対立する意見を糧に、デジタル技術で世界の分断をつむぎなおす。新概念「Plurality」を解く──オードリー・タン×グレン・ワイル×Code for Japan関治之
みなさんは、人類にこれからどんな未来が待っていると思いますか?
AIが仕事をすべて引き受け、人間はのんびりと過ごせる未来でしょうか? SFが描く未来はわかりやすいですが、現実は複雑で、未来を完璧に予測することはできません。
でも、この「複雑さ」を受け入れ、複数の可能性を同時に進めていけるとしたら? わたしたちはもっと便利で、安全で、幸せな未来をつくれることでしょう。
これが、台湾の初代デジタル発展相を務めたオードリー・タンさんと、経済学者でマイクロソフトの研究主任でもあるグレン・ワイルさんが提唱する「Plurality(プルラリティ)」に基づく未来の考え方です。
2人はつい先日このビジョンを紹介する書籍を出版しました。サイボウズ式ブックスでは、2人の考えをさらに広めるために、「PLURALITY」の日本語翻訳を進めています。
出版に先駆け、オードリー・タンさん、グレン・ワイルさん、シビックハッカーでCode for Japanの設立者でもある関治之さんとともに、Pluralityによって描かれる未来の社会についてディスカッションを行いました。進行役は、サイボウズ・ラボ株式会社の西尾泰和が務めます。
本記事では「Plurality」という新しい概念をより正確に理解するため、専門用語を多く使用しています。そのため、通常の記事よりも注釈を多めに入れてお届けします。Pluralityは、対立する意見を糧に組織をつくる考え方
このPlurality、まだ日本には馴染みない言葉です。
より多くの人に知ってもらうためには、日本の状況に関連づけて解説することが非常に重要です。そこで、日本のシビックテック(※)の第一人者である関治之さんにもお越しいただきました。
まずは「Plurality(多元性)」とは何か? ここから始めたいです。
※Plurality:「多元性」「多様性」「複数性」を意味する言葉です。多様な視点や考え方を認め、テクノロジーと民主主義の共存を目指す考え方
※シビックテック:市民開発。市民(普通の人々)が、技術(特にIT技術)を使って、社会の問題を解決しようとする活動や取り組み
どちらも社会をよりよくしていくためのムーブメントであり、この2つは相互に関わりあい、おたがいを補完する。
台湾や日本では、相手が自分と異なる意見をもっているとき、多くの人が「距離を置く」という反応をとります。争うのではなく、火種が燃え尽きるのを待ってから、自分のすべきことに取りかかります。
こうした考え方は、組織の硬直を生みますよね。だれも自分と意見が異なる人と争いたくないからです。
「Plurality」は、意見の相違を糧に、組織をつくる方法です。自分と異なる意見を持つ人がいたら、そこに橋をかけましょう。意見の不一致から憎しみを生むのではなく、革新と変革のエネルギーとして活用するんです。
世界中を巡って、Pluralityの原理が発揮されている事例を集めました。今回わたしたちが出版した『PLURALITY』は、そうした事例を世界に紹介する本です。
日本のPluralityは、アメリカや台湾のPluralityとは異なります。それぞれのコミュニティが未来を定義し、その未来を実現する手段としてPluralityを活かすチャンスがあると思います。
日本に足りないのはPluralityを受け入れるモチベーション
当時、台湾では政府に対する不満がたくさんありました。そこで、わたしたちはSNSやテクノロジーを共創する力として使いました。すると、市民社会がひとつになり、政府の足りない部分を補うためのアイデアやツールを実装するようになったんです。
そうして2018年に台湾で初めて、「総統杯ハッカソン(※)」が開催され、政府関係者と市民社会が交流し、安心して新たなデジタルプロジェクトを進められる環境を持つことができました。
※g0v:台湾で設立された、情報の透明性、オープンな結果、オープンな協働を大切な価値観にしている自律分散型のシビックテックコミュニティ
※総統杯ハッカソン:台湾各地が抱える課題を国民が提議し、政府が提供するオープンデータを活用しながら、公共サービスの質を改善するための解決策を提案するイベント
みなさんもよくご存知なのが「マスクマップ」でしょう。Pluralityの運動を通じて、この台湾で成功した原理を世界に紹介したいと思っています。
台湾の場合は、Pluralityの原理をもってシビックテックを推し進める能力と、モチベーションの両方を持ち合わせていたので、運動がうまく進んだのではないでしょうか。
アメリカにはモチベーションはありますが、政治の二極化や人口動態の変化により、人々の分断が進み過ぎてしまっています。これでは受け入れる能力が足りないと思います。
日本はPluralityを受け入れる能力はあると思いますが、モチベーションが足りないと感じます。
それに、多くの日本人は台湾に比べると良くも悪くも民主主義的な環境に慣れすぎていて、危機感が薄いように感じます。
政府に不満があったとしても、官民の垣根を超えて積極的に行動して変えていこうという意欲は相対的に低いのではないでしょうか。
もともとわたしがオープンソース分野でシビックテックに関わり始めたきっかけは、2011年の東日本大震災です。
でも、活動を通してエンジニアとしてただ起きている課題にテクノロジーを適用するだけでは、社会の根本的な部分の解決につながらないことに気づきました。対処療法的なことはできても、人のマインドを変えられないというか。
テクノロジーを適用するだけでは、行政や自治体の人々の社会を変えるモチベーションを上げるには不十分だと気づいたんです。
Pluralityの概念を広め、より多くの人を巻き込むためには、そのメリットをもっと言語化して届けることが求められているのではと思います。
Code for Japanのビジョンは「ともに考え、ともにつくる社会」です。Pluralityやシビックテックが「エンジニアによるエンジニアのための活動ではない」とはっきり伝えることが大事です。だれもが参加できる、みんなのための活動ですから。
そのお話も、のちほど進めていきたいと思います。
AGIが人間の仕事をすべて肩代わりする未来を信じていない
こうした現象が起きる理由は、社会の仕組みではなく、考え方にあります。人間の頭脳には限界があり、地球規模の複雑性を理解することはできません。そのため、人々は同じ考えを持つ人たちと団結し、それ以外の人たちを否定し、境界線を引くのです。
でも、Pluralityは違う道を示します。わたしたちは、人々が世界の複雑さを受け入れることで、実際の世界が心地よく感じられるようにサポートします。
この基本的な考え方は新しいものではありません。何世紀も前からある、道教や禅宗の中心的な考えですし、西洋哲学にも見られます。これを現代風に言い換えたのがPluralityなんです。
たとえば、わたしたちはAGI(汎用人工知能)が人間の仕事をすべて肩代わりして、ベーシックインカムで生活するような未来を信じていません。
また、Web3とインターネットが地球上のあらゆる社会を分散化して、極端な思想を持つ活動家たちののユートピアを生み出すとも考えていません。
AGIやWeb3の未来ビジョンは、論理的には実現しそうにも思えます。しかし、Pluralityはもっと保守的に「すでにうまく機能している考え方や生き方を大切にする」のです。
現代の世界はあまりにも複雑で、一人の人が未来を予測することはできません。だからこそ、未来を予測するのではなく、テクノロジーによってさまざまな考え方や多様な生き方を結びつけるフレームワークとして「Plurality」を考え出したのです。
年配の方の旗振りを自動化しても、コミュニティのためにはならない
活動に参加してもらうには、どんな風に語りかけるのがよいでしょうか?
実は、新しいテクノロジーから一番遠くにいる人こそ、最も多くの恩恵を受けることができるんです。たとえば、衛星技術、太陽光発電システム、5G技術などは、地方で導入されれば、大きな意味を持ちます。
都市部で遠隔医療や遠隔手術をおこなっても、節約できる時間は数分かもしれません。でも地方の高齢患者にとっては、生死を分けるほど重要な意味を持つ技術になることがあります。
多くの地方では、過疎化が進んで伝統や趣味を守れなくなっていますよね。若者はすでにオンラインで共通の関心を持つグループとつながっていますが、文化的なアイデンティティを守るためには、年配の人たちも巻き込む必要があります。
テクノロジーは、人々が物理的な境界を越えて集まり、新しい活気あるコミュニティをつくるチャンスを与えてくれます。
たとえば、交差点で旗振りをしている年配の方とか、地域にはいますよね。彼らは子どもたちが安全に道路を横断できるように安全指導をしているわけですが、この人にとっては子どもたちの笑顔が生きがいかもしれません。この人の仕事を自動化しても、コミュニティのためにはなりません。
わたしたちは、対話や社会参加、ケアのような手触り感のあることに人間が時間を使えるように、書類手続きのような部分の自動化に力を入れるべきなんです。
自分の生き方に目的を見出しているのなら、それを邪魔してはいけないですよね。
わたしたちはPluralityを活用して社会全体の利益に貢献し、人々の役に立ちたいと思っていますが、それだけで終わりではありません。
助けられた人が、助ける側になれるようにサポートするべきなんです。ボランティア活動のような機会をつくって、コミュニティに恩返しができるようにしなければいけません。
Pluralityがあれば企業の生産性は上がり、社会的目的に紐づいた経済活動ができる
つづいて、企業とPluralityの関係については、どう考えていますか?
公共のものは公共部門に、私的なものは民間部門に属すると決めつけてしまうと、ソーシャル・アントレプレナーシップ(社会起業)はうまくいきません。なぜなら、両者の間にコミュニケーションの問題が生じるからです。
すべての民間企業が、最初から強い社会的目的を持っているわけではありませんが、Pluralityがあれば、その過程で社会的目的を見つけることができます。
特に地域に根ざした企業の経営者などは、持続可能な取り組みに投資して社会に価値をもたらす責任を自覚している方が多いと感じます。Pluralityは、そういった経営者のためのロードマップなんだと思います。
このように、Pluralityの原理に沿った製品を販売して、企業が利益を生み出す方法はいくらでもあるんです。例えば、提供するサービスから何%かを差し引くといったものから、クアドラティック・ファンディング(※)のような複雑な仕組みまで、さまざまな手段があります。
Pluralityを広めるための、経済的に実行可能な方法を見つけることはできますし、それは運動の正当性を高めるためにも大切です。
※クアドラティック・ファンディング:公共財に対して、公正で包括的な資金提供を促進することを目的とした民主的なクラウドファンディングのしくみ。個々の寄付の金額だけでなく、個々のプロジェクトへの寄付者の数も考慮してマッチング資金を配分する
実際、わたしたちが政府の事例をたくさん取り上げているのも、どれだけ官僚的な企業であっても、おそらく政府ほどは官僚的ではないはずだからです。
市民運動から利益を得て、よりよい成果を実現できるようになれば、わたしたちも企業が市民や公共とつながりを持ち続けるべき理由を説明しやすくなります。
わたしは経済学者なので、この本はビジネス書でもあります。企業向けには、ビジネス書としてアピールしたいですね。
よりよい社会を実現するために、大勢の参加が必要
今回の書籍は、いくつかの独立した章やセクションで構成しているので、読者の関心やニーズに合わせて好きな部分から読むことができます。
ビジネス書としても、政策書としても、技術論文としても、さまざまな顔を持つ本に仕上がっています。
昔、スタートアップの経営をしていたんですが、スタートアップの世界だと、問題とソリューションが適合さえすれば、資金調達して製品をつくるチャンスはたくさんあります。
でもシビックテックだとそれに相当する仕組みがありません。わたしがいっしょに働いている人の多くはボランティアで、プロジェクトを始める意欲はあっても、それを続けるためのリソースが不足しています。
将来的には、10年間にわたって公共の利益に貢献するシビックテックプロジェクトを支援するために、100億円相当の資金を持つ財団を設立したいと思っています。そのために投資や官民の協力を通じて資金を集めることを目指しています。
さまざまな人々を巻き込めるのは、テクノロジーが誰でも使えるようになったことと、kintoneのようなノーコード・ツールの普及のおかげです。最近ではシビックテックの革新に取り組むのに、プログラミング言語を理解する必要はなくなっています。必要なのは想像力だけなんです。
エンジニアリングスキルを持つ人々の課題は、できるだけ多くの人々に運動に参加してもらうことです。シビックテックが成功するためには、その影響を受ける人がいっしょにアイデアを出しあい、積極的に参加することが欠かせないんです。
Pluralityの文化的な部分には、コミュニティごとに独自性があります。だからこそ、テクノロジーやエンジニアリングの世界だけでなく、社会全体に活動を広げていくことがとても大事なんです。
シビックテックを活かして教育制度を変革すれば、若者にリーチできますし、過疎地域を活性化する取り組みを実施すれば、高齢者にメリットを示すことができます。
また、シビックテックの哲学を企業に広めることも重要だと思います。そのためには、哲学を企業が理解しやすい活動に落とし込む必要があります。少子化や気候変動など、企業がインパクトを残せそうな具体的な領域を提案していくこともできますね。
たとえばマイクロソフトではAI変革が最優先のミッションですが、持続可能性、DEI(多様性, 公平性, 包括性)、プライバシー、サイバーセキュリティ、レジリエンス(回復力)も同様に重要です。
Pluralityは概念的なアプローチですが、それぞれの企業でどう適用するとよいのか? この部分はまだまだ取り組むべき課題でもあります。サイボウズのような企業は、こうした取り組みをリードしていくのに最適な立ち位置にいると思います。
世界中で、シビックテック・コミュニティの枠を超えてPluralityの運動を拡大するおもしろい取り組みが展開されています。
わたしたちは本やウェブサイト、Discord、Code for Japanのような組織など、参加できる方法をたくさん用意しています。この記事を読んで、Pluralityに興味を持った方がいたら、ぜひわたしたちの活動に参加してほしいですね。
企画・編集:神保麻希(サイボウズ)/取材・執筆:Alex Steullet/翻訳:ファーガソン麻里絵
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撮影・イラスト
編集
神保 麻希
サイボウズ株式会社 マーケティング本部所属。 立教大学 文学科 文芸・思想専修 卒業後、新卒で総合PR代理店に入社。その後ライフスタイル系メディアの広告営業・プランナーを経て、2019年よりサイボウズに入社。