「あなたはどうしたい?」テクノロジーが発展した世界で問われるのは、文系か理系かよりも、主観を持てるか ── 高橋祥子×青野慶久
あなたは文系ですか、理系ですか?
日本の教育で長く使われてきた文系/理系という分類。高校の文理選択では、その後の進学や就職にかかわることもあり、頭を悩ませた人も多いはず。
その悩みは、社会人になってからもつきまといます。最近では「文系の仕事はAIに奪われてしまう」「DX(デジタルトランスフォーメーション)推進のために、理系人材が求められる」などテクノロジーの発展により、「理系」優位のイメージも。
一方、そんな現状を当の「“理系”経営者」は、どう考えているでしょうか? その答えを探るべく、生命科学者でゲノム解析を担うジーンクエスト株式会社代表の高橋祥子さんと、サイボウズ代表の青野慶久が対談。
そこで見えてきたものは、「文理」よりもずっと手前にある、「主観」というテーマでした。
そもそも文系・理系という分類がおかしい
僕は「大学つまんねえ」って4年(学士課程)で卒業しちゃったので、博士課程まで修めた高橋さんとは大きな差があると思います(笑)。
その分類って、明治時代以降の欧米列強との競争のなか、法と工学の実務家を選抜し、育成するためにできたもので。
当時は、学生全員に対して予算がかかる理系分野の教育をする余裕がなかったから、文系理系に振り分けて、理系に限定して理系教育を行っていたそうです。
文系=感情的、理系=論理的みたいなイメージをもたれやすいですが、僕はあまりそう思わなくて。
少なくともサイボウズでは、理系職といわれるエンジニアメンバーでも感情的な発言をすることもありますから(笑)。
今後はわたしのような自然科学の研究者が文学や哲学を、人文科学の研究者がゲノムやAIを学ぶ方向に進んでいくと思います。
だから、理系がこれからの時代に必ずしも有利とは限らないし、文理にとらわれる必要はないのかな、と。
手段がテクノロジーに代替される時代で大事なのは、「自分がどうしたいか」という主観
そのスキルがあれば、経済や自然環境の変化はもちろん、異動や結婚といった状況の変化に合わせて、自分の人生を柔軟に選び直せると思うんです。
これは、まさに高橋さんの著書『ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考』に書かれていた、「主観」を大切にすることだと思います。
結局、最後に残るのは、「自分はどうしたいか」という人間の主観なんです。ここでの主観とは、「ほかの人では代替できない自分だけの意思」を指します。
役に立つか、評価されるかはさておき、「自分はこれをやりたい!」と思えるものが、その人ならではの主観となるのです。
予測できない「カオス」に身を置くことで、主観が見えてくる
予測できない環境で思い通りにならない経験をすることで、自分がやりたいことが見えやすくなる、と。
それは、意図せず自分の思い通りにならない世界を体験したことで、「なぜこんなふうになるんだろう?」という疑問が生じるから。
そして、この「なぜ?」という問いによって、自分がどのようなスタンスに立っているのかを理解できるからです。
たとえば、「なぜ貧困に苦しむ人がいるのか」という疑問が生まれるのは、「貧困がないほうがいい」と思っている自分がいるから。
だからこそ、「なぜ?」から生まれる主観的な問いを大事にすることで、自身の推進力が生まれてきます。
33歳で社長になったのですが、サイボウズは上場企業ですから、日経新聞で3か月ごとに業績が報じられます。その評価軸が自分には重くて、「なんとか結果を出さなきゃ」と焦った結果、M&Aに失敗したんです。
でもそのときに、ある意味あきらめがついた。自分は他人の評価軸ではなく、自分の主観でしか生きられないんだ、と。
そしたら、おもしろいもので結果がついてきたり、周りから褒められたりする。
ただ、そのためにはどこかで自分の主観で生きるんだという覚悟をもたないといけない。僕が覚悟をもてたのは、「カオスに身を置く」ことの結果だったんでしょうね。
テクノロジーが発展すればするほど、「じゃあ人間はどうしたい?」と問われる
ただ、そうやってテクノロジーが発展すればするほど、「じゃあ人間はどうしたいんだ?」という問いが生まれるんです。
だからこそ、いま「やりたいことがわからない」という人が多いのは、危機的なことだと思っていて。
その意味で、「自分は何がしたいのか?」を考える主観トレーニングは重要になってくると思うんです。
でも、あっという間にテクノロジーが発展して、名人に勝てるコンピュータが出てきた。
そのとき、「決まった問題に対して答えを出すことは、もうコンピュータに勝てない。だったら、人間は『そのコンピュータを使って何をしたいか』を考えるしかない」と思ったんです。
竹槍で戦っている時代に機関銃が出てきたら、そっちに向き合わないといけない。竹槍の訓練をしていても仕方ないなって。
そういう意味でも、普段から自分のやりたいことを考え続ける「主観トレーニング」は、いま人類がやるべきことだと感じていますね。
主観同士がぶつかり合う多様性の時代には、自分と他者の主観を受け入れる姿勢を
いまは人種や言語、価値観などが異なる、多様な人が共存しています。これは、主観同士がぶつかり合う時代とも言えます。
そのなかで、違いに対して過敏になって苛立っていると、自分も他者もどんどんつらくなっていく。
だから、自分の主観を受け入れると同時に、他者の主観を受け入れることが求められている。
各々が主観を安心して出せるような環境があると、「自分は自分らしくいていいんだ」と自然と自己肯定感も高まるのかな、と。
実はゲノム情報を見ると、誰一人として同じものはないんです。全員が「レアバリアント(希少な遺伝子型の違い)」と呼ばれる配列をもっていて。
ゲノムから見ると、わたしたちはみんながマイノリティでレアなんです。そして、生物はそのすべての存在を肯定していて。多様な遺伝子配列があるからこそ、さまざまな環境変化に対応でき、種の生存可能性が高まるんです。
そういった多様性の理解が世界的に広がっていったらいいのにな、とゲノム情報を見ていて思います。
各メンバーが主観を発揮し、共感し合うことで、組織に推進力が生まれる
たとえば、ヒトのゲノムを見ると、99.9%は同じ遺伝子配列をもっています。つまり、わずか0.1%が個人によって異なるから、多様であると認識できるのです。
性別や言語などの表面的な差異にとらわれるのではなく、まずはある目的(=企業理念)を達成したいと考える「同質性」に目を向ける。
共通の目的を持っているという前提の上で、性別や言語などに関係なく、さまざまなスキルや経験を持つ人が集まる。これこそが組織における、真の意味での多様性だと思います。
その一方で、サイボウズが掲げる企業理念「チームワークあふれる社会を創る」は、あくまで代表である僕自身の主観にすぎないと思っています。
ただ、人は「他人の主観」と「自分の主観」の重なりを見つけて共感することで、同じ方向に動いてくれる時があるんです。いまサイボウズで働いてくれているのは、そういうメンバーばかりだと思います。
そのため、多様性を生かすという発想で言うと、いかにおたがいの主観を発揮し、共感し合う組織をつくるかが大事だなって。
一方で、共感しやすい環境や仕組みをつくることはできるなと感じていて。
だから、1つひとつの仕事に対してどんな意味をもたせるかによって、さまざまな共感が生まれてくる。
そうして自分の主観と他人の主観を共鳴させることができれば、個人だけでなく、組織の推進力にもつながるでしょうね。
企画:高部哲男 執筆:園田もなか 撮影:栃久保誠 編集:野阪拓海(ノオト)
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