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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔
第16回:「分節化」の楽しみ
元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第16回。今回のお題は「『分節化』の楽しみ」。
ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。
文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki
遺言状第2回「學問のすすめ」で現代倒語學を紹介したが、「節分」と「分節」は意味のまったく異なる倒語である。節分の語源は、春夏秋冬の節の分かれ目のことだが、特に冬から春への分かれ目が1年の区切りとしても重要なので、いまの節分(2月3日)を意味するようになったそうだ。もう一方の分節は、いろいろな意味で連続的なもの、明確な境目のないものに入った区切りのことで、分節化は区切りを入れることである。つまり、節分も分節も元の意味するところは同類だが、それが指示する対象が異なってしまったわけだ。倒語によくあるのだが、節分は分節の具体例になっている。利権と権利も似たような倒語だろう。
「分節化」を検索すると、意味の根源では同類だが、かなり異なった分野の専門語が見つかる。連続的な音声を、rとかkとかaという音素に区切るのは音声学での分節化。生物の胚が分かれていくのは、生物学における分節化である。
ソシュールの言語学というのがあり、そこでは「人間は言語によって、世界を分節化している」と主張されている。私はソシュールの言語学を勉強したわけではないが、世界秩序や自然事象がまずあり、それが言語によって名前付けされていくのではなく、言語の差異のシステムが先にあってそれが世界の秩序を構築するということらしい。つまり、言語が先にありきという、一見逆転の論法である。
どっちが先かはとりあえずどーでもいいと言ったら先生方に怒られるだろうが、この分節化は、人種、言語、さらには個人個人でも結構恣意的に行われている。日本語は雨に関する語彙が非常に多いとされる。春雨とか、涙雨とか、小夜時雨とか、篠突く雨とか、ともかくやたらと多い。これらを英語に訳すのは大変だろう。エスキモーの人たちは、カナダの女流作家マーガレット・アトウッドによれば、雪を表すのになんと52種類の呼び名を持っているらしい。これは日本語の雨に関する語彙とほぼ同程度の規模だろう。
大昔のことなので、やや記憶が曖昧だが、高校の図書館にあった諸橋大漢和辭典(全15巻)の索引をパラパラめくっていたら、やたらと牛や馬に関する漢字が多いことに気がついた。索引なので、一応訓読みのようなものが書いてある。漢字そのものは忘れたが、いわく「牝馬が4歳のときにかかる歯の病気」という漢字がある(※1)。いまでも憶えているのが「牛」偏に「川」と書いた、いかにも簡単な漢字。「牛がのろのろ歩く」という意味である。これらは昔の中国の人たちにとって牛馬がいかに大切なものであったかを表している。
こう見ると、言語による分節化は、対象をいかに高い「分解能」で見ているかに関係していることがわかる。じゃあ、英語はどのあたりで分節化が進んでいるのだろうか、とちょっと考えてみても上の例のように極端に豊かな語彙がなかなか思いつかない。狩猟民族ゆえの分節化としては、食肉の部位とか、(肉の)焼き方というか調理法(sear、frizzle、grill、bake、roast、broil、pan-broilなど)がそうなのだろうか。いや待て、そういえば英語を書くときにあれっと思ったことがあったことを思い出した。一般に、身体の動作を表す単語が日本語よりかなり多いのである。例えば、「歩く」という簡単な単語を和英辞書で引くと、歩き方の細かい差違で、日本語のように、「のっしのっしと」とか「よろよろと」といった修飾語を付けて表現するのではなく、音韻的にまったく異なる単語が出ていることに気づく(※2)。
目がしょぼしょぼして疲れるので、最近はあまりやらなくなったが、少し昔は1000ピースとか2000ピースのジグソーパズルを仲間たちと一緒によくやったものである(※3)。ご存知のようにピースはアナログ的にそれぞれ異なった形をしている(※4)。世の中には白紙のジグソーパズルというのもあるらしいが、そうでなければピースにはカラフルな絵柄が印刷されている。
我々は、一応「通好み」のジグソーということで、ピースからは元の絵や写真が、何であるか、あるいは少なくとも構図の想像のつかないものを選ぶ。そして買ったら全体の絵がわかるような外箱は捨ててしまう、あるいは隠す。この方針で人にパズルの買い物を頼むと、ときどきやたらと青空の部分が多いのとか、草むらや海原の多いのを買ってこられてしまうときがある。道を究めるためにはしょうがない。
また、新しいジャンルに挑戦することも「通好み」としては必須である。球体ジグソー(※5)とか、一部立体とか、全部立体とか(※6)、4次元と称する2層のジグソーパズル(写真1、写真2)とか。
遺言状第4回「コンピュータの中の妖怪」に登場してくれた臨時特殊科学分析班原田康徳隊員に、2年ほど前、ある密命を託してジグソーパズルを買ってきてもらったら、本当にシンドイものを買ってきてくれた。その密命とは「解くための時間の余裕がそれほどないので、300ピース程度でいいから、同じメーカーのものを2種類買ってきてほしい」であった。すると、彼は、同じ画家による非常に似た絵を2枚買ってきたのであった。もちろん、原田隊員に密命の意図は伝わっていた。要するに、2つのパズルのピースを完全に混ぜてから、2つの独立した絵を完成させるという新種のパズルに挑戦することであった。原田隊員の狙い通り、完成に予定より時間がかかったのはいうまでもない(写真3)。
1人の場合でも実は同じとも言えるが、多人数で共同作業する場合、作業を円滑に進めるためのコミュニケーション言語が必要になる。ソシュール先生の論とは逆になるが、対象が先にあり、それを表現するための言語を生み出さなければならない。つまり、言語によるピースの分節化である。「端」「隅」などは基礎中の基礎単語だが、絵柄ですぐわかる「空」「草むら」などの語彙も自然に生まれる。写真の場合、草むらピースは、ややピントがぼけた前景と、ピントが合っている部分でさらに分かれる。なので「ボケ草」「ピン草」などの単語も生まれる。
しかし、青空ともなると微妙なグラデーションで分類はするものの、絵全体としてのグラデーションは一方向でなかったりするので、形による分節化がどうしても必要になる。形による分節化はもちろん青空以外のあらゆるところで効果的である。建物の窓や群衆のような一見情報が多いものは却って絵柄情報がノイズになって人心を惑わせるので、形情報だけのほうが効果的なことが多い。
ジグソーパズルのピースの形は大昔はほとんど正統的な「キ」の形(「キ印」と呼ぶ)をしていたのだが(※7)、突起の出方や引っ込み方にバリエーションが増えた。また、キ印にも、太目、細め、手長、右肩上がり、右肩下がりなど、いろいろなバリーエションが増えた。問題がやさしくなる方向の変化だが、これらにも名前を付けないといけない。
30年以上前のことだが、何となく曲がりくねったピースを私は「クニョリ」と呼び、その変形として「クニョリーチ」とか「クネット」などという言葉を編み出してコミュニケーションに使っていた。しかし、これがパートナーたちに通じていたかどうか定かではない。
ひとつのパズルが少しずつできてくると、言葉にはならないが、独特な感覚がいつのまにか養成されてきて、ピースの探索を少しずつ効率化してくれる。いわば、言語化に至らない分節化だ。どうも人間にはこのような能力がある。パズルができ上がってしまうときれいさっぱり忘れてしまうので、シナプス結合レベルでの学習が行われているかどうかはわからないが、途中で、何かが不思議と見えてくるのである。さらに細かく見ると、波があるようで、スランプと「よく見えて、よくはまる」が交互に訪れる。
テレビ番組「なんでも鑑定団」のお蔭で、世の中鑑定ブームのようだが、例えば抹茶茶碗を見て、すぐ種類や質を判定できる人たちはすごいと思う。といっても、古物商たるもの、それくらいの眼力を持っていないと商売にならないので、鑑識眼を獲得するのは超難しいことではないのかもしれない。でも、長い経験が必要なことは確かだ。
父親が盆栽をやっていたので、帰省したときにちょっと見ることがあったが、「これはいい盆栽か?」と聞くと「それは凡栽だ」みたいな答えが返ってくる。どうも目の付けどころが違うようなのだ。
私が1985年ごろからずっと皆勤している伊豆長岡温泉(現在、伊豆の国市)の「鵺祓い祭」は今年で50周年を迎えた(※8)。毎年1月28日という、温泉街の閑散期に開催されるお祭りなので変だなぁと思っていたが、実は、閑散期における観光協会の新年会のついでというものだった。しかし、とうとう50周年を機会に、お客さんが来やすい1月の最終日曜日に変更された。あとで知ったのだが、平日の午後に中学生を踊らせることが問題になったのだという。鵺祓い祭のメインは、源頼政、猪早太ともう1人(いなかったことになっているのだが……、誰だっけ?)が鵺を退治するという鵺踊りである(写真4)。
私が行き始めたころは、踊り手はすべて大人だったが、あるときから地元の中学生が踊ることになった。振付け指導は「花柳舞踏研究所」の方。その方が高齢になったので、最近、若くて恰好いいが、いかにも厳しそうな人に変わった。
鵺踊りは伊豆長岡の伝統芸能ということになっているが、永年勤続の私から見ると、毎年微妙に演出や振付けが変わってきている。こういうのを伝統芸能と言っていいかどうかは別として、私には長年の経験に基づく鑑識眼が養成されてきたらしく、このごろは「おお、今年はこうなんだ!」という、まさに「通」の見方ができるようになった。今年は大小8匹(※9)の鵺の踊りにこれまでなかった躍動感があった。それに昨年までなかった、村民の「いた!」というセリフが付け加わった。指導者が変わったからだろう。こういうことがあるから、来年も行きたくなるのである。変わりゆく伝統芸能!
さて、この場合も「躍動感」という散文的な言葉しか出てこない。その躍動感が来年はどんな躍動感になるかが、分節化の対象になるのである。言語化できるかどうかあまり自信がない。ヒヨコの雄雌を異常な高速で分別する人たちがいるが、何かが言語化されているとは思えないのと同じ伝だ。
鵺踊りの例のように、同じものを見ているのに他の人には理解できない楽しみ方ができるようになると、格別の楽しみ方となる。こういう楽しみ方を生み出すのが、「分節化」だと思う。
趣味の世界はまさに分節化の楽しみの巣窟である。サッカーに興味のない人が見ると、サッカーはただボールを蹴り合っているだけで、点がほとんど入らない退屈なスポーツだろう。本物のサッカーファンにとって、0対0あるいは1対0の試合が一番スリリングで面白いという。ただの蹴り合いと見えるものが、敵対する選手たちの意図、スキル、閃き、体力、選手間の意識共有などがギリギリのところで絡み合った、まさに千差万別の様相を持った面白さやストーリーを感じさせるようになるのである。
オーディオもそうだ。遺言状第9回「アナログがデジタルを支えている」で、普通の人には理解できないようなオカルトについて述べた。世の中にはオーディオ雑誌というものがあり、例えば、アンプやケーブルの音がどうのこうのという言葉で表現されている。「厚みのある音」、「空気感が表現された音」、「唇の湿り気が聞こえるような音」、「西海岸の乾いた空を思わせる音」など、にわかには理解できない言葉が踊っている。私の「クニョリーチ」などと同様で、筆者・読者の間に言語としての共通理解があるかどうかも怪しい。それでも人は書きたがるし、読みたがる。もちろん、私も最初のころはよくわからなかった。しかし、30年もオーディオマニアをやっていると、実際に聞いた音と評論家何某さんの書いた言葉が次第にマッチングしてきて、そのうちこの人がこう書けば私好みの音だ、ということがわかるようになってきた。共通言語というより、書き手・読み手の関係性で理解できる個別言語が形成されたとでもいうのだろうか。
私はこのごろ、オーディオよりも、自分で楽器を練習するほうに時間を割いている。お金があってある程度のセンスがあればオーディオは音が良くなる。ただし、かけたコストに対してのパフォーマンス増加率は逓減していく。そして、最後は音楽ホールと同様、部屋の問題になってしまう。
しかし、楽器は、よほどの才能のある人でないかぎり、長い時間をかけても上達の速度は微微たるもので、まぁこれならいいか、というレベルにはなかなか達しない。しかも、オーディオよりもはるかに日々の差が激しい。音の出方ひとつとっても、昨日と今日では違う。今日のほうが良いということではなく、ともかく音が違うのである。長い目で見ると、好ましい株価変動のごとく、振動しながら良いほうに向かっていくもののようだ(と信じたい)。
どうもこの音の変動は本人にしか分節化されていないようで、多分聞かされている家人は気づいていない。音の差を分節化しているはずの本人は、それを言語化することはもちろん、どうして差が出てくるのかがわかっていない(※10)。分解能を磨くだけではなく、これを言語化、あるいは体で記憶できていたらどんなにいいことか。
要するにちっとも上手にならないのだが、楽器の練習の中で、何とか分節化を本物の、しかも制御可能な分節化にしたいという思いが私の動機付けになっている。人は意図的な経験を積み上げることで、知的好奇心を満たす分節化を行える。マンホールの蓋の観察で有名な路上觀察學の林丈二氏は、マンホールの蓋に関する分節化を究めている。こういう人は街を歩きながらいつでも深い満足感を味わっているに違いない。野道を歩きながら、草花の名前をバンバン言える人は、形の認識はできても言語化できない私より百倍以上楽しく歩いているのだろう。
今回のタイトルを「分節化の楽しみ」としたのは、このような楽しみを持っていると、人生退屈しないと思ったからである。(つづく)
※1:図書館に行ってあの膨大な索引をずーっとなめ回せばわかるのだが、いま時間の余裕がなくて、間に合わなかった。調べがついたところで、修正・補填をしたい。
※2:これは日本語が動作に関しての分節化が未熟なのか、それとも日本語のほうが動作の表現については抽象化が進んでいると見るか、人によって意見は異なるかもしれない。
※3:大昔、日本のコンピュータのパイオニアである高橋秀俊先生のお宅で5000ピースというのを10人ほどでやったことがある。巨大なテーブルがあったからこそ可能であった。
※4:実はパズル全体はいくつかの大きなモジュールに分割されていて、モジュール同士ではまったく同じカット模様になっていることが多い。絵柄によってはピッタリはまるピースを入れ替えてもすぐには気づかないこともある。完成したあとの「感想戦」みたいなときにそれを発見したときの喜びは一入である。
※5:地球ですら苦労したが、これの月面版は多分死ぬ。何かの賞品として人に差し上げたが、大丈夫だったろうか?
※6:お城などの建物が多い。
※7:私が初めてジグソーパズルを知ったのはほぼ40年前のことで、当時の研究室長の米国ミヤゲであった。確か正統派のキ印ばかりの1500ピースほどで、国連ビルの写真だった。いまでもこのジグソーパズルの質感は忘れることができない。ピタリというか、ズボギッ!とはまると本当に抜けないのである。だから、完成したパズルを手で持ち上げて縦にして、ちょっと振ってもピースが外れることがまったくなかった。いまどきのジグソーパズルは、プラスチックピースの球体パズル以外だと、みんなユルフンでピタリやズボギの達成感が薄い。乾燥した米国から湿気の多い日本に持って来られてピースが少し膨脹したという説があるかもしれないが、やはり精度が高かったのだと思う。
※8:一度だけどうしても行けない年があったが、たまさか昭和天皇崩御の年だったのでお祭り自体が中止になってしまった。だから、30年ほど連続皆勤であることに間違いはない。
※9:これも当初よりだいぶ増えてきた。
※10:もちろん、プロは違うだろう。
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