け止めることができたのは、夫の働き方が、ライフステージではなく夫の性質に起因するものだとわかったからです。
子どもが生まれても夫の働き方が変わらないのは、社会の風潮や会社のせいかなと思ったこともありましたが、夫を観察していると、じっとしていられず「自分でやった方が早い病」でもあるせっかちな性質が要因だと思うようになりました。
人の性質は簡単には変わらない。その性質はある側面から見たら短所だけれど、別の側面から見たら長所でもあることも理解しています。その性質が受け止めがたいものであれば離れることも選択肢になると思いますが、私は夫の働き方を彼の性質として受け止めようと、「変わる期待」を手放すことにしました。
おそらく夫は、会社を変えても、どんなライフステージにあっても、今の働き方を選んでいるでしょう。というか、きっと自然にそうなっちゃう。
そう考えたとき、こんな疑問が頭をよぎります。
では、私自身はどうだろう?
前職を離れたタイミングで妊娠が発覚し、就職活動をすることもなくフリーランスになったので、今の働き方を「自分の選択」として受け止め切れてなかったのかもしれません。
夫が忙しい中、子育てができるように、家族のためという気持ちが少なからずありました。ゆえに、在宅勤務で多少の融通が効くとはいえ、引き受けた仕事に対して自分の代わりがいないことに限界を感じるたびに、企業に就職したほうがいいんじゃないかと(それで解決する問題ではないと思いますが)、働き方に対する気持ちが揺れることもしばしば。
どこか自己犠牲的な考え方から、夫にも同じように変わってほしいと思っていたような気もします。
「家族のため」が、ひるがえって「家族のせい」にならないように
そんなある日、かねてから好きだったブランドのサイトを久しぶりにのぞいたら、自分にフィットする言葉に出会いました。
「何にも属さない、ニュートラルで曖昧なスタイルがいい。」
自分が大事にしたいことはこれだ、と思いました。
振り返れば、私は昔から所属するのが苦手で、部活もサークルも会社も同じ場所に長く居続けられたことがありません。人間関係もグループより1対1の関係性を好みます。看板を背負ったり、白黒はっきりした主張をすることにもどこか抵抗が。
……と私の性質はどうでもいいんですが、自分を知るきっかけは思わぬところにありますね。
そんな自分の性質に気づいたとき、何にも属さず、何も背負わず、その時々でチームを組んでやっていくフリーランスの今の働き方は、自分にしっくりくると納得感が得られました。自分の性質や大事にしたいことと今の働き方が重なったとき、私は「この働き方を自分で選んでいるんだ」と思えたのです。
ライフステージによって働き方を変えていくこともある程度は大事だと思っていますが、「家族のため」がひるがえって「家族のせい」にならないように、夫の働き方を尊重できるように、これからも自分にフィットする働き方を自分で選んでいこうと思っています。
仕事も育児もとがんばりすぎず、自分自身に矢印を向けて労わる
そうした気づきから私は、夫や娘の存在ありきで他者に向きがちだった矢印を、もっと自分自身に向けてみることに。
娘が2歳を過ぎるまで、コロナ禍での自粛生活中も、仕事も育児もと気負ってがんばりすぎていました。無理してがんばると、家庭でも仕事でも、相手への期待値が上がって叶わないときに落ち込んで、受容する範囲が狭くなって、無駄にくたびれてしまいます。
そこで、仕事も育児もとがんばりすぎることを手放すために、毎日の中に、何にも追われない「余白の時間」をつくることにしました。たとえ家族と一緒に暮らしていても、子育て中でも、自分ひとりの時間が私には必要。
私は日々、娘と一緒に9時頃に就寝して、朝はひとりで4時頃に目覚めるといった、朝型の生活をしています。娘が目覚める7時過ぎまでの約3時間、かつては日中にできなかった仕事の埋め合わせをしていましたが、今は「自分で自分を満たす」ために使っています。
半身浴で本を読んだり、Netflixで映画やドラマを観たり、運動したり、ネイルを塗ったり、考えごとをしたり、二度寝をしたり。仕事も家事もせず、心がおもむくまま、自分のためだけに過ごしています。
この余白の時間は、慌ただしくなりがちな毎日に、心の余裕を生んでくれています。
ちなみに子育ては、夫とだけでやろうとせず、実家や親戚、友人、自治体、サービス、頼れる人にどんどん頼るように。仕事は、自分に必要な収入と使える時間の範囲内、自分が役に立てることとやりたいことが重なる領域内でやることを意識しています。
在宅勤務中心のフリーランスで、仕事と生活の境界線がなくなりがちでしたが、今は具体的な時間割を決めて割り切るように。土日もちゃんと休んで遊んでいます。
仕事も子育てもと全方向にやみくもに「がんばる」のではなく、がんばる領域と時間を決めたことで、ちゃんと休んで自分を労ることができるようになりました。
家族というチームとして、一緒に、それぞれ生きる。
こうして私のささやかな「がんばりすぎない働き方改革」が進んでも、夫はあいかわらず、仕事があれば夜中も休日も働いています。コロナ禍で落ち着いていた出張も再開しました。
でも今はそんな夫の働き方も受け入れて、朝ごはんやたまの休みなど、タイミングが重なるときに一緒に過ごすことができればそれでいい、と思っています。家族といえど、すべてを共有する必要もなければ、全部わかり合えなくてもいい。
おたがいに仕事や好きなことに打ち込み、出張などで物理的に少し距離があるくらいの方が、私たちにはちょうどいいのかもしれません。
一緒に、それぞれ生きよう。
夫に対しても娘に対しても今はそんなふうに思っています。私たちはそれぞれ違う人間なのだから。
相手を自分の思い通りにしようとせず、相手が変わる期待を手放した私は、なんだか少し軽やかです。さあ、私はこれからもっと、「自分の人生」に軸足を置いていきますよ。
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」
一生懸命がんばることは、ほめられることであっても、責められることではありません。一方で、「報われない努力」があることも事実です。むしろ、「努力しないといけない」という使命感や世間の空気、社内の圧力によって、がんばりすぎている人も多いのではないでしょうか。カイシャや組織で頑張りすぎてしまうあなたへ、一度立ち止まって考えてみませんか。
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執筆
撮影・イラスト
はたゆいな
尾道市立大学 デザインコースを2020年4月より1年間の休学中。だれかの心をあたためられるデザインやイラストレーションを目指しています。本やパッケージのデザインに興味があります。趣味は街歩き。
編集
あかしゆか
1992年生まれ、京都出身、東京在住。 大学時代に本屋で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者を目指すように。2015年サイボウズへ新卒で入社。製品プロモーション、サイボウズ式編集部での経験を経て、2020年フリーランスへ。現在は、ウェブや紙など媒体を問わず、編集者・ライターとして活動をしている。