「○○歳までに結婚したい」、「○○kgまで体重を落としたい」、「年収は○○万円ほしい」など、いろんな理想の数字がある現代社会。
これらの数字は、よりよい生活を送るための指針となる一方、「ムリしてでも目標を達成しなきゃ」と、わたしたちの言動をしばるものでもあります。もしも思い切って、これらの数字を手放せたら、もっと自分らしく生きられるのかもしれません。
では、具体的にどうすれば「手放せる数字」を見極めることができ、そこから自由になれるのでしょうか。『ダイエット幻想──やせること、愛されること』において、「数字」がもつ影響力について言及している人類学者の磯野真穂さんに伺ってみました。
年齢、体重、給料……。「数字」に大きな影響を受けている現代社会
深水
今回は「数字を手放す」というテーマで、数字がもつ影響力に詳しい磯野さんに、お話を伺っていければと思います!
磯野
はい、よろしくお願いします! ちなみに、深水さんは「数字にとらわれているな」って感じるときはありますか?
磯野真穂(いその・まほ)。在野の人類学者。1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒。オレゴン州立大学応用人類学修士課程修了後、早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年4月より独立。人がわからない未来を前にどう生きるのか、に関心を持ってる。人類学の魅力を学問の外に広げたいと考えている
深水
たとえば、結婚年齢ですね。わたしの周りだと、「女性は30歳までに結婚したほうがいい」と話す人が多いからか、なんとなく自分もそうしたほうがいいのかな、と……。
磯野
へぇ〜! わたしたちの世代では「25歳まで」と言われていたので、いまは年齢が上がっているんですね。
深水
そうなんです。あと個人的には、体重もそうかなと思っていて。
メディアなどでよく理想と言われている「シンデレラ体重(身長[m]×身長[m]×20×0.9)」は、ダイエットの際に意識しちゃいますね……!
磯野
シンデレラ体重って、いまだに理想の数字なんですね。私生活面での数字が出てきましたけど、仕事面では気になる数字はありますか?
深水
やっぱり、年収ですかね。「将来的に年収1000万円を目指せる会社に勤めている」など、わたしの周りではひとつのステータスになっている気がします。
磯野
なるほど。たしかに婚活現場でも、相手の年収は、大きな評価基準になっていると聞きます。
深水
働く女性も増えているので、年収は男女関係なく、大きな意味をもつ数字なのかもしれませんね。
あらためてですが、今日の取材ではこうした「数字」との付き合い方を見直し、自分らしい人生を過ごすために、どうすればいいかを伺えればと思います!
数字は大きな「文脈」を持ち、それ以外のことを見えなくさせている
深水
磯野さんは『ダイエット幻想』において、「数字のもつ脱文脈化の力」について書かれていましたよね。
あらゆることを数字で抽象化して価値判断をしていくと、数字に表れないところに目を向けることが難しくなる、と。
磯野
そうですね。たとえば、ある治療薬を服用した集団Aは、そうでない集団Bより生存期間を3年伸ばした、という調査結果があったとします。
一見、この薬を服用したほうがよく思えますが、集団Aの一人ひとりがその3年間をどう過ごしたのかは、ここでは問われていない。
ひょっとしたら、集団Aには3年間を苦痛の中で過ごした人がいるかもしれません。
深水
たしかに……! 「3年」という数字だけが注目されて、その裏側にある文脈がまったく見えなくなっていますね。
磯野
はい。『ダイエット幻想』では、このことを「数字は文脈をなくす」と表現しました。ただ、厳密には「数字そのものが、ほかの文脈を押し除けるような大きな文脈をもっている」と言えて。
先の例で言えば、「たとえ苦痛の中で過ごしていたとしても3年長く生きたのだから、そっちのほうが大切だろう」という文脈を、数字はこっそり忍ばせています。
こうして単なる概念でしかない数字が、まるで目の前に実在するかのような、強力な力を持ってしまうわけです。
だから、数字って中立的に思えますけど、それ自体に意味や価値が含まれることはとても多いんです。
深水
たしかに。それこそ、「シンデレラ体重=女性が目指すべき理想の体型」という文脈があり、大きな影響を受けていますね……。
磯野
とくに現代社会では、「数字は大きい(小さい)ほうがいい」という文脈があります。寿命は長いほうがいいし、年収も高いほうがいいなど。
そして、わたしたちは小さい頃から試験の点数やスポーツのスコアなど、いろんな場面で数字と向き合っています。
そのため、知らず識らずのうちに、そうした社会の価値基準に影響を受けているんです。
自分の価値基準がない人こそ、数字にとらわれる
深水
ここまで、数字がもつネガティブな影響について考えてきましたが、一方で数字は「共通の基準」としての利便性もあると思っていて。
たとえば、「お客様の満足度を上げよう」だと漠然としていますが、「月の営業訪問を○回に増やそう」という目標はわかりやすいですよね。
その意味では、組織として仕事を進めるうえで、数字は切り離せないのではないでしょうか?
磯野
おっしゃるとおり、数字はさまざまな人がいるなかで、共通の認識ができる便利なツールです。ただ、それは「車って便利だよね」と同じ程度のもので。
数学者の足立恒雄さんは、著書『数の発明』の中で数字について「人間が対象を把握する『装置』」だという旨を書いています。
そんなふうに数字を「共通認識のためのツール」だととらえられるといいのですが、「共通の理念」のようになってしまうと、苦しくなると思います。
深水
その点、役職や年収に紐づく「評価テーブル」や「売り上げ目標」などは、共通の理念化している面がありそうです。
磯野
いまの社会って、数字をもとに評価するのがあたりまえになっていますよね。しかも数字を達成すれば、周りから評価されるから、本人もうれしい。
これだけ多様性が叫ばれる世の中であっても、偏差値や役職の高い人たちの言うことを、ありがたく聞いてしまう風潮もありますよね。
深水
そんな中で、数字とうまく付き合っていくにはどうすればいいのでしょうか?
磯野
いまの社会の価値基準が数字に大きな影響を受けていると認識したうえで、自身の価値基準を社会に合わせないことが大事だと思います。
たとえば年収の話でも、一般的な価値基準で考えるのではなく、「自分が思い描く生活をするためには、どれくらいのお金が必要か」を考えてみる。
そうすれば、必要以上に年収を上げようと、やみくもに働いたり、やりたくない仕事をしたりしなくて済むかもしれません。
深水
うんうん。
磯野
逆に言えば、数字にとらわれる人って、自分の中で大事にしたいものが、消えていることが多いと思います。
「こういう状態だと心地よい・悪い」という自分の価値基準がわからなくなってしまっている。だからこそ、外部の価値基準である数字に引っ張られ、それによる他者評価に過剰に頼ってしまう。
その生き方はそこそこうまくいくし、気持ちのいいものなので、結果的に数字が自分の生きる尺度になってしまうのかな、と。
「やってみる」を積み重ねることでしか、価値基準を作れない
深水
とはいえ、すでに数字が大きな価値基準となっている人にとって、自分の価値基準を見出すことは難しい気がします。
自分なりの価値基準をつくるには、どうすればいいと思いますか?
磯野
うーん……。第93回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した『オクトパスの神秘:海の賢者は語る』という映画があって。
そこで描かれる「1匹のタコ」の生き方が参考になるかもしれません。
深水
えっ、タコですか……?
磯野
はい。そのタコは自身の手足を使ってロブスターを捕ろうとするんですが、何度もすり抜けられて逃してしまいます。
そうした失敗の繰り返しを経て、やがて自身の体全体を使って、ロブスターに覆い被さるようにして捕獲に成功したんですよ。
深水
ほうほう。
磯野
そのシーンから考えるに、数字による指標に頼りすぎる人は「やってみる」が苦手なのかな、と思います。
いまの社会って「こういうふうにすれば、成功できる確率が高いよ」というデータがたくさんありますよね。
数字に依存する人はそうしたデータに沿って動くことは得意なんですが、それ以外のことはやらないんです。
深水
うっ、自分にも思い当たる節があります……。
磯野
もちろん、そのデータは特定のカテゴリーの平均値としては間違いなく正しいのですが、わたしたちは固有の人生を生きていて。必ずしも、その平均値が自分に当てはまるとは限らないんですよ。
あたりまえですけど、海の中で生きるタコは、「タコが生き延びるためのサバイバル術」みたいなマニュアルを持っているわけではありません。
だから、自分自身で体を動かし生きることを「やってみる」なかで、サバイバル術を会得していくしかない。人間にも同じ側面があるはずです。
深水
うんうん。
磯野
ところが、わたしたちは知性を使ってデータを集め、人間一般の「サバイバル術」を作り出し、大量に配布します。その結果、なにをするにもマニュアルがあると思ってしまう。
これは知性の働きですから、悪いことではありません。ただ、ここで強調したいのは、わたしたち人間の生にもタコような側面、つまり、「やってみる」をしないと、どうしようもない側面があることです。
深水
なるほど。つまり、自分の価値基準を見出していくためには、数字に準拠したマニュアルに頼らず、自らの「やってみる」経験を積み重ねていくべきだ、と。
磯野
そうです。でも、いまの社会では「やってみる」が意外と難しくなっています。なぜなら、評価されるかどうかもわからないし、失敗するかもしれないから。
深水
それこそ、数字が「やらないことの言い訳」になることってありますよね……。わたしも受験生のとき、「こんなに通過率が低いなら、自分が合格するはずない」とあきらめたことがありました。
磯野
そうなんですよね。わたしたちは小さい頃からそういう数字に揉まれ続けています。
それに、自分が数字の呪縛から抜け出そうとしても、周りが否定することもあります。「なんで年収がさがるのに転職するの?」「偏差値の高い学校のほうが将来的にいいのに」といったように。
みんなが数字という可視化しやすい共通認識をもっているために、評価されることから逃れられない面もあると思います。
数字を追い求めることは悪いことか? 数字がエネルギーになる人は手放す必要はない
深水
一方で、数字を追い求めること自体が楽しい人(あるいは、そういう時)があると思っていて。その状態についてはどう考えていますか?
磯野
数字を追いかけることが楽しい人は、あえて手放さなくてもいいと思いますよ。
実際、「この記録を超えたい」という目標を立てて、一生懸命向かっていくとき、数字は大きなモチベーションになりますから。
深水
数字を追いかけることが、必ずしも悪いわけじゃないんですね。
磯野
それこそ数字を見るのが好きな人って一定数いるので、そういう人に数字の管理を任せてもいいと思います。
バイオリニストの葉加瀬太郎さんは、パートナーにお金の管理をお願いしているようですよ。
深水
それはWin-Winな関係ですね!
磯野
あとは、あえて数字を追い求めまくって、一回ボロボロになるのもありだと思っていて。
そこで世界と心地よく関われているか、自分の身体で実感し、答えを出していくことが大事だと思います。
深水
数字を追い求めることを「やってみる」なかで、自分の価値基準に気づくこともありそうですね。
磯野
そうですね。あと、数字を追い求める際に気をつけたいのが、手段と目的が入れ替わりがちなこと。
たとえば、「30歳までに結婚したい」という話でも、30歳だとなにがいいのかを考えるべきだと思います。
深水
わたしの友人は、「妊娠率がさがる35歳までに子どもを2人生みたい」と言っていましたね。
磯野
なるほど。そこからもう一歩踏み込んで、「子どもを生み育てることが人生の目的か?」「なぜ子どもがほしいのか?」まで考えてみるとよさそうですね。
もしその答えが「子どもがいないと世間的に恥ずかしいから」だったら、自分が望んでいる選択ではないかもしれません。
深水
幸せになるための「手段」である結婚が、人生の「目的」にすり替わってしまっている、と。
磯野
はい。数字は、必ずしも手放す必要はないと思います。でも、「目的と手段が入れ替わっていないか」「世間的な評価が自分の理想にすり替わっていないか」と点検することが大切ですね。
(
後編に続きます)
企画:深水麻初(サイボウズ) 執筆:中森りほ 撮影:栃久保誠 編集:野阪拓海(ノオト)
サイボウズ式特集「多様性、なんで避けてしまうんだろう?」
ここ最近、よく耳にする「多様性」という言葉。むずかしそう、間違った言動をしそうで怖い——。そんな想いを抱えている方もいるのではないでしょうか。サイボウズでも「多様性」を大事にしていますが、わからないこともたくさんあります。この特集では、みなさんといっしょに多様性の「むずかしさ」をほぐし、生きやすく、働きやすくなるヒントを見つけられたらいいなと思うのです。