日本型組織は、人材・資源・体制を技術研究に活かせば、余裕で米国・中国 企業を超えるデジタル技術を生み出せる──IPA 登 大遊
日本の伝統的な大企業は、社会的信用度が高く、安定感があります。しかし、組織が大きいがゆえに「変化が遅い」「風通しが悪く意見が通りにくい」「やりたいことが自由にできない」など、ネガティブな声も少なくありません。
他方で、大きな組織だからこそ、長期間にわたり全世界で安心して利用され、日本に大きな国益を生み出すIT基盤技術を豊富に作り出すことができる可能性があります。
情報処理推進機構(IPA)産業サイバーセキュリティセンター サイバー技術研究室室長で、コロナ禍にはNTT東日本や筑波大学など複数組織と連携し、無償で利用できるシンクライアント型VPN「シン・テレワークシステム」をわずか2週間で開発した登 大遊さんは「工学系(技術系)人材と人文社会系(文系)人材が密接に連携すれば、日本の大企業は価値ある仕事ができる」と言います。
大きな組織でやりたいことを実現し、熱量高く働くためには、どうすればよいのでしょうか?
工学系と人文社会系では「思考ロジック」は表面的に異なるように見えて実質は同じ
説得するのが大変……といいますか。
そうすると、工学系の者が文系管理職に技術的なことばかり話しても、相互の意思疎通が困難なまま、物事が進まない現象が発生します。
このように、おたがいが分かり合えないように見える工学系と人文社会系ですが、実は「思考ロジック」が異なるように見えて実質はかなり類似しているようです。
われわれがコンピューターの分野で技術的な仕事をする場合、「この部分は実装上どのように実現するか ?」といった個別具体的な事柄と、「この部分は一般抽象的にみてどのような役割・性質を有するか?」「この機能はどのような性質の機能を包含し得るか、どのような形に発展し得、あるいはどのような性質のほかの部分と相互関連性を有するか?」といった抽象的な事柄の間を行き来して思考します。
そして、ほかの目的をはたす部分との相互関係性等を吟味し、程良く抽象度を残したまま、具体的に動作するソフトウェアを実装します。
実のところ、人文社会系の思考過程も、工学系とほとんど同じような頭脳のはたらきによって物事を処理するのではないかと思います。つまり、思考基盤の基本的部分・構造はおたがい大差ありません。
しかし、表面で扱う対象物の構造や表現方法がかなり異なり、人文社会系と工学系の間でのその変換はなかなか難しい。普段はそれぞれが、相手方の領域をあまり見に行くことがないので、「考え方がまったく異なる」と誤解しているのではないかと思います。
どちらが、どちらに合わせるか?
すると、「どちらが、どちらに合わせるのが現実的であるか?」という点が問題になりますが、これについていくつか実験をしてみたことがあります。
すると、最初の前書きのあたりは平易な日本語なので読めるのですが、少し進んで実際の内容に入ると、すぐに気持ちの悪いプロセスのメモリマップ図や2進数の話、AND/OR/NOTなどの論理回路の話などが出てきて、「こんなん、わかるわけないやろ」と言われます。
書籍以外の文献、たとえばWebサイトの解説記事などでも情報収集はできなくはありませんが、単発的・散乱的であり、体系立てて知識を修得することが困難です。
そうなると、現状では工学系の中でも、特にコンピューターシステムの分野が扱っているような技術的に重要な事柄を、人文社会系の人が理解するのは大変に困難に思えます。
このことは、コンピューター技術の道に挑戦しようと決意した人材の多くが基本的・基礎的なリテラシの修得自然の段階ですら挫折してしまい、単なる既存フレームワークの手のひらの上のユーザーの地位で安住してしまっている現状がある程です。
そして、管理職は人文社会系である場合が少なくありません。すでにお話したとおり、そのような人文社会系の管理職のほうがコンピューターに関する事柄を自ら学ぶことは、手段がなく極めて酷です。
他方で、すでにコンピューターの基本部分を理解している工学系の者が、人文社会系の思考の枠組みを理解するには、書籍等の利用可能な手段があります。
そこで、工学系のほうから、人文社会系のほうの思考基盤に合わせていく方法が、唯一の現実的解法なのではないかと思われます。そうすれば、十分に協働関係が成り立つと思います。
このようにすれば、工学系の技術者、特に若手人材が、日本型組織において実現すべきことを実現するためには、管理者との間で、うまいこと、相互協力することができるようになると思われます。
感情とどう付き合うか?
分かり合えない理由のひとつに、おたがいの感情が邪魔をすることも多いと思うのですが、感情について、登さんはどんな扱いをされますか?
他方で、感情の否定的側面を観察すると、これは、前述した目的を妨害しようとする人に対して、それらを排除しようとする作用として現われる機能であると思います。
関係構築に感情を生かす2つの方法
しかし、この方法には副作用があります。特に、出世や昇給、評価のような個別具体的な、個人固有の利益を達成目的に設定してしまう場合は注意が必要です。
ところが、短期間にみると組織の分配可能な資源の量は変わらない、いわゆるゼロサムゲームの系なので、資源の取り合いになってしまいます。その結果、ある者が出世すると、別の者の出世は遅れてしまいます。そのため、連携関係は少人数に留まり、個人あるいはグループ間の競争が発生してしまいます。
競争で勝つことができるかどうかは、過度な努力と運次第で決まるため、競争のプレッシャーは過酷で、一定の水準を超えると生産性に対して心労等の有害な影響を生じさせます。
その結果、感情の否定的側面が生まれ、競合者を排除しようとする作用や妨害しようとする争いを発生させます。その結果として、全員の利益を減少させます。特に大規模な組織では、大きな弊害が発生するリスクがあります。
これは、目標設定において、各個人の出世や評価、報酬等の短絡的利益ではなく、おたがいが協力することによって組織的な長期的成果や利益が得られる方法を考え、実行することです。
また、連携関係は多人数で可能です。同じ事業目的を掲げる組織では、最大、組織全体まで拡大できます。
この方式では、さらにその先を考えることができます。会社のような組織は、社会全体からみて入れ子構造になっています。すなわち、先に述べた個人と組織の間の構造をそのまま相似的に拡大できます。類似した目的を掲げるほかの組織に対しても利益関係を拡大できる可能性があります。
ひとまずは、たとえば、国全体までに拡大することができます。この場合、協働関係はあるものの、無駄な労力を消費する過度な競争関係を回避可能です。
価値があるのは「新たな生産手段をつくる」こと
それから10年~20年ぐらい遅れましたが、日本人の技術者たちは「アメリカはけしからんので、もっといいものを作ろうではないか」と、ある程度組織を越えて連携をしました。
半導体各社は、表面的には競合関係であるように見えます。しかし、技術者はみんな仲が良かったと伝えられています。いろんな意見交換をしながら共同で成長していったのが、20世紀の日本の半導体産業です。
日本の企業は当初、アメリカのやり方を真似しました。しかしその後、技術者たちが組織を越えて連携し、米国以上に優れた「よりよい新たな作り方」を身につけました。これは、当時の技術者と管理経営者の非常に密接な連携によって行われました。
「デジタル立国、日本」を実現するために
ところが実際は、日本の多くのIT企業は米国のクラウド企業の事実上の代理店という低い地位から脱却できていません。日本企業は限られた顧客を奪い合い、米国のクラウド企業に対して奪い合った顧客を提供する構図で苦しんでいます。多数の人材がプラットフォーマー的技術を生み出している隣国である中国にも負けています。
※編集部注:自分たちで開発した、利益を生む新たな製品やサービス
さらに、ストレージやネットワークを仮想化し、それを体系的に一元管理するシステムプログラムを書き、それがうまく動作したので、市販化しました。
そして、顧客ごとにテナントを区切って、見かけ上分離することで、各顧客がさまざまな目的で利用できる基盤ソフトウェアを作ることに成功しました。
そのころ、日本の企業では、社員たちがコンピューターやネットワークの基本的・基礎的なリテラシを有する人材育成と技術醸成に取り組んできませんでした。
IT企業でさえも、それを行なわないどころか、企業内において、社員たちがコンピューターやネットワークの基本的・基礎的な部分の修得と試行錯誤を行なうことを妨げてきたのです。同様の結果をお金で買ってくることができるのではないかと誤解したことが原因です。
その結果、名高い日本の企業は、IT企業を含めて、単に米国IT企業が開発した基盤ソフトウェアを使うだけの立場に追いやらました。日本のITは、利益率が低く、競争過多のシステムインテグレーション事業に勤しみ、ブラック産業的になりました。
いまある資源を活かせば技術は自然に成長する
多くは、企業や大学の中でではなく、個人の自宅サーバーや小規模グループ等の環境で、個人の小遣いなどを用いて、効率は低いものの、試行錯誤して能力を修得し、技術力を高めた方々です。
日本型組織は、そういった点在する人材が技術研鑽を重ね、価値がある技術が生まれるような仕組みを、会社の既存の資源・スペース・体制などの環境を用いてうまいこと整えれば、技術は自然かつ高速に成長するはずです。
自宅サーバー等にはスペースや電力、機材、ネットワーク、苦情等による限界がありますから、さらに進化するには、組織の環境で行なう必要があります。
また、人数を組織的に増加させるためには、すでに技術を修得して勉強方法を分かっている人が、周囲のほかの人にその醍醐味を伝授する必要もあります。それは組織のスペースで集まって行なうと良いのです。
先に述べたとおり、このようなコンピューターの基本的な事柄ですら、書籍・文献はかなり少ないので、人材育成のためには、代わりに、さまざまなことを、実際に手を動かして、物理的なコンピューターを触り、サーバーを組み、ネットワークを作り、ストレージを考え、これらを仮想化したり統制してみたりする、いわゆるAWSもどきのようなものを自作する経験を積む必要があります。
文献の代わりに、優れたオープンソースソフトウェア等が多数存在します。完全に一から書くことなく、それらを拡張発展して技術を作ることも可能です。いわゆるGAFA等もそれを行なって強力な独自のプラットフォームを構築しました。
企業経営者や政治家、官僚等は、これらの自然的技術形成方法という伝統的な流れの発生を決して妨げることをせず、ある程度積極的に支援すれば足ります。
そうすれば、それほど長くない時間で、汎用的な安価なハードウェアを価値のあるクラウド基盤やAI基盤に変形させることができる基本的なソフトウェア群を多数の日本企業が自ら生み出し、全世界に提供できるようになると思います。20世紀に多数の日本企業が船舶や半導体や家電や自動車を生み出せたことと同じです。
同様に、いまから10~20年後の2030~2040年頃に、日本はふたたび全世界にすすんで受け入れられるIT基盤技術を作り、国際競争力の回復と国民福祉の実現がなされると思われます。
これから必要な人材育成
たとえば、20世紀に日本は「自動車立国」を実現しました。単に自動車を輸入するだけのままで、いくら国民に運転免許を取得させたり、タクシー運転手を多数育成したとしても、自動車立国をしたことにはなりません。
われわれは、自動車の作り方技術を学び、新たな自動車技術を技術研究して実現し、それを生産する体制を作り、世界中に販路を開拓し、膨大な価値を入手し、国富を増大させてきました。
デジタル立国も同様です。クラウドやAIの技術を輸入し、資格の取得を推奨して舶来技術を運転するだけのエンジニアを増やすことがデジタル人材の育成ではありません。
「デジタル技術の作り方」を学び、新たなデジタル技術によって新たな産業を作り、世界中に販路を開拓し、膨大な価値を入手し、国富を増大させるという目的に即した行為が必要です。
そのためにも、複数の日本型企業が競合して米国企業の代理店になることに時間を使うのではなく、現在の米国や中国のデジタル技術を超える新しい基盤や人材を共同で作ることに時間を使うのが、非常に合理的です。
この場合の意思決定は、必ずしも技術者のみではなく、人文社会系の人材との密接な連携が必要です。
そのためにも、先に述べたような技術者と人文社会系の人材との間で共通的な思考基盤を共有する必要があります。共有するために、技術者の側が人文科学系に対して表現などを合わせていくことが、逆方向よりも容易です。
日本の企業群が、多様で豊富な、競争力のある新たなデジタル技術を、国内のみでなく全世界に対して普及する。すべての産業製品はデジタル技術の上で動きますが、同朋が基礎部分を押えることはほかの全ての産業にとって極めて有利です。
これにより日本は20世紀における成功以上に大きな国富を獲得することができ、日本人すべての利益になります。
そのためには、全員利益共有型の方法を、組織内においても、また、日本の組織間においても、採り入れることが有益であると思います。
外国人からいかにお金を得るかが重要でありまして、優れたデジタル技術の生産・供給を日本人が豊富に行なうことが、これからの日本のやるべきことであります。
サイボウズさんは、みなが模範にするべき企業のひとつです。日本の国益のために動いている。サイボウズさんのような会社が、違う分野でもたくさん増えることが大事です。
こういった取り組みは、本当は、よりスケールの大きい大企業のような会社や官公庁でもやるべきだと思います。
企画・執筆:竹内義晴(サイボウズ)/撮影:尾木 司
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執筆
竹内 義晴
サイボウズ式編集部員。マーケティング本部 ブランディング部/ソーシャルデザインラボ所属。新潟でNPO法人しごとのみらいを経営しながらサイボウズで複業しています。