仕事ってもっと楽に考えてよかったんだ
サイボウズを退職して1年半。仕事も生活も「割り切らずに生きてみよう」と決めたら、人生とても楽しくなった
「サイボウズを退職するけれど、決してさようならではない。距離感が変わるだけ」
2020年の3月、そんなことを言って、私は5年間正社員として勤めていたサイボウズを退職しました。月日が過ぎるのは本当に早いもので、それから1年半弱の時が経ちました。ありがたいことに、上記の言葉の通り、私はあいかわらずサイボウズと「業務委託」という形でお仕事をご一緒しています。
組織から離れて1年以上が経過して、見えたものは何なのか。当時考えていたことと、いまの考えに変化はあったのか。
今回は、「正社員を辞め、フリーランスになって思うこと」について、書いてみたいと思います。
会社員になって感じていた「区切り」ある生活
大学を卒業してサイボウズに入社し、ある程度「社会人」としての経験を積んだ時、私は「さまざまなことを割り切って考えるようになったなあ」と感じていました。
仕事とプライベート、自社と他社、自分が所属している部署と違う部署、本業と複業……。大学生の時は、もう少し学業と生活が一体化していたので、その暮らしと比較してのことかもしれません。社会人としてある程度の自由はあったと言えど、働く曜日や時間、仕事内容を決めたその生活は、私の思考に「区切り」を与えました。
思考に区切りができると、白黒がはっきりして楽な部分もあるのですが、思考停止してしまったり、さまざまなことを比べたりするようになります。「いまは仕事は充実しているけれどプライベートは楽しくないなあ」とか、「本業に複業を持ち込んではいけない」とか……。
次第に、私はそういった区切りのある生活に、違和感を覚えるようになりました。
「あれ、人生ってそんなにパキッと分けられるものなんだっけ?」
そんな思いを、徐々に強くしていきました。会社を辞めた理由は、以前にも書いたように、ほかのお仕事への興味が増したり、より自由がほしくなったりしたことが大きかったですが、上記のような違和感も理由のひとつでした。
「自社」がないから「他社」もない。「本業」もないから「複業」もない
フリーランスになってまず感じたことは、「人生にまったく区切りがない」ということです。
「週に何日、どれくらい働くか」も決めなくていいし、どんなチームにどんな形で関わるかも自分次第。生活と仕事のすべてを、自分自身で組み立てることができます。
「自社」がないから「他社」もありません。「本業」もないから「複業」もない。なんなら、「仕事」と「プライベート」ですら、溶けていくような感覚がありました。
正社員だった時は、「会社に所属している」という事実だけで、社会とつながれている感覚がありました。会社が、そもそも社会の一部だからです。
けれどフリーランスになると、自分自身で社会と関わっていかなければいけません。税金のこと、保険のこと、仕事のこと、プライベートのこと。いろんなことを「複合的」に考えるようになり、私は「世の中って、すべてつながっているんだなあ」と感じるようになりました。
仕事で学んだことが、自分の生活に大きく影響を与えることもある。衣食住、つまりは生活について考えることが仕事になることもある。生活が仕事に、仕事が生活になっていくうちに、思考が一本の線でつながっていくような感覚を覚えました。
「自分も他人も、本当の意味で区別することなど不可能」
1年ほど前、私はとある雑誌の仕事で、「禅」の考え方について僧侶の方に取材する機会がありました。
禅とは仏教の宗派のひとつで、「すでにある特定の教えを学ぶ」よりも、「自分自身の心と対峙する」ことに重きを置かれているのが特徴です。
その取材の中で、仏教には「無縁」や「無分別」という考え方があることを教えてもらいました。
無縁とは、私はその言葉から「縁がなく断絶されている」状態をイメージしていましたが、そうではなく、「そもそもすべてはつながっているのだから、縁が無いことなどない」とする考え方。無分別も同じように、自分も他人も、本当の意味で区別することなど不可能なのだという考え方です。
自分も他人も、自然も人工物も、すべては世界の一部でありつながっていて、そう感じるのが大切なのだと。
この言葉は、私の心にストンと入ってきました。そして、いろんなことを分けて考えていた自分自身を思い出します。「他人に自分の存在が脅かされるかもしれない」とか、「仕事のせいでプライベートが疎かになってしまっている」とか。たしかに私は、いろんなことを区別しては、一方がうまくいっていないことを、もう一方のせいにしていた節がありました。
世の中の会社でも、よく「競合」などといった言葉を耳にします。言わずもがな、自分たちと同じような事業をしている会社に対して使う言葉です。本来は、同じようなことをいいと思い、同じような世界を目指している「仲間」であるはずなのに、なぜか「敵」になってしまっている。
これはきっと、過剰な分別がもたらした結果生まれた言葉なのだろうな、と思いました。そして、もっともっと「仲間」になる方法はきっとあるし、私自身はそういった考え方ができる環境に身を置きたいな、と思うようになりました。
社会はつながっていて、その社会の一員として、私には何ができるのか。境界はないと感じられると、誰のことも「敵」だとは思いません。そういった、ひとつ大きな視点で物事をとらえられるようになってから、仕事においても生活においても、ずいぶんと心持ちが楽になりました。
「区別しない=休まない」「フリーランスの方がいい」ではない
フリーランスになって1年が経ち、いまの私はできるだけ、仕事も生活も何事も、あまり区別しすぎずに生きたいなと思っています。
これは何も、「休まない」という意味ではありません。しっかりと休んでいますし、プライベートだって大切にしています。ただ、休んでいる中でも、思うことや感じることはたくさんある。それが仕事に活きることだってあるし、逆に仕事で学んだことが、自分の凝り固まった考えをほぐして心身を休めるきっかけになることだってあります。
「仕事=オン、プライベート=オフ」と明確に分けるのではなく、自分のいまの考えや感じていることを、最大限に活かせる場所を探して生きていきたい。それが一致すれば、組織にまた所属することだってあると思います。
有機的な状態を大切に生きていきたい
先ほどの「無縁・無分別」という言葉と同時に、私はこの1年で、「有機的」という言葉もより大切にするようになりました。
有機的とは、「多くの部分が集まり、結びついてひとつの全体を形づくり、その各部分のあいだに、それぞれ関わりがある」こと。
人間とは、多くの思考や感情が絡み付いて生きている生き物だと思います。その絡みつきを無理に分解して、割り切りながら生きていくのは、いまの私はあまりしたくありません。
もちろんライフステージの変化などによって、その「割り切り」が必要になる時も来るのかもしれませんが、少なくともいまの私にとっては、有機的な状態を大切に生きていきたい。
いかに世界を分け隔てることなく捉え、その中で溶け込むようにぐるぐると循環して生きていけるか。
フリーランスになって1年が経ったいま、私はそんなことを意識して、仕事人生を歩んでいきたいと思っているのです。
執筆・あかしゆか/イラスト・マツナガエイコ
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執筆
あかしゆか
1992年生まれ、京都出身、東京在住。 大学時代に本屋で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者を目指すように。2015年サイボウズへ新卒で入社。製品プロモーション、サイボウズ式編集部での経験を経て、2020年フリーランスへ。現在は、ウェブや紙など媒体を問わず、編集者・ライターとして活動をしている。
撮影・イラスト
松永 映子
イラストレーター、Webデザイナー。サイボウズ式ブロガーズコラム/長くはたらく、地方で(一部)挿絵担当。登山大好き。記事やコンテンツに合うイラストを提案していくスタイルが得意。