「信頼」とは無条件のもの、「信じられない時にあえて信じる」のが信頼──『嫌われる勇気』岸見一郎先生に聞く
『嫌われる勇気』著者の岸見一郎先生とサイボウズ青野社長が、アドラー心理学とサイボウズの考え方の共通点について語り合うサイボウズでの社内イベント。
第1回と第2回は対談形式で行われましたが、第3回では、イベントに参加したサイボウズ社員たちから寄せられた質問に対して、岸見先生にアドラー心理学の観点から答えていただきます。仕事上のことからプライベートのことまで、抱えている悩みや課題は様々。読者の中にも、「あ、同じようなことで悩んでいる!」という人がいるのでは?
1つひとつの質問に対する岸見先生の、実際にあったケースに基づく真摯な回答から、あなたの悩みを解決する突破口も見つかるかもしれません。
【質問1】怒り~叱ることが本当に有効なら、子どもは一度で改心する~
6歳になる上の子に対して、叱るというよりも突発的に怒ってしまうことがあります。普段は気をつけているのですが、特に朝、保育園に連れて行く前など、忙しい時に注意しても言うことを聞かないと、3度目ぐらいには怒ってしまいます。どうすれば怒らなくなるでしょう? もう1つ、アドラー心理学では、子どもと自分を対等に見るように、といいますが、私はどうしてもそうすることができません。岸見先生のご意見を伺えればと思います。
まず基本的に、「叱る」と「怒る」は一緒なのです。「叱ることはあるけれども怒ってはいない」というのは、叱ることを正当化する口実でしかない。叱っている時には必ず怒りの感情を伴っています。怒ることで、お子さんの行動は改善されますか。
まったくされません(笑)
そうでしょう。叱られると怖いからその場での即効性はありますが、もし本当に有効なら、一度で改心するはず。でも日々同じことが繰り返されるのであれば、叱り方が徹底していないのではなく、叱るという方法そのものに改善の余地があるということです。 「ついカッとして」というのもウソ。「ここで大声を出すと子どもが言うことをきくだろう」と思い、そのために怒りという感情を使っているんです。『嫌われる勇気』の中で、青年が喫茶店でウエイターに一張羅の服にコーヒーをこぼされて店内に響き渡るような声で怒鳴りつけるのと一緒ですね。ウエイターでなく、かわいいウエイトレスさんだったら青年の態度も違ったかもしれない(笑)
方法を変える必要があるんですね。
「叱る」よりももっと有効な方法を考えなくてはなりません。私も昔、子どもを保育園の帰りにスーパーに連れて行ったことがよくありました。子どもをスーパーに連れて行くことはできるものなら避けたい。みなさんわかりますよね?(笑)。 案の定、ある時、お菓子売り場で、「お菓子を買って」と駄々をこねて泣き出しました。そこで泣き止ませようとして買ってしまうと、子どもはそうやって要求すれば大人をコントロールできると学んでしまう。それは最悪です。
だから私は、子どもに対して「そんなに泣かなくていから、言葉でお願いしてくれませんか?」と頼みました。そうしたら子どもも泣き止んで、「あのお菓子を買ってくれるとうれしいんだけど」と言いました。そもそも、お菓子を買ってやっても、家計が立ち行かなくなるわけではありません。ただ大人は、子どもの要求内容ではなく、要求の仕方が嫌なのです。
なるほど、頼むのですか。
あなたの場合も、お子さんに言葉でいうしかありません。「いろいろやりたいこともあるだろうけど、早く用意をしてもらえませんか?」と。決して「しなさい」と命令するのではありません。「〜してくれませんか?」「〜してくれると助かるんですが」と疑問文で、です。多くの場合、お願いすればきいてもらえます。 子どもは得てして、親が一番困ることを、ここぞというタイミングで仕掛けてきます。そういう時にはつい親も感情的になりがち。だから、一度落ち着いて話す時間がある時に相談してみるといいですね。
子どもと相談するという発想はなかったです。
以前、子どもを同じ保育園に通わせていたお母さんから、「子どもが朝、なかなか起きないから、9時までに保育園に連れて行くのが大変」と言われたことがありました。私は「そんなことは子どもと相談すればいいじゃないですか」と答えたんです。 そこでお母さんはその日、帰ってから、子どもに「お母さんは仕事をしているから、あなたが9時に保育園に行ってくれないと困る。どうしたらいいと思う?」と訊いたそうです。そうしたら子どもは「そんなの簡単だよ。朝早く起きればいい」と言う。
お母さんはキレそうになっているわけですが(笑)、さらに「じゃあ朝早く起きるためには、どうすればいい?」と訊いたら、子どもは「夜早く寝ればいい」と。そうしたら、子どもはその晩、20時に寝て、翌朝5時に起きたそうです。 子どもは大人に命令されたことはしませんが、自分で言ったことはします。そこで大事なのが「子どもを対等に見ているかどうか」。「この子は何もわかっていない、だから言うことをきかない」と思うのは対等と思っていないからで、そうなると言うことをききません。 だからあなたも、まずは「静かに子どもに話しかけ、相談してみる」ということから始めてはいかがでしょう?
【質問2】自立~自立とは、行動の価値を自分で認められること~
岸見先生の『子どもをのばすアドラーの言葉』という本に、「子育てのゴールは子どもを自立に導くこと」と書かれていました。 サイボウズも自立を大事にしている企業です。ただ、「自立するためには何が必要か?」という言葉の定義が足りていない気がします。アドラー心理学では「自立」にはどのような要素があり、どのように定義されているのか教えてください。
「自立」にはいろいろな意味がありますが、最も大きなポイントは「自分がしている行動の価値を自分で認められること」です。 子どもは大人の顔色を窺いますが、それは「こういうことをしたら叱られるだろうか? 褒められるだろうか?」と反応を見ているから。そうではなく、自分のしていることに価値があるかは自分で決めないといけないし、それで失敗した時にはその責任は自分で取ればいいのです。 また、「課題の分離」にも関わることですが、「子どもを自立させる」という言葉も危ない。親が子どもにレールをしいてしまうことになりかねないからです。「自分が自立するかは親の課題」と思うと、子どもは自立しません。「自分は何もしなくても子どもは自立する」と信じれば自立するのです。
子どもの進路を決めようとする親もいますね。ある子どもから、こんな話を聞いたことがあります。親がしょっちゅう、分厚い受験情報誌を片手に「お前はこの大学に行きなさい」と言ってくる。ほとんど毎週、2時間くらい延々とそんな話を聞かされる、と。 それに対して子どもは、いつもは黙って聞いていたのですが、ある日、意を決してこう言ったそうです。「私の人生なんだから私に決めさせてほしい。もし私がお父さんの行けといった大学に行き、卒業する時に『こんな大学に行かなければよかった』と私が思ったら、お父さんは私に一生恨まれますよ。それでもいいですか?」と。親は愕然とし、それからは子どもの進路に口出しすることはなくなったとのことです。 親のやっていることって、ほとんどが自立の妨げになることです。子どもの課題を自分が解決できると思うから口出しする。親が唯一できるのは「私に何かできることはありますか?」と尋ねることだけです。「自分の課題を自分で解決できる」と信じていないと子どもは自立しない。企業で上司が部下に接する時も同じことが言えると思います。
【質問3】他者信頼~「信じられない時にあえて信じる」のが本当の信頼~
他者を信頼することについて伺いたいと思います。仕事をする上では、「この人はきっとやってくれるだろう、成果を出してくれるだろう」と期待して、信頼するわけですが、一方で、「やると言ってもやってくれないのでは? 裏切られるのでは?」という気持ちも心のどこかに持ってしまいます。そうならずに絶対的に人を信頼できるようになるには、どのようなコツがあるのでしょう?
まず、「信用」と「信頼」を区別することから始めましょう。「信用」は条件付きです。私は昔、銀行の預金残高がほとんどありませんでした。それだと銀行は信用してくれません。『嫌われる勇気』が売れて、出版社から印税が振り込まれた時に、銀行から「口座に振込がありましたが、何か心当たりはありますか?」と連絡が来たくらいですからね(笑) 対人関係はそれではいけません。信用ではなく「信頼」の関係を築く必要があります。信頼とは無条件のものです。「信じられない時にあえて信じる」のが信頼です。
以前、ある女性から「夫が頻繁に朝帰りをする」という相談を受けたことがありました。問い詰めても白々しい言い訳をするだけで、どうやら浮気相手がいることは間違いない。けれども相談者は、「これから彼とどうしたいんですか?」と訊くと、「彼との結婚生活は終わりにしたくない」と言う。 ならば「ほかに女がいるんでしょ」と夫を責め立てたら、なおさら家に帰って来なくなりますよね。そこで私は、「彼が帰ってきたら、『お仕事お疲れ様でした』と言ってお茶を出しましょう」と提案したのです。そうしたら2ヶ月後に、夫は相手の女性と別れて、朝帰りをすることもなくなったそうです。人間は、自分を信頼し続けてくれる人を裏切ることはできないのです。
裏切られたとしても、まだ先があると信頼し続けるべき、ということでしょうか?
未来がどうなるかは誰にもわかりません。でも、このケースのように「仲良くなりたい」という目標があるのなら、そのためにどういう選択をするかが重要。疑ったら目標を達成できないのなら、信頼することに賭けてみてもいいと思います。 無条件に相手を信頼するには、仮に裏切られるようなことがあっても、想定内、起こり得る事態と考えることです。そもそも裏切らせている自分がいる、と思えると、また違った問題解決の突破口が生まれます。
文:荒濱 一/写真:すしぱく(PAKUTASO)/編集:小原 弓佳
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執筆
荒濱 一
ライター・コピーライター。ビジネス、IT/デジタル機器、著名人インタビューなど幅広い分野で記事を執筆。著書に『結局「仕組み」を作った人が勝っている』『やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)。