インターン大学生の疑問
「副代表」の君に伝えたい──リクルートスーツを着ると個性がなくなるんですか?
「私はサークルの”副代表”として、組織に貢献してきました」──。
企業の新卒採用の本格化が近づき、“学生時代に頑張ったこと”という面接の質問に対するこのような回答を耳にする時期になりました。一見すると副代表という役割は、代表ではないものの組織の中心メンバーとして活動し、それなりに人望があるポジションではないかと想像がつきます。学生側も「何か“肩書き”があれば企業にPRできるのではないか」と思い、自らを売り込んでいきます。しかし、この“副代表”の裏には、大きなワナがありました。
なぜ新卒採用の面接になると副代表が増えるのか? 本来の就活に疑問を持ち、立ち止まった若者たちのためのコミュニティ形成をされている、 NPO法人キャリア解放区の代表理事、納富順一さんに話を伺いました。
辞める若者が悪いのか?
最近、ニュースで「新入社員が入社してすぐに辞めてしまう」ということをよく聞きます。辞めてしまう要因は何でしょうか?
働く目的が変わってきたんだと思います。
高度経済成長期の時は「今日よりも明日が良くなる、豊かになる」ってみんな思っていました。映画「三丁目の夕日」に描かれているように東京タワーが建って、ビルができて、新幹線が通って、目の前の生活がどんどん豊かになっていくと実感できました。だから、1日でも早く正社員になって働けば豊かな生活が保証されていました。終身雇用・年功序列といった制度も後押ししました。
その結果、25歳前後で結婚し、車を買い、郊外に家を買う。そして、会社では課長や部長くらいにまでなるだろうという、明確な社会的ロールモデルが存在していました。
その時代の働く目的とはなんだったんでしょうか?
豊かさを手に入れるために我慢して働くことだと思います。
もちろん、高度経済成長期で、キャッチアップすべきものは明確ゆえに、やることが明確で更に成果も上がるので、やりがいもあったでしょう。一生懸命はたらくことで、社会的ロールモデルが実現すると信じていた人が大半だったと思います。
僕らの両親たちが頑張ってくれたおかげで日本は物質的には豊かになりました。しかし、日本は「失われた20年」と言われるように低成長の時代を迎えて久しいです。豊かだけれども、成長しない。こういう状態を成熟社会と呼びますが、そうであるならば、働く目的も変わらなくてはいけないと思っています。
だから、新入社員がすぐに辞めてしまうのは、決してその人自身の問題だけではないと思います。入社前の建前と、入社後の本音のギャップに我慢ができなかったのではないでしょうか。高度経済成長期であれば、我慢することにメリットがありました。年功序列で昇給し、終身雇用してくれるわけです。本音と建前が違っても、「もう少し頑張ってくれ」と上司から言われればしっかりと報いてくれる環境がありましたが、今はどうでしょう?
なるほど。新入社員が早期に辞めてしまう原因は、入社前の採用なのか、もしくは入社後の環境なのか、どちらだと思いますか?
両方です。例えば志望動機。志望動機って人事の方はよく聞きましたが、どんなに立派な志望動機を書いたとしても、その志望通り配属されること(企画職など)は、まずありません。
昔は、それで問題がありませんでした。志望動機通りの配属にならず、営業職に配属されたとしても、「会社とはそういうものだ。しばらく頑張ればいつかチャンスはある」と行って説得できました。
しかし、今は違います。
昇給も昇進も保証されていないのに、不本意な職種で頑張る意味があるのか?と思ってしまうようです。だから、少しでも辛いことがあると辞めてしまう。残念ではありますが、これを若者の資質の問題だと切り捨てても解決にはなりません。
なぜ”副代表”が急増するのか?
面接の時に、サークルなどで「副代表」をやっていたとアピールする人が多いと良く聞きます。背景にはどういうことがあると思いますか?
失敗したくないという気持ちを持っている若者が多いのではないでしょうか。就活の時の大学生って、自己分析をしたり、学生時代に頑張ったことをどうやってアピールするかを考えます。でも、とりわけ頑張ったことも見当たらない。リーダーシップがあると言いたいけれど、代表をやったわけじゃないし、それはバレる可能性がある。副代表ならばリーダーシップもありそうで、バレそうもないし、人事の印象も良いのではないかと思うのでしょう。大成功も大失敗もしていない自分をアピールするのにちょうどいい肩書きなのだと思います。
副代表以外にも、面接でのいわゆる「盛り」というのは、失敗したくないという気持ちからなのでしょうか?
そうですね。大人や会社に大してリアリティが全くない若者が多い。カイシャというよく分からない虚像を作り上げて、そこにアピールをしているように思います。「盛る」とカイシャは喜んでくれるだろうと一方的に思い込んでいます。誰に向かって自分をアピールすればいいかわからない。虚像に対してアピールしているんだと思います。
そもそも、小さな失敗をする経験が少ないと思います。学歴が高い人によく見られますが、それまでの経験や価値観が似ている若者が多いです。東京や横浜の郊外の進学校は、親の世帯年収も似ているし、街もきれいで生活水準も同じ。自分の人生を周りと比較しても、同じような人や環境で親は有名大学から大企業へ就職することを望んでいる。
このような生活の中で、「もしこのレールから外れてしまったら、人生終了なのではないか」という不安感に襲われて、試行錯誤する力が失われています。
すごく暮らしやすくなった反面、自分という存在を作る「何か異色なもの」、つまり失敗であるとか経験みたいなものが薄れてしまったということですか?
そうです。昔はいろんな人が街にいました。会社員じゃないけど、自営業のおじさんや街で昼から酒を飲んでいる大人とか(笑)。そういうサラリーマン以外の大人たちの存在が身近にありました。
けど、そういった社会的なノイズが整理されてしまうことで、人も社会も、すごく耐性が弱くなってきたのではないでしょうか。ちょっとした差異に敏感になり、クレームをつけるようになってしまう。殺伐としてしまうと思います。
真っ白な自分に入ってくる異色なものに対する拒否反応みたいなのができてきたということですね。
白くないといけないと思い込んでいるのではないでしょうか? 心のどこかで、社会って白いものでできているはずだから、自分も白くならなくてはいけない、と。
期待に応えないと、っていう点でいうと、私服でいいよって言われながらも、スーツで会社に行く就活生が多いこともあります。リクルートスーツを着ると何か変わるんですか?
仮面を被った「何者」かになるためだと思います。浅井リョウの小説にありましたね。 自分じゃない他の誰かになるための、いわば道具なのだと思います。
なるほど。リクルートスーツを着ることによって、自分じゃない誰かになれる。だから、自分じゃない誰かの話、つまり盛った話ができるということですね。
そうそう。スーツを着ることによって、入れ替え可能な記号になるという意味もあると思います。僕の知り合いの人事の方は、そのような状態を「就活武装」と呼んでいます。
飲み屋で会ったおっちゃんと仕事をする
キャリア解放区が展開する「就活アウトロー採用」では、「就活武装」をして面接をするのではなく、お互いがオープンに議論をするという形式なんですよね。それに参加する方は就活をされていない方なんですか?
そうです。大学既卒生が対象です。就活の時期に、いわゆる自己分析などをやってみたけれど、結局「自分には何もないや」と思ったり、副代表をやったことがないのに副代表とは言いたくない、あるいは、バンド活動や創作活動などの就活よりも大事なものがあったという若者たちが多く参加しています。就活を前に、そこで立ち止まって考えてみたり、寄り道をしてみたりする若者を想定しています。
なるほど。
結果として内定がでないまま卒業する――若年無業者(ニート)なのですが、そういう学生を内定がでなかった残念な子たちと認識するのはちょっと違うような気がしています。
社会が成熟化し、全員が高度経済成長期のように今日より明日がよくなるとは思っていないし、実際そうではありません。冒頭にもお話しましたが、正社員になっても必ずしも幸せが保証される時代ではありません。そういう時に立ち止まって考えて、自分たちなりに答えを模索するというのは、まっとうなことだと思います。人生の答えは、誰も教えることができないのです。
正社員になる意味を見出せない状況で、一斉に就職活動が開始するというのは少しおかしな状況でもあると思います。そこで立ち止まってみるというのは意味がありますよね。
大卒の新卒社員になれないことは負けだと思われがちな日本において、そういう同調圧力を突破してあえて立ち止まるということ自体、実は勇気のある行動です。親からも相当言われるだろうし、いろんなプレッシャーを身に受けながら「なにか違うな」と思って立ち止まってみることすら、なかなか許容されません。立ち止まって考えて、自らの生きる道を模索する若者たちは、弱者じゃないよねって僕たちは全面的に受容します。イノベーションというのは、常にアウトサイダーやマイノリティ側から生まれます。価値観が多様化する中で価値創造ができるのは、あえて就活というゲームに参加しなかった若者たちの中にいると思っています。
こういった既卒生のことを、就活アウトローと呼んでいるのですね。
そうです。就活に対するモヤっとしたものを互いに共有しながら、どうすれば企業との距離が縮まっていくかということを考え実践していく“コミュニティ”を作るということをやっています。
一人ひとりの若者たちをトレーニングしてスキルアップさせるというよりは、ごちゃっとした場の中でかかわり合いながら、彼らは「なんのために生きるんだろう、働くんだろう」と考える。その思いや哲学に共感できる会社と出会うような、リレーションシップを作っていくことです。
ごちゃっとした場のことを、ぼくらは、やわらかいカオスと呼んでいます。大人が「正解」を教えられない時代なので、混沌としたなかで自己開示をし、同じ目線でフィードバックを受けながら、自分なりの答えを探していくことが重要です。働くことも、やわらかいカオスの先にあると思っています。
これからの若者の働き方は、どのように変わっていくことが理想だとお考えですか?
理想は、居酒屋でおっちゃんと話して「お前いいやつだからちょっとうちきなよ~」と言われて遊びに行ったらいい会社だった、というの流れですね。飲み屋で隣の席の大人たちと意気投合する、そんなイメージでしょうか。
いくら自己分析をしても「やりたいこと」なんてみつかりません。だったら信頼できる、価値観の合う人たちと一緒にまずはやってみるということでよいのではないでしょうか。要するに、もうちょっと肩の力抜きなさいと。企業も若者も「もっとゆるくていいじゃん」ということです。
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