DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー(DHBR)とサイボウズ式で考える「働きたくなる会社」──。日本企業の未来について、サイボウズをモデルケースに議論をします。
DHBRの第3回討論会では「多様性」や「いい会社」についての議論が起こり、「働き方を多様化することで、世界一のグループウェアを生み出せますか?」という新たな議題が浮かびました。
このテーマについて、サイボウズ社内でディスカッションを実施。副社長の山田理、事業支援本部長の中根弓佳、コーポレートブランディング部長の大槻幸夫が話します。モデレーターは、サイボウズ式編集長の藤村能光。
今回がDIAMOND ハーバード・ビジネス・レビューの読者とサイボウズの「働きたくなる会社」討論会のラストになります。 第3回の討論内容は「なぜ企業は成長し、イノベーションを起こさなければならないのか?」。サイボウズにとっての成長・イノベーションは、走る途中で気づいたらそこにあったようなものなのか? 「結果的」に世界一になれるほど甘くはない。「何かを起こす」意識を持ち、変革を繰り返すべきではないか? といった意見が出ました。討論会を終えてまとまった質問は「チームワークあふれる社会を創るのに、グループウェアで世界一になる必要はあるんですか?」。サイボウズの企業理念や存在理由を問うものです。ここから話を始めましょう。
チームワークあふれる社会とグループウェア世界一に矛盾はないか
サイボウズのビジョンである「チームワークあふれる社会を作る」ことと、「グループウェアで世界一になる」は両立できるのでしょうか?
この2つは、矛盾するといえば矛盾します。今は「チームワークあふれる社会を作る」が「グループウェア世界一」よりも優先度が高いのでは、と思っています。 青野さん(* 社長の青野慶久)は、グループウェアメーカーとして、サイボウズがユーザー数で世界一になることに、ものすごいこだわりを持っています。 最近は「僕が生きているうちにはやりたいですね」なんておっしゃっていて。それは、青野さんがチャレンジしたかったらすればいいと思う。
このままじゃ死ねないっておっしゃっていましたね。
世界一っていろいろですもんね。
ところで、「グループウェア世界一」の意味って何でしょうね? いろんな人がいろんな解釈をしている可能性がありそうです。 今の定義は「ユーザー数で世界一」としていて、社員からは共感が得られている気がします。一方で、そのユーザー数がいくつかは明確に定義していません。 いまはそれで良いのかもしれませんが、今後は問題になってくる可能性もあります。例えば1億人が使うグループウェアになったとして、「それでも世界一を達成していない」という意見が出てくることだってありえます。
世界一に近づけば近づくほど、定義の解像度は上がってきます。今は世界一の方向性は示しているくらいかな、という解釈です。
サイボウズの予想売り上げはまだ年間で約80億円くらいです。 「このペースでいつ世界一になれるのか?」といったモヤモヤも社員からは出ています。
「グループウェア世界一」という言葉がそもそも分かりにくい?
うーん。何万人が使えば世界一なのか、どれだけ売り上げたら世界一なのかは、まだ分かりませんね。
チームワークあふれる社会が実現したら何が起こるか
もう1つのビジョンについて。そもそも「チームワークあふれる社会」をみんながイメージできているのかな?
分からないですね。
もし全世界に本当にチームワークあふれる社会になったら、一体何が起こるのか。ここは十分な議論ができておらず、理解が得られていないかもしれない。
理想に対するアプローチの仕方は、1つじゃないですからね。
そうですね。まず大事なのは、自分たちが本当によいチームワークの会社になること。そのために何が理想か? 少なくとも僕はそれが分かってなくて、模索しているのが現状。 サイボウズが世の中からも、社員からも「本当によいチーム」だと思ってもらえるようになれば、そのチームワークを広げていけばいい。でも、現状はサイボウズが一番とは言い切れません……。
うんうん。
今のビジョンは、その答えを個人ごとに考えさせるものになっていますね。そういう意味では、よいビジョンといえるかもしれません。
事業ドメインは「グループウェア」だけでいいのか?
「世界中のチームワークあふれる社会」を実現するために、「グループウェア」という手段は適切なのでしょうか?
グループウェアという単一手段で世界一になれるのか、ですね。最近のサイボウズはチームワーク研修など、グループウェア以外の取り組みも始めています。 多様性を重視し、働き方だって選べるサイボウズは、世間からはよい会社とみられている。でも、それで「競争」という軸で世界に勝てるのか?
チームワークあふれる社会という理想に共感した人の多様性を受け入れて、個人が生きたいように生きる。 そういったチームになれば、自ずとグループウェアでも世界一になれるといまのところは信じてやっている。そんな感じでしょうか。
思いだけで世界に勝てるんですかね。サイボウズに成長はいらない? イノベーションを起こさなくてもいい?
イノベーションはあくまでも結果で、それ自体を目指しているわけではない。イノベーションを生み出すための手段として、多様性を担保したり、働き方を選べる職場がある。
違う価値観の企業や人といっしょに、チームワークあふれる社会を作りたいんですよね。そういうつながりを求める人もこれから増えていきそうです。そういったつながりから、イノベーションって生まれてくるんじゃないでしょうか。
今のサイボウズって、成長も求めないし、なんだかよくわからない会社ですよね。その方が、イノベーションが起こる可能性があるともいえます。
創業からわずか20年も経っていなくて、売り上げが年間100億円もないような会社ですよ。それなのに、最近は大臣から働き方に関する意見を求められたり、国家予算がつくプロジェクトでも発言できるようになってきています。 実績も何もない会社の話を、国家の予算で聞こうとしている。ある意味それはすごくて、今までだったらあり得ないです。僕らの取り組みが少なからず影響を与えているという点では、イノベーティブな感じがしますけど。
なるほど。
ハーバード・ビジネス・レビューの読者は、「勝ち負け」に関する議論をしていらっしゃったように思います。僕らも「世界一」と言葉で言う限りは、勝ち負けにこだわっていく必要があるのですが、いまのように競争を目指さないままで、世界で勝てるのだろうか?
そういえば読者のみなさんの議論では、成長やイノベーションをスポーツに例えて議論をされていましたが、少し違和感があったんです。 スポーツは優勝という明確なゴールがある一方、ビジネスは「勝つこととは何か」が明確ではない。その会社によって目指すものが違うので、企業の成長やイノベーションをスポーツに例えると、話がずれてくるのかなと。
なるほど。プロのスポーツは勝つことを優先に考えていると思いますが、私個人のスポーツは、優勝することや記録を伸ばすこと以外にも楽しみが増えてきている。勝つことや価値の置き方もそれぞれ、そんな感じはしますね。
企業理念は変えてしまってもいいのか?
いまのサイボウズは「チームワークあふれる社会を作る」というビジョンがある。かつ、今は本気で世界一を目指している。けど、その途中でビジョン自体が変わることだってあり得ると思うんです。
理念すらも変わる可能性があることは、大きなポイントという気もします。 サイボウズは過去に「情報サービスをとおして世界の豊かな社会生活の実現に貢献する。」というビジョンを掲げていました。 講演で社外の人に「この理想って、別にサイボウズじゃなくてもいいですよね」って言うと、うんうんってうなずく方が多くて。これって何だろうと。 経営者も含め、誰しもが企業理念を変えてはいけないと思い込んでいるふしがある気がしますが、環境やチームの考え方が変わればそれも変えてもいいものだって言えることが重要だと感じたんですよね。
「企業理念は石碑に刻むな」ですね。理念が一人歩きしだすようになると、理念自体を変えてはいけないというものになってしまいます。 もし今の理念で世界一を目指して事業が立ち行かなくなった時に、「やっぱり違っていたね、それはしょうがないんじゃないかな」って思えるかどうかが大事かなと。 世界一を目指してつぶれる会社なんてごまんとありますから。今までのやり方で会社がつぶれる可能性があるのなら、理念にしがみつかず、理念そのものを変えていったっていいと思います。
確かに。
一方で、「創業者の思いは墓標に刻めばいい」と言っています。青野さんの思いは青野さんの墓標に、僕の思いは僕の墓標に刻んでおけばいいと思うんです。それを見た後々のサイボウズのメンバーがどう思うかは、個人の勝手ですよね。
会社という概念にどこまでこだわるのか
例えばですが、チームワークあふれる社会を作るために、Googleに買収される可能性だってありえるのでしょうか?
ありだと思います。だけど、Googleに買収されたとしても、理想の実現に近づくわけではないから、現段階で買収されるという選択はないかな。
買収によってサイボウズのビジョンが実現できるなら、ありということですよね。
そうそう。これは会社という概念にどこまでこだわるかの話でもあります。 僕らの理想は、エコシステムを作ってビジョンを実現すること。今は、ソフトウェア開発が得意で、それを中心に事業をしています。ただ、それだけじゃ、チームワークあふれる社会は作れないかもしれません。 なので、サイボウズという会社単体ではなく、パートナーや外注先など、社員以外の人にも手伝ってもらって、理想が実現すればいいと思っています。
今、働き方や人事制度を変えているのは、実験の1つ。教育事業もそうですよね。
僕ら自身が「ツール(の提供)だけではダメなんだ」「風土や制度の視点からも、チームワークあふれる会社を作っていく必要がある」と感じています。教育事業なら、本当に僕らがそれをやっていくべきなのかも考えないといけませんが。
会社を大きくするのは、経営者のエゴなのか?
企業理念を変えていいとすれば、創業者の青野さんがトップではなくなってもよくて。トップが変わることは、サイボウズの死角ではないということですよね。
普通は創業者が変わった時は、それ自体が死角になりますから。
経営者のコンプレックスの強さによって、「世界一を目指す」と言語化するかどうかが違ってくる、という意見もありました。
青野さんがグループウェア世界一にこだわるのは、なぜでしょうね。
昔の青野さんは、何でもグループウェアで課題解決しようとしていましたよね。
糸井重里さんと対談した時も、糸井さんは「働くことが嫌だ」、青野さんは「人と話すのが苦手」と言っていて、それも根本にある気がします(笑)。 そんな社長がもし変わってしまえば、当然、企業だって変わらざるを得ない。だから無理に、社長の理念を引き継がない方がいいんでしょうね。
そう思います。会社が果たすべき責任は、そこで働く人の個性や個を重視して、会社が無くなった時に生きていけるようにすることじゃないでしょうか。 会社は強いもの、社員は弱いもの。会社が社員を守らないといけない──。そんな発想を変えていきたいですね。
会社は雇用側、社員は雇用される側と思い込みたいのは、経営者だけなのかな?
従業員も同じじゃないですか。
そうかもしれない。それでいうと、雇用を拡大して会社を大きくしようとするのは、創業者や経営者のエゴではないかと思う時があるんです。 例えば社員が10万人になったとして、社員数や売り上げを正確に把握していたり、大企業になった会社を誇りに思っている人ってどれだけいるのかな。 10万分の中の1人という個人にとって、本当は「社員数10万人」なんてどうでもよくて、社員数が増えたから喜ぶ人なんてそうそういない。世の中でいう会社は普通、一体感なんかないのが実態じゃないかな。 社員数が増えたら、会社そのものよりも、家族や生活に目を向ける人が一定数出てきても、全然おかしくない。もちろん自分の仕事には興味はあるとは思うんですけど。
企業規模が大きくなればなるほど、一体感を求めるのは正しいのか?
「One ○○」のように、全社一丸を意識させるビジョンを掲げる会社もありますね。
会社の規模が大きくなるほど言われる傾向にあると思うのですが、本当に社員がそれを求めているのかな? 1万人の会社に入っても、結局部署に配属されて、いっしょに働く人は5、6人くらいです。仲の良い人は15人から、多くて100人くらい。100人といえば部署だったら分割するだろうし、一体感も微妙になってくる規模です。 サイボウズだって、500人規模の全員の名前を言える人はいないんじゃないかな。海外に拠点があったりするとさらに、ですよね。
なるほど。
本当に個人で生き生きと働いている時には、組織の大きさって、何の意味もないのではないでしょうか。 ハーバード・ビジネス・レビューの読者も、会社を大きく成長させることを常識・前提として話をされていました。根本的にその点が、サイボウズとスタンスが違うと感じます。
「サイボウズみたいな会社で世界一になれるんですか」ではなく「サイボウズが描く世界一って何ですか」という問いだったら分かりやすい。
1番になることは、単純にワクワクするし、人をモチベートする言葉としてはいいんじゃないかなと思います。
「大きな会社」を目指して、買収していくケースってありますよね。売上目標何兆円を目指す、そのために買収する。でも多角的な事業経営をしだすと、とたんにこれまでの企業理念が崩れる。 例えばヘルスケア、食品、金融など、事業を多角化している企業で、これらの事業に共通する理念にしようといって、理念を後づけするケースもあるようです。
とすると、「世界を幸せにする」みたいな最大公約数的な表現になってしまいがちかもしれません。
事業を起こした後で企業理念を作ろうとするから、どんどんずれていくのかな。 僕らは、企業理念にある「チーム」について、考え抜く必要があります。社会に貢献するためのチームって何だろう? それを実現するグループウェアって何だろう? と。
何の目的を先に置くかでしょうね。
資本主義から連結利益や売り上げ、社員数を目標にしてしまうと、企業理念が後回しになって最終的に「One ○○」といったものになっていくんでしょう。
働きたくなる会社って何だろう?
さて、ハーバード・ビジネス・レビューのみなさまとのリレー討論はこれで終わりになります。そろそろまとめていきましょう。「働きたくなる会社」ってなんでしょう?
働いている個人個人が幸せになる会社。つまり、僕が幸せになる会社ですね。以上。
会社ありきではなく、個人がわくわく働ける会社ということでしょうか。
僕自身が生き生きと幸せに働けることで、家族だって幸せになる。 社員みんなが「サイボウズが幸せになる」ことを望んで働いているわけじゃないと思うんです。
会社側ではなく、まず働く人が自分の幸せは何かを考えていないと、働きたくなる会社は生まれないですよね。
個人が幸せになることを大前提に仕組みを整えていく会社が、働きたくなる会社になるんじゃないかな。それって普通の答えかな? 禅問答みたい?
普通に働いていると、そのシンプルな本質を忘れがちになりませんか。ついつい会社に生きがいを求めてしまったり。
人はそれぞれ価値観が違うから、働きたい会社はいろいろ。自分にマッチした会社こそ、働きたい会社になる。 給料が高いことが自分にとっても一番の幸せだと思ってそういう会社を選んだとしても、実際働いてみて、めちゃくちゃ働くのは向いていない、お金よりも時間や幸せかも、と価値観が変わることもあるはず。その瞬間にこれまで「働きたい」と思っていた会社が、「働きたくない会社」に変わってしまいますから。
1つの会社の中で、働き方の価値観も変わっていく。その変化を受け入れることができれば、その人にとっての「働きたくなる会社」です。
みんなが働きたくなる会社なんてないと思う。その人が働きたくなる会社。
禅問答シリーズですね(笑)。
サイボウズは働きたくなる会社ですか、と聞かれると、答えがすごく難しい。僕らができるのは、働きたいって思ってくれた人に働きやすい環境を提供することだけ。でも、うまくできなくて辞めていく人もいるし、まだまだできていません。
個人的には「会社の考え方はこう、合わなかったらすみません。ほかに合う会社があるかもしれません」とコミュニケーションしてくれるだけで、十分働きたくなる会社だと思います。
最後に
次はハーバード・ビジネス・レビューの読者とサイボウズの社員が会い、働きたくなる会社を真剣に議論します。
一番心配なのは、僕と青野さんの意見が割れるんじゃないかということ。
実はそれを期待しています(笑)。
致命的なところで意見が割れていると、ちょっと不安になりますけど……。
実はチームワークなんてない! みたいな感じにはなったりして(笑)
ハーバード・ビジネス・レビューとサイボウズ式が「働きたくなる会社」について徹底討論。記事は5月上旬に公開予定です。
編集:藤村 能光/写真:山下 亮一