「なぜサイボウズは、2度目の海外進出に挑んでいるんですか?」
サイボウズ式編集部の新メンバーとして海外発信のミッションに挑むアレックスは、素朴な疑問を感じていました。
サイボウズは過去に一度、アメリカへ進出して失敗しています。それなのになぜ、また海外へ出ていこうとするのか……。
その問いに答えてもらうため、アレックスは代表取締役社長の青野慶久と副社長の山田理を「サイボウズBAR」に招いたのでした。今日はアレックスがバーテンダー役。
「ちょっと時間は早いけど、とりあえず乾杯しましょうか」
2人が追いかけ続ける海外の景色とは――。
「インターネットなら世界中で売れるやろ」。1回目のアメリカ進出で、見事に大失敗
アレックス
そもそもの話になりますが、サイボウズが2001年にアメリカにオフィスを開いたのはなぜですか? これが1回目の挑戦ですよね。
青野
創業者の3人(*)とも、もともとグローバル志向が強かったんですよね。最初に作った「サイボウズ Office 1」は、1998年1月に英語版を公開していて。
(*)高須賀宣、畑慎也、青野
山田
それって、創業の翌年ですよね? まだ3人しかいないとき。
青野
そうそう。事務所は2DKのマンションでした。
あり得ないですよね。まだ日本での売上もほとんど立っていないのに、友だちの旦那さんのオーストラリア人に製品内の文章を訳してもらって、ホームページも作って。
でも当時から、何とか海外へ進出したいと思っていました。
山田
僕が入社したときも「世界へ出ることにこだわっているな」と感じましたよ。「インターネットやねんから、世界中で売れるやろ!」みたいなシンプルなノリで……(笑)。
青野
今にして思えば、そんなノリだけで売れるはずがないんですけどね(笑)。1回目のアメリカ進出は、見事に大失敗で終わりました。
サイボウズの社内にある「BAR」で、2人にお話を聞きました。まずは乾杯
山田
最初のときは3年間やりましたよね。
青野
そうですね。前任者が3年やって、その後は僕が引き継ぎましたが、ほぼ「敗戦処理をするだけ」という状況でした。
山田
スタッフは現地採用で、日本からは人をほとんど出していませんでしたよね。
青野
日本側からほとんど支援がない状態で、「とりあえずアメリカはアメリカで頑張ってね」という感じ。
山田
あの当時って、「海外でうまくいかない日本企業あるある」だった気がするんです。中間管理職が予算だけ渡され、限られた条件の中、自分たちでやるしかないという。
ローカライズだ何だと言いながら孤軍奮闘して、本社に助けを求めても大変さを理解してもらえない。逆に「何でそんなに金がいるねん」と言われてしまうような……。
青野
それじゃあ出口が見えませんよね。
山田
そう。まさに「出口の見えないトンネル」ですよ。
僕たちは十分にリソースを持っていなかったのが、逆によかったのかもしれません。撤退の決断をずるずると引き伸ばすことがなかったから。
文化も企業の形も違うのに、ノー調査で突撃してしまった
アレックス
その中でも特に大きな失敗の理由はなんですか?
青野
いや、もう、すべてにおいてダメでしたね。
そもそも日本の事業で資金的な余力を得られていないのに、アメリカにも投資し続けなければいけないという無理ゲーでしたし。
山田
フルコミットできなかった?
青野
全然できない。
山田
製品的にはウケたんですか?
青野
日本でいちばんウケた「スケジュール共有」の機能も、アメリカではダメでした。
お客さんのところにヒアリングにいったら、「なぜ上司に僕のスケジュールを見せなきゃいけないんだ? 上司が僕のことを信頼していれば、見せる必要はないじゃないか」と言われるんですよ。
山田
ああ。
青野
施設予約の機能も通用しませんでした。アメリカでは大きな会社は役員や社員が個室を持つから、「会議室を押さえる」というニーズがなかったんです。
山田
文化も違うし、企業の形も違うということですね。
青野
はい。だから、アプリケーションに依存するのではなく「もう一つ下のレイヤーにいかなきゃいけない」と思いました。
例えばPCなら、どこの製品にもインテルのCPUが入っているじゃないですか。
僕たちもそんな感じで、完成品はベンダーさんに任せて、その下を支えるレイヤーの製品を作らなきゃといけないんだと痛感しましたね。
青野慶久(あおの・よしひさ)。1971年生まれ。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立した。2005年4月には代表取締役社長に就任(現任)。社内のワークスタイル変革を行い、2011年からは、事業のクラウド化を推進。著書に、『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない』(PHP研究所)など。
山田
アプリケーションだと、競合もめちゃくちゃ多いですしね。
青野
うん。アメリカでは、超ニッチな領域でもパッケージベンダーが何社もあるんですよ。
びっくりしたのは、「ファミリー経営しているリムジン会社用」のパッケージソフトがあって。
山田
もう、よくわからないレベルのニッチさですね(笑)。
青野
日本だったら絶対パッケージにはならないでしょ?
市場自体が大きくて、どんどん新しいプレイヤーが参入してくるから、自分たちの立ち位置をしっかり決めておかないと太刀打ちできないんですよ。
山田
それは今も変わらないし、もっとすごい状況になっています。プレイヤーは世界中から集まって来ているし、GAFA(*)に代表される超大手は利益をどんどん投資に回していくし。
(*)Google、Apple、Facebook、Amazonの4社
青野
最初に進出したときは、そんな分析はまったくしていなかったんですよね。ノー調査で突撃。
山田
「調査してから行くなんて、ベンチャーの感覚じゃない!」みたいに思っているところがありましたよね(笑)。
青野
「まずは行くんだ」と。リサーチを兼ねてね。
2回目のチャレンジのときは日本の事業も伸びていたし、山田さんが入って上場して10億円ほど調達できたので、国内の売上も順調で資金的な余裕もありました。
文化に依存せずに提供できるサービスについては、マイクロソフトのような最強の競合とも棲み分けられるよう研究していました。
「本社をアメリカへ移すべきでは?」「子育てがあるから無理」「じゃあ僕が行ってもいいですか?」
アレックス
最初に海外へ出る目標がアメリカだったのはなぜですか?
青野
まずは世界で最も市場が大きいこと。日本では10%くらいのシェアを取らないと儲からなくても、アメリカなら3%で利益が出る。それならニッチな分野でもやっていけるのでは? と思いました。
もう1つは、アメリカに世界最高峰のソフトウェア企業が集まっていることですね。そこで実績を残せれば、さらなるグローバル展開が見えてくる。
山田
「アメリカを制する者は世界を制する」のがITの世界ですよね。
だから僕は「本社をアメリカへ移すくらいの気持ちでコミットすべきでは?」と提案したんですけど。
青野
そうでしたっけ。
山田
青野さんに「子育てがあるから無理」と言われたんですよ(笑)。
青野
ああ、言ったかも(笑)。
山田
それで「じゃあ僕が行ってもいいですか?」と。
山田 理(やまだ・おさむ)。サイボウズ 取締役副社長 兼 サイボウズUSA(Kintone Corporation)社長。1992年日本興業銀行入行。2000年にサイボウズへ転職し、責任者として財務、人事および法務部門を担当し、同社の人事制度・教育研修制度の構築を手がける。2014年からグローバルへの事業拡大を企図し、米国現地法人立ち上げのためサンフランシスコに赴任し、現在に至る
青野
僕としては、山田さん以外の人に任せる選択肢はありませんでした。
どんなに資金があっても、アメリカでもう一度戦うには「最高のサービスを生み出せるチームを作る」しかないと思っていたんです。
しっかり時間をかけて、サイボウズっぽいチームを作らなきゃいけない。そのためには山田さんに行ってもらうしかないと。
山田
チームを作る過程では「日本のメンバーをどう巻き込めるか」が大事で、そのためには「青野さんと僕が握れている」ことが必須でした。
間に本部長が入って青野さんと話しているレベルではなく、実質的に青野さんがアメリカへ行ってコミットしているような状態じゃないと進まない。
だから、僕が青野さんと同じように判断できることは大きいですね。
青野
そうですね。
山田
現地での採用もそうです。いくら夢を語っても、日本のベンチャーが立ち上げた事務所に入ろうとしてくれる人はどうしても少ない。
でも、日本の副社長が来ているとなれば本気度も伝わります。
「権限はちゃんとあるのか?」と聞かれれば、「俺が来てるってどういうことだと思う?」と答えられますからね。
青野
安心感を持って働いてくれる人が増えることで、サイボウズっぽい風土の会社になっていくんですよね。
日本で言うところの働き方改革はとっくに終わっているアメリカ。だけど幸せじゃない?
アレックス
サイボウズには「チームワークあふれる社会をつくる」という理念があって、僕もそれに共感しているのでここにいます。
アメリカにもサイボウズの理念をそのまま輸出できていると思いますか?
山田
少しずつではありますが、共感してくれる仲間は増えています。
アメリカは多民族でダイバーシティが当たり前なんだけど、「優秀な人がいかに会社を成長させ、株価を上げられるか」ばかり注目されている面もあると思っていて。
優秀な人たちでさえ「お金のために自分はどこまでやらなきゃいけないの?」「もっと人生を良くしていきたいんだけど」と感じるようになってきている。それも背景にあるのかもしれません。
青野
アメリカの「カイシャを取り巻く雰囲気」も変わってきているということですね。
山田
そうですね。かつてはアメリカにも高度成長期があって、ゼネラル・モータースなどの大企業で長く働くことがステータスとされる時代がありました。
青野
だけど、ITベンチャーがたくさん出てきて世界トップの経済力を持つようになった。
山田
はい。リモートで働くことなんて当たり前になっていて、日本で言うところの働き方改革はとっくに終わっているんです。
でも、そんな働き方改革を経験した人たちが今になって「幸せじゃないよね」と感じ始めている。
Alexander Steullet(通称アレックス)。サイボウズ式のグローバルコンテンツ担当として、2018年11月にサイボウズへ入社。 ソ連生まれ、スイス出身。
青野
日本では「長時間労働をやめよう」と言われているけど、アメリカではティール組織でいうところのオレンジ、「成果主義に支配された組織」に疲れ果てているのかもしれませんね。
山田
だから、僕たちはアメリカでも、働き方を語る文脈で面白い立ち位置にいると思うんですよ。
サイボウズの文化が広まっていけば、キントーンも自動的に広まっていくはずです。
従来型の社内システムでは基本的に権力を持つ人が情報を統制して成果主義を推進するけど、キントーンは真逆で、みんなに情報を開放していくための仕組みですから。
幸せになるために人が作ったカイシャが、人を不幸にしている
青野
もともとカイシャって、人が幸せになるために人が作ったものじゃないですか。それが日本では存在感が大きくなって「カイシャさん」になっちゃった。
人のためにカイシャがあるんじゃなくて、カイシャさんのために人がいるような状態になっています。
アメリカではちょっと違って、CEOが人やお金を支配する仕組みとしてカイシャを利用している。
これって、「幸せになっていない人が多い」という点では共通していますよね。
山田
はい。「人が幸せになるために活動するんだ」という根本は変わらないんだと思います。それをやるためにカイシャという仕組みが便利だから使っているだけで。
だけど、今は日本でもアメリカでも、カイシャが人を幸せにする方向に進んでいません。
だから僕たちはシンプルに「人を幸せにするカイシャにしよう」と言えばいいんだと思います。そこで働いている人が幸せになるためにカイシャがあるのだと。
青野
それって、まさにサイボウズっぽいですよね。働き方も生き方も100人100通りであることを大切にしながらチームワークを実現できれば、めちゃくちゃ楽しいんだよと。
山田
そうですね。「100人100通り」のメッセージって、僕はアメリカのほうが響くんじゃないかと思っています。日本では多様性といっても男女差くらいしか出てこないけど、アメリカでは人種や宗教、LGBTについても考えているので。
アレックス
でも現実には、マイノリティと呼ばれる人が格差の下に置かれている状況でもあります。
山田
だからこそ「100人100通りでいいんだ。あなたの属性は一切関係なく、あなたが幸せになることこそが大事なんだ」と伝えていきたいんですよね。
このメッセージは、アメリカが長い歴史の中でずっと目指してきた理想像とも重なります。ずっとやりたくて仕方がなかったこと、でもまだ実現できていないこと。
青野
うん。
僕たちは、アメリカの夢を応援できる存在としても活躍していきたいですね。
執筆:多田 慎介 / 写真:土田 凌 / 編集:藤村 能光 ・ Alex Steullet