インターン大学生の疑問
コミュニケーションは「あなたと私」だけで成り立っているわけではない──平田オリザ×武田砂鉄

コミュニケーション能力を磨けば、他人と接するときにうまくコミュニケーションをとることができるのだろうか──?
前編では劇作家の平田オリザさんと、ライターの武田砂鉄さんに「コミュニケーション能力とは何か」というテーマでお話を伺いました。
後編では、「わかりあえる」コミュニケーションばかりしていると、「同じような経験をしているという幻想を持ってしまう」「コミュニケーションは能力じゃなくて複数の要素で成り立っている」など、そもそもコミュニケーションとはなんなのか? について深掘りしました。
人間の会話には余計なものがたくさん流入している

*前編では「サイボウズ式」の話し手の顔がアイコンになっていて嫌い。というお話がありました。

武田砂鉄(たけだ・さてつ)さん。ライター。1982年、東京都生まれ。大学卒業後、出版社で時事問題やノンフィクション本の編集に携わる。2014年秋より、フリーランスに。2015年9月、『紋切型社会──言葉で固まる現代を解きほぐす』で「第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞」を受賞。著書に『芸能人寛容論』『コンプレックス文化論』『せいのめざめ』(共著)がある。「文學界」「cakes」「SPA!」「VERY」「暮しの手帖」などで連載。インタビューや書籍構成も手がける。

とりわけ、こういったサイトでは、会話のやりとりが短く、双方の合いの手が頻繁に入る。
読んでいる人は「この2人はこんな風にスムーズに会話したんだな」と思うけど、まったくそうではない。
「あ、あの、えっと、その〜」と口ごもり、「全然それはもうアレですね」とかよくワケの分からないことを呟く。そうやってノイズになる言葉は、掲載されるときには入らないですよね。


平田 オリザ(ひらた・おりざ)さん。劇作家・演出家・青年団主宰。こまばアゴラ劇場芸術総監督・城崎国際アートセンター芸術監督。1962年、東京生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。1995年、『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。2006年、モンブラン国際文化賞受賞。2011年、フランス国文化省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。大阪大学COデザインセンター特任教授、東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、京都文教大学客員教授、(公財)舞台芸術財団演劇人会議理事長、埼玉県富士見市民文化会館キラリ☆ふじみマネージャー、日本演劇学会理事、(財)地域創造理事、豊岡市文化政策担当参与、岡山県奈義町教育・文化の町づくり監。

タイトにしぼられて伝わる対話が「良きもの」と理解されてしまう。
だからこそ、平田さんが著書で書かれていた「冗長率」*という考え方は、もっといろんなところで問われたほうがいいと思うんです。
*「冗長率」:一つの文章の中に意味伝達とは関係ない無駄な言葉がどのくらい含まれているのかを数値で表したもの。
どんな人間でも1から10まで伝えたいことを明確に話せる人なんていない

最近の学校教育ではアクティブ・ラーニング*、ロジカル・シンキング(論理的思考)、クリティカル・シンキング(批判的思考)などが大切だと言われていて。
*アクティブ・ラーニング:課題の発見や解決方法を、主体的・協働的に学ぶ手法。参加型や双方向型の授業などをそう呼ぶこともある。何を学ぶかではなく、どのように学ぶかということに焦点があたっている。





「おっしゃることはわかるんですけど……」という相手の意見を一度取り入れた上での言い方と、「それはちがいますよね」という最初から突き返してしまう言い方は伝わり方が違うわけじゃないですか。


学校教育は、ヨーロッパでうまくいった方法を、日本語の特性を考えずにそのまま直輸入するから、戸惑う人が生まれてしまうんです。
今の教育だと、40人クラスのうち37人がコミュニケーションを嫌いになってしまいます。



「対談の原稿は時間軸に沿って、そのまままとめるだけではいけない。対談の前半で話されたことが後半にまた形を変えて出てくることがある。それはもしかしたら、本人にとっては無意識かもしれない。その時は、後半の部分を前半に移植してみるといい」
と言われて。


今この場で、順序立てて言いたいことを伝えなければ、と無理に意識する必要がなくなるわけで。
「わかりあえる」「察しあえる」コミュニケーションばかりしていると、同じような経験をしているという幻想をもってしまう






人間だけが、異なる複数の共同体をまたがって生きている。
お父さんと子どもでも違う体験をしている。だからお父さんが狩りから帰ってきたら、家族に「こんなでかいマンモスがいてさ」と伝えなくちゃいけない。


ただ、「わかりあえる」「察しあえる」といった温室のようなコミュニケーションばかりしていると、みんなが同じような経験をしているという幻想をもってしまいやすい。
それによって、「伝えたい」というモチベーションが低下しているんじゃないか、というのが、僕のコミュニケーションへの問題意識の出発点でした。
コミュニケーションは「能力」ではなく、複数の要素で成り立っている

こうして話しているときであっても、自分は100%平田さんのことを考えているわけではない。
目の前にいる編集者の表情を気にしているし、あるいは、「この対談が終わった後、昼飯どこで食べようかな」とか「夕方からの打ち合わせ、面倒くさいなぁ」ってことだって、どこかで頭に置きながら、今こうして対話をしている。








そう考えないと、コミュニケーションがなにかなんて見えてこない気がします。

俳優がうまくセリフが言えないのは、もちろん俳優の主体的な能力の問題もあるんだけれど、環境の問題がある。
たとえば小道具が一個なかったり、目の前の風景がいつもと少し違ったりするだけで、あるセリフが出てこないってことが起こるんですよ。


俳優だけではなくて、人間の言語活動もおそらくそういうふうになっていますよ。
主体性を否定するわけではなく、主体性の範囲を明確にするといい。どこまで私たちは主体的に喋っていて、どこまで喋らされているのかを意識することが大切ですよね。


執筆・くいしん/撮影・橋本美花/企画編集・木村和博
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執筆
撮影・イラスト

橋本 美花
主に人物写真を撮らせていただいているカメラマンです。お仕事以外では海外へ行ってスナップ写真を撮ることが大好きです。自転車に乗りながら歌うことも好きです。