ドラァグクイーン・脚本家のエスムラルダさんと考える、だれも排除しない「まぜこぜのチーム」への道のり
2024年6月16日、女優の東ちづるさんが理事長を務める⼀般社団法⼈Get in touchが制作した映画『まつりのあとのあとのまつり~まぜこぜ一座殺人事件~』が先行公開されました。
本映画には、さまざまなマイノリティによるパフォーマー集団「まぜこせ一座(いちざ)」のメンバーが出演。彼らが直面する「なぜ、わたしたちの生きづらさは変わらないのか?」という課題を、視聴者に自分ごと化してもらう試みをもった作品です。
実は本映画の撮影場所となったのは、サイボウズの東京オフィスの一角。「チームワークあふれる社会」を目指すサイボウズが、Get in touchの「まぜこぜの社会」という理想に共感し、撮影場所が決まりました。
今回は本映画に寄せて、脚本を担当したドラァグ・クイーンのエスムラルダさんにお話を伺いました。会社や組織の中で、誰⼀⼈排除せず多様な個性を活かし合える「まぜこぜのチーム」は、どうすれば実現できるのでしょうか?
一人ひとりが「世の中にはいろいろな人がいる」ときちんと理解することが第一歩
サスペンスやコメディ要素をふんだんに盛り込みながらも、一貫して社会派としてのメッセージも強く感じられ、いい意味で視聴後に「モヤモヤ感」が残る作品でした。
そのとき、東さんがおっしゃったのが、「マイノリティの課題など社会的なメッセージを織り込みながらも、決して押しつけがましくなく、おもしろく見られるコメディサスペンスにしたい」ということでした。
マイノリティをテーマとして扱う作品は、どうしてもヒューマンドラマとかお涙ちょうだい的なものになりがちですが、マイノリティの人たちによるコメディサスペンスというのは新しいしおもしろいと思い、即座にお引き受けしました。
エスムラルダさん自身もいままで「社会からいないことにされている」と感じたことはありましたか?
いろいろな意見がありますが、わたしは、セクシュアルマイノリティが社会に当たり前にいるという認識が広がっていけば、かつてのわたしのように嘘をついたり孤独を感じたりすることなく、ラクに生きられる当事者が増えていくのではないかと思っています。
そのためには、できる人から少しずつカミングアウトしていくことも必要かもしれません。
まずは一人ひとりが、「世の中にはいろいろな人がいる」ときちんと理解し、それぞれが抱えている困りごとなども知っていく。それが第一歩ですよね。
マイノリティの立場で考えることは、未来の自分のためでもある
マイノリティについて考えると、いままで自分が当たり前だと思っていた世界が揺らいでしまうような気がして、あえて目を背けている人もいるかもしれません。
でも、人生にはいつ、どんな変化が訪れるかわかりません。いま健康な人でも、病気になったりけがをしたり年をとったりして、体の自由がきかなくなくなることがあるかもしれないし、自分が、あるいは家族や友だちが、実はセクシュアルマイノリティだったと知ることがあるかもしれない。
そんなとき助けになるのは、社会保障制度やバリアフリー設備であり、世間の理解であり、正しい情報や知識なんですよね。
それから、人々が自分のことに精一杯になっている背景には、「道を外れてはいけない」「自分の身は自分で守らないといけない」という風潮もある気がします。
「世間で『ふつう』『当たり前』『正しい』とされている道から少しでも外れると、大変なことになる」と思い込み、失敗しないように、道を外れないように、いろいろなことを我慢し、必死になっている人は少なくありません。
中には、マイノリティへの配慮や施策などが行われることに対し、「自分たちは頑張っているのに、マイノリティばかりが優遇されている」といった不満を抱く人もいます。
そして、マイノリティに対して厳しい目を向ける人たちの中には、いざ自分自身がマイノリティになると、「自分にはもう価値がない」などと考えてしまう人もいるんですよね。
他人に対してもう少し優しく接することができるようになり、社会全体として、いろんな人に手を差し伸べるゆとりが生まれるような気がしませんか。
卵が先か鶏が先か、みたいな話にはなりますが、一人ひとりが互いを思いやるようになれば、逆に自分たちがいま抱えている焦燥感や不安感は軽くなっていくのではないでしょうか。
多様性の中で、自分なりの答えを探していくことが大事
それでも、自分を大事にしつつ、他者の事情などを思いやる気持ちを忘れないことも重要だと思います。
最近、SNSなどで、自分の尺度とたまたま目に入った情報だけをもとに善悪を判断してしまう人や、「女は~」「男は~」「高齢者は~」「ゲイは~」など、乱暴に属性でくくって攻撃している人をしばしば見かけます。
何事においても簡単に「答え」を出そうとしている人が多い気がするんですよね。それはとても危険なことだし、対立が深まるばかりです。
人生にも社会的課題にも正解はありません。いろいろな人たちの考えや立場を知り、葛藤し試行錯誤を重ねながら、自分なりに「より良い」と思えるものを探していく。それがこの社会で生きるということであり、豊かな人生、豊かな社会につながっていくのではないかと、わたしは思います。
たとえば他者への想像力が欠けた結果、取り返しのつかないトラブルが起きることがあります。最近だと、配慮にかける不適切な発信によってSNSで炎上する企業などもよく見かけますよね。
でも、もしその企業やチームの構成メンバーにいろいろな属性の人がいて、フラットに意見を言い合える環境だったら、きっとどこかで歯止めがかかるのではないかと思うんです。
しかし、どこかのタイミングで組織として大きく道を踏み外したり、後戻りができない状況になってしまったりするリスクもあります。
だからこそ、多様な人たちが集まり、いろんな側面から物事を見て、いいとも悪いとも言いきれないこともしっかり考え、議論していくことが大事なのではないでしょうか。
自分を受け入れることで、他者にも寛容になれた
そのためにも、まずはそれぞれがマイノリティに対する偏見をあらためていく必要がありそうです。
先ほどもお話ししたように、20歳までは自分以外のゲイと会ったことがなかったし、自分も男性が好きなのに、ゲイに対してどこか「自分とは違う人たち」と思っていました。新宿二丁目という街にも、漠然とした「怖さ」を感じ、最初はなかなか足を踏み入れることができませんでした。
ちょっと主語が大きくなりますが、人間って、自分が接したことのないものに対して、どうしても不安を感じやすいんですよね。
彼らのおかげで、「自分と同じように、同性を好きな人はたくさんいるんだ」「同性を好きなのはおかしなことではないんだ」と理解でき、自分自身がゲイであることも受け入れることができました。
自分の中の偏見を解消するためには、やはり「ちゃんと知る」ことが何よりも大事なことですね。それから、自分自身をきちんと受け入れること。
セクシュアリティのことに限りませんが、わたしは「『良い』部分も『悪い』部分も含めて、これが自分なんだ」と自分自身をしっかり受け入れられるようになって、ようやくほかの人たちのさまざまなありようを受け入れられるようになった気がします。
「いろんな人がいるよね」で終わらせず、理解を深めていくために必要なこと
相互理解のために、わたしたちはどうしていくべきなのでしょうか。
わたし自身、ほかのマイノリティの方が声を上げているのを見て、初めて「あ、こんな困りごとがあったんだ」と知ったり考えたりすることが多々あります。
とはいえ、声を上げるのはすごくエネルギーが必要なことなので、カミングアウト同様、まずはできる人がやるしかありません。
声をあげる人が少しずつ増え、「こういう人たちがいる」「こういう困りごとがある」という理解が広がっていけば、いまよりも気軽に話し合いがしやすい環境になっていくのではないでしょうか。
それでも、感情と理性を切り離して考えてみてほしいんです。せっかく組織として成長できる機会なのだから、そこで一歩考えを進めてほしい。
たとえば目安箱のようなものを設置して、匿名で発信できるようにすれば、マイノリティ側も声を上げやすくなるのではないでしょうか。
当然のことながら、マイノリティ側だって間違うことはあります。そのときに、マジョリティ側から「それは賛成できないけど、こうしたらいいんじゃないか」と言えるような関係性になるといいですよね。どちらが上とか下とかではなくて、対等な存在として。
映画『まつりのあとのあとのまつり~まぜこぜ一座殺人事件~』は、2024年秋に上映予定です。
・監督:齊藤雄基
・脚本:エスムラルダ
・プロデューサー:東ちづる
・制作・提供・配給:一般社団法人Get in touch
・上映館一覧:
10月18日〜24日
ヒューマントラストシネマ渋谷(東京)
キネカ大森(東京)
10月25日〜31日
アップリンク京都(京都)
11月11日〜11月17日
テアトル梅田(大阪)
※順次全国公開。
※詳細は後日、サイボウズ式公式Xでお知らせいたします。
企画:野阪拓海(ノオト)+サイボウズ式編集部/取材・執筆:園田もなか/撮影:小野奈那子/編集:野阪拓海(ノオト)
SNSシェア