インターン大学生の疑問
極論、人は働かなくても生きていける──小野美由紀さんの「自分らしい働き方」とは
作家・ライターとして活躍する小野美由紀さん。自身の半生を愚直に描き、話題を集めた著書『傷口から人生。 メンヘラが就活して失敗したら生きるのがおもしろくなった』には、身体をえぐるように鋭利で、ときに痛みをも感じさせる文章が綴られています。
多く寄せられている絶賛の声は、自分のカッコ悪さや恥部を堂々とさらけ出す小野さんの勇気や真の強さを讃えたものでしょう。行き過ぎた“教育ママ”から抑圧され、中3で自傷行為を始め、不登校になった小野さんは、きらびやかな大学生活になじめず、仮面浪人を経験。
その後、他人からよく見られたいあまりに、交換留学や世界一周1人旅、NPOでのボランティア、有名企業でのインターン、TOEIC950点など、いわゆる「ハイスペックな学生」として勝負できる武器を多く持ち、自信をつけたものの、わけあって「就活をやめる」選択をします。
そんな小野さんには「無職」だった時期もありました。普通の道を歩んでこなかった小野さんが、いかにして自分らしく働く道を見いだしたのか。常識にとらわれずに自由に自立して生きるために何をしてきたのか。
自分が本当にやりたいことは、体の内側に眠っている
サイボウズ式編集部でインターンシップをしている鎌田です。大学生活があと残り1年に迫り、残された時間で何をすべきか悩むことがあります。小野さんは大学4年の秋にスペイン巡礼の旅に出られたと伺いましたが、きっかけは何だったんですか?
世界一周1人旅をしていたときに、エルサレムで宗教学者の金良柱先生と出会ったのが、そもそものきっかけです。世界中の聖地を巡ってフィールドワークされている方です。 これまで訪れた中でどの場所がもっとも素晴らしかったか尋ねると、スペイン北部の「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」まで続く全長850kmの道だとおっしゃるんです。 そこはキリスト教の三大聖地のひとつ。「その道を歩いて、何を得たんですか?」と聞くと、金先生は「得たんじゃないんです。捨てたんです」と答えてくださった。今までの人生で身につけたもののうち、どうしても捨てられない何かひとつが、その道を歩くことで見つかる、とも。 得るんじゃなくて捨てるのか……とハッとしました。それから、私もその道を歩いてみようと思い立ったんです。
そこで、金先生は何を捨てたんでしょう?
捨てたものについて具体的には伺っていません。ただ、今でも覚えているのは金先生の「人生と、旅の荷造りは同じ」「旅することは、その『いらないもの』と『どうしても捨てられないもの』を識別するための作業」という言葉。捨てるものは人それぞれ違うと思います。
小野さんご自身は、旅をする中で何を捨てましたか?
自分の人生においてする必要のないことを捨てました。たとえば、人に合わせることですね。
旅の最中、発見されたこともありますよね。ご著書『傷口から人生。』にもありましたが、「What is your life?」と聞かれて「Life is Writing.」と答えるシーンが印象に残っています。 あれは「書くことを仕事にしたい」という宣言だと、僕は受け止めました。小野さんが作家やライターを志すスタート地点だったのでは、とも思います。あの言葉や考えは当時、「自分の中に降ってくる」ような感覚でしたか?
そうですね。実は旅をしていた21歳のころ、mixiの日記を除き、文章なんて全然書いていなかったんです。まだブログも開設していませんでした。
昔は書いていらっしゃったんですか?
4歳ごろまで物語を書いていたのは覚えています。幼稚園時代には、先生が書いたお遊戯会用の脚本に「こんな幼稚な劇を演じたくない」とケチをつけて、自分で新しい脚本を書いて持っていったことがあります。後で聞いた話ですが(笑)。話は逸れますが、そんなふうにとにかく「人に合わせられない子ども」だったので、幼稚園は2回退園になっているし、小学校も中学校でも退学勧告をもらい、高校もまともに行ってなかったんですね。それなのに、なぜ「就活だけはほかの人と同じようにやってうまくいく」と考えたのかが自分でもわからない(笑)。わたしは就活は失敗しましたが、そもそも就活したこと自体が私にとっては「失敗」だったと今は思います。 話を戻します。ただ、4歳以降は文章と疎遠になるんです。小学校に入ると勉強やスポーツなど、ほかのことで評価されるようになりますよね。それに、頼まれるわけでも、誰かが評価してくれるわけでもないですから。 でも、聖地で旅の仲間から「将来やりたいことは見つかった?」と聞かれて、なぜか「Life is Writing.」という言葉が体の内側からするすると出てきたんです。その宣言をしたからといって、すぐに書けるとは思ってもいませんでしたが。
極論、人は働かなくても生きていける?
では、スペインのお遍路を歩いてすぐ、ライターになろうと決めたり、行動したりしたわけではないと。
ええ。結局6年かけて卒業し、その後無職の期間が2年ほどありました。今の私や私の思想を形づくる重要な要素のひとつに、そのころ住んでいたシェアハウス「まれびとハウス」があります。イベントルームをつくって、イベントやワークショップ、講演を毎日開催して、その収益だけで生活するコンセプトで運営していました。
2010年はまだ、シェアハウスが今ほど認知されていない時期ですね。
はい。同じころ、TwitterがIT界隈だけではなく、一般の人にも広がり始め、まれびとハウスもTwitterやWebを通じて広く知られるようになっていました。シェアハウスブームのはしりという物めずらしさもあってか、人がたくさん集まってきたのを覚えています。 スタートアップ企業を立ち上げたばかりでお金がない人、NPO活動をしている人、私(当時)のように働いていない人などが集まって住んでいました。いわゆる、社会の本流にいる人たちとは別種の人たちの集合体。
めずらしいキャリアの方もいましたか?
中学中退後、トラック運転手をしているうちに、大会社の社長になった方がいましたね。
それはすごい!
自分の力だけで生きている人をたくさん目にしたんです。同時に、企業に勤めなくても生きていけるんだ、極端な話、働かなくても生きていけるんだと気づきました。そうそう、世界中のパトロンからお金をもらって暮らしている男の子も住んでいたんですよ。
どういうことですか?
彼はそれまでネットビジネスをしてお金を稼いでいたのですが、突然働きたくなくなり「僕はもう働きたくないので僕にお金をください」みたいなメールをチェーンメールで流したところ、面白がられて世界中に拡散したのだそう。今もそれだけで生活しているみたいです。 そういう型にはまらない生き方をしている人たちを見て、すごいなあ、と感心する一方で、何か仕事を持たないといけない、という意識はありました。そこでアルバイトを始めるものの、全然使い物にならなくて、数社を転々としました。 「自分に合う場所がきっとどこかにあるはず」という幻想にとらわれていたので……。やる気も起きず、なんだかんだと言い訳して、ひどいときは会社のパソコンで1日8時間Twitterしてたりしました。どう考えてもそんなバイト、いらないですよね(笑)
たしかに(笑)。
バイトで使い物にならなかったわたしが、天職に出会った
ちなみに、仕事が入ってくる窓口となったブログは、いつから書かれるようになったんですか?
学生時代からです。2010年で3年目くらいでしたね。今でこそブログ人口は増えましたが、当時はそこまで流行っていたわけでもなく、誰かに読まれるのを意識せず、書きたいことを自由気ままに書いていました。 そんな中、3つめのバイトをクビになり、いよいよヤバいぞと焦っていたとき、ブログ経由でお仕事をいただいたんです。『AERA』の若者にインタビューする連載「U25」のライティングでした。これがライターとしての初めての仕事ですね。
以降は「現代ビジネス」をはじめとする多くの連載や著書3冊など、順風満帆なライター人生を送られている印象があります。バイトでは「仕事にハマれずにいた」小野さんですが、文章を書く仕事にはハマっている。やはりこれが天職だから、でしょうか?
内側の世界と外側の世界とがうまく接続してくれる点で、天職だと思っています。今一番楽しくて幸せな時間は本を書いているときです。最近、次の書籍(小説)の原稿を毎朝7〜12時の時間を使って書いています。 いつも行く喫茶店の同じ席で毎日コツコツと。その執筆に熱中していると、子ども時代の気持ちにふっと戻る瞬間があるんです。 今でも鮮明に覚えている光景があります。小2の頃、昼休みに1階の教室の窓際の席で、石に絵を描いていました。幼いころ、友達があまりいなくて、ほかの子が外で遊んでいるときに、本を読んだり絵を描いたりすることが多かったんです。このときも教室にクラスメートが誰もいなくて、集中して絵を描いていました。
情景が思い浮かびます。
窓の外からは同級生の声が聞こえていて、教卓では先生がテストの採点をしていました。先生は私を見たり、話しかけてきたりはしないものの、わたしが同じ空間にいることを知っていて、私も先生の存在を確認していて。お互いに目の前のことに没頭している、とても心地いい時間でした。そのとき、自分が途方もない幸せを感じていたことを今も覚えています。
現在のお仕事にもそのときの状況を重ねられていますか?
はい。朝に原稿を書いているときの感覚は、そのときの感覚とまるきり相似形なんです。置き換えると、窓の外にいるクラスメートは読者、先生は編集者ってことになりますかね。わたしが原稿を出すと、担当編集に読んでもらえるわけですし、読者も、姿は見えないけど、校庭から聞こえてきたかすかなざわめきのように、ネット上の反応で、「そこにいる」ことが感じられる。今、ものを書いている時間が、すごく幸せだなという感覚があります。それを感じるからこの仕事を続けているのだと思います。
自分だけの習慣が、よい仕事を生み出すコツ
仕事との向き合い方についても伺いたいです。小野さんが意識している仕事上の習慣ってありますか?
あります。最近なんとなく始めたことですが、執筆前に小ぶりなガラスのコップを目の前に置いて、気持ちが落ち着くまでそれを眺め続ける、というもの。その間、自分と静かに会話をしています。 コップの中には私のありったけの想像力が入っていて、ピンクでふわふわ、ゴールドでキラキラなど、色や形は日々の気持ちやコンディションによって異なります。「あなたの想像力を閉じ込めているこのコップは何ですか?」「いいものを書かなければといったストレスや恐れです」「このコップを取り除くとどうなりますか?」「想像力が外側に無限に広がっていきます」と自問自答を繰り広げる。 そうやって、最後に「では、このコップを外します。3……2……1……」とコップをよけてから書き始めるんです。こうすることで気持ちがリセットされますし、今のところうまくいっています。簡単な自己催眠ですね。
気分を切り替えて集中できそうですね。
また、習慣とは言えませんが、スマホに4G/LTE通信を入れていないのが、集中するコツかもしれません(笑)。Wi-Fiは使えますが、自分から接続しない限りは、誰からも連絡が来ません。というか基本的にスマホは放置気味です……。これ、いいライターとは言えないやり方かも(笑)。
「スマホを見ない」ではなくて「電波を断っておく」のはおもしろいですし、潔い感じがします。
いつでもインターネットにつながっている状況だと、TwitterやFacebookばかり眺めちゃうので……。 あと、これは人に教えられたことですが自分のやりたいことに集中するコツは「人生の何%を人間関係やコミュニケーションに使うかを自分で決める」。私の場合は20%です。恋愛も交友関係も仕事の付き合いも、全部20%の時間に留めています。そう決めてから、執筆に集中的に時間を使えるようになりました。
仕事が終わった後は、何をして過ごしていますか。書くことに必要な知識のインプットに時間をあてられているんでしょうか?
いえ、お酒飲んでます(笑)。編集者さんとの打ち合わせをはじめとして、いろいろと予定が入ってくるので。インプットに関しては、何を見ればいいのか、逆に教えていただきたいくらい、あまり情報感度が高くない人間だと自覚しています。 唯一やっているのは、1日1回は近所の書店に足を運ぶこと。小4くらいから1日も欠かしていません。街に出たときは意識的に大きな書店にも入りますね。無意識のうちに立ち寄っている感覚です。
旅も小野さんの習慣のひとつかなと思います。旅先で出会った人から発せられた言葉や現地でご自身が口に出した言葉で、今の小野さんがつくられている、というか。
そうですね。執筆の糧としては、人からもらうものが一番大きいですよ。偶然過ごした場所で偶然出会った人と話した内容が、自分の血や肉になっています。ですので1ヶ月に1度は国内外問わず旅に出ます。特に、知り合いが多く住んでいることもあって、2〜3ヶ月に1度は京都に出向いて長期で滞在してます。 海外だと最近訪れたのは韓国。自著が韓国で発売されることになり、プロモーションを兼ねて行きました。昨年はベトナムで数週間過ごしたのがいい思い出です。今度ハワイ本を書くことになったので、ハワイにもわりと頻繁に行っています。
うらやましいです!
私にとって移動は必要不可欠な時間です。移動していると考えが整理されるので、移動の時間は意識的につくっています。あと、意外と筆が進むのが駅のホーム。ホームに座って、電車から出たり入ったりする人を眺めていると自然とアイデアが湧いてきて。人やものが流れ続けているせいか、アイディアがぽんぽんと降りてくるんです。 そういう「通過点であって、とどまるための場所ではない場所」に行くことが自分にとっては大事です。
くよくよ悩まない。いつでも仕事は「自分次第」
いろいろなことに迷い、悩んでしまう若い世代へ向けて、アドバイスをお願いします。小野さんはお仕事やプライベートで悩んだらどうしますか?
原稿の内容以外では、くよくよ悩まないようにしています。フリーの物書きって、1人で仕事していると暗い考えに陥りがちなんですよ。同業の集まりに行くと「◯◯編集部はギャラが安い」「本が売れない時代、僕たちに希望はない」とか、愚痴や悪口、慰め合いになりがちです。わたしはそれが苦手なんで、そういう場所にめったに行きません。だって、こんなに希望のある仕事はほかにないと思ってるんだもの。 極論、寝たきりになっても、無人島に住んでいても、文章は書けますよね。2016年からいっそう顕著になるでしょうが、Webの原稿料は上がっているし、PVに応じて原稿料を上げてくれるWebメディアもある。 文章や写真、イラスト、映像など、個人が誰でも手軽にコンテンツを投稿できて、販売もできるnoteをはじめとするサービスも盛り上がっていますし、イケダハヤトさんとか、はあちゅうさんとか、先駆的にそういったお金の稼ぎ方を切り開いている方々もいますよね。コンテンツメイキングの仕事は可能性に溢れていると思います。 だから、暗いことを言う人の話は「ふーん、変なの」くらいで流しておいて、原稿の内容以外では悩まないこと、と決めています。
なるほど。
また、よく「本が売れない」と言われますが、市場は国内だけではないと思います。わたしは最新作の『人生に疲れたらスペイン巡礼』を、依頼をいただいたときから「この本は韓国で売ろう」と決めていました。 スペイン巡礼は日本ではニッチですが、韓国ではブームなので。そこで、日本版が出たと同時に韓国に売り込みに行くとすぐに反応があり、発売1週間で韓国版が出ることが決まっていたんです。 この話をすると、すぐ「翻訳出版の版権料なんて大したことないぞ」と言う人もいますが、出版社が頑張ってくれたのか、思いの外よかったですよ。次回作はぜひ、台湾と中国に持っていきたいと計画しています。 自分でやってみてわかったのは、海外出版をやる上で大事なのは、コネがあるかどうか。なければ自力でつくればいい。日本で出版するだけだと印税は少なくても、4ヶ国で出せるとなると話は変わりますよね。 その後、日本人の著者を探しているというほかの国からも、執筆のオファーをいただきました。日本語で書いた作品は国内でしか売れないものと決めつけるのはもったいない。従来のやり方にこだわらなくても、自分の書いたものを広げるための販路は、工夫次第でいくらでも広げていけます。絵本『ひかりのりゅう』は原発問題に関心の高いフランスやドイツにも持って行きたいし、ゆくゆくはアラビア語圏なんかでも出版してみたいですね。世界中のどの本屋にも、必ず1冊はある本を書くことが、私の今のところの目標です。どんな反応が返ってくるのか、想像するだけで楽しみです。
文:池田 園子/写真:尾木 司
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