複業って、なんだろう?
「100年生きることを前提に働く」って、本当に想像できますか?
サイボウズで複業をしながら、地方中心の働き方をしている竹内義晴が、これからの仕事や人生のあり方を語る「長くはたらく、地方で」。今回は、最近話題の「100年ライフ」と「老い」について。あなたは100歳を前に働いている「じぶんの姿」を想像できますか。
5月末、今年も田植えをした。子どものころからの恒例行事だ。
メンツは父親、母親、そして、私の3人。昔と違って、今は田植えのほとんどを機械で植える。わたしは田植え機に乗って、父親は田植え機まで苗を運び、母親は機械で植えられなかったところを手直しする。手植えと比べると、時間も、体力も使わないが、それでも、そこそこの体力は使う。
そんな折、近年ひしひしと感じるのが、後期高齢者となる両親の「老い」だ。
田植えをする苗は、「苗箱」と呼ばれるものに入っている。ひとつの重さは7キロほどあって、水分を含んだ苗は手にずっしりとくるほどの重さ。
過去に2度、肩の手術をしている父親は「よっこらしょ」という言葉なしでは苗箱を持ち上げられなくなってきている。機械で植えられなかったところを手植えする母親は膝が悪い。最近は腰も曲がってきた。
親父とお袋、すいぶん年寄っぽくなったな。
そんな両親を見ていると、「年齢を重ねると、人は老いる」という当たり前を、改めて実感するのである。
LIFE SHIFTの「100年生きる時代」
近年、ビジネススクールの教授が著した『LIFE SHIFT』が注目を集めている。
この本によれば、「2007年に日本で生まれた子どもの半分は、107年以上生きることが予想される」とし、「50歳未満の日本人は、100年以上生きる時代、すなわち100年ライフを過ごすつもりでいたほうがいい」としている。
今、わたしは46歳。あら、100年ライフを過ごすつもりでいたほうがいい年齢ではないか。
『LIFE SHIFT』には、テクノロジーの進化や長寿社会などの現実から、「100年生きる時代」の人生設計に対するさまざまな提言がなされている。一言でまとめるのは乱暴だが、100年生きることを前提に、「お金」「スキルや知識」「仲間」「健康」など、人生の「資産」を管理していくことが大切だという。
100年生きるとなると、今までのような「65歳で定年」を前提にしたライフプランでは、定年後のお金に不安があるし、少子高齢化がますます加速するこれからは、年金だってどうなるかわからない(と、個人的には思っている)。それならば、長い間働くことを前提に、スキルや仲間、健康について、今から考えておいたほうがいいだろう。
うん、確かにそうだ。それは分かる。頭では。
両親を見て感じる「老いの現実」
しかし、老いていく両親の姿を見ていると、理想と現実の間に大きなギャップを感じる。仮に、両親が100歳まで生きるとすれば、あと25年……今ですら「老い」を感じているのに、今のように働いている姿を、わたしは想像できない。
無理なんじゃないの?「100年生きることを前提に働く」って。
「体が老いる」……これは、自然の摂理である。というより、46歳の私自身、すでに体の老いを感じている。最近、めっきり目が悪くなった(いわゆる老眼)。100歳になったわたしが働いている姿を、現在のわたしは想像できない。
100歳の時点で、私の体はどれだけ動いているのだろう。どれだけ働くことができるのだろう。
『LIFE SHIFT』によれば、いつも運動し、たばこを吸わず、体重をコントロールできている人は、不健康期間が大幅に短縮される(言い方を変えれば、健康期間が大幅に伸びる)のだそうだ。それが事実かどうか、私には分からない。なんとなく想像はできるけれど、毎日飲むビールすら管理できていないのに、そんなにストイックに自分を管理できるか、自信はない。
この先、健康寿命が延びたら、老眼は60歳ぐらいから始まるのだろうか。いや、老眼が始まるのは今と同じでも、画期的な医療技術が開発されて、若いころのように見えるようになったりして。しかし、すでに老眼がはじまっている私には、どちらも説得力がない。もちろん、画期的な医療技術が開発されたらうれしいけれど。
本当に100年生きる時代は来るのだろうか。そのとき、働くことはできるのだろうか。未来は、まったく予測不可能である。
老いをどれだけリアルに感じられるか
100歳の自分がどのようになっているのか、どのように働いているのか、私には想像できないが、幸いなのは、後期高齢者の両親と同居していることで「老いの現実」を身近に感じることができることだ。
「あー、老いるとこんな感じになるのか」が肌身で感じることができれば、100歳生きることを前提に準備を始めることができる。少なくともわたしは、もう少し体を動かしておいたほうがいいみたい。ビールを控えるのは、難しいかもしれないけれど。
3世代、4世代同居が当たり前だったかつての時代、親や、おじいちゃん・おばあちゃんの世代を通じて、「老い」を身近に感じることができた。核家族化が進んだ今、身近に「老い」を感じることは、あまりないのかもしれない。
私たちが未来を想像するとき、「今」を基準にする。100歳になっても今の体力や思考力がある……とはさすがに思わないかもしれないが、老いがどういうものなのか、頭ではなんとなく理解できても、それが実際にどういうことなのかをイメージするのは難しい。
実際、どれだけの人が「100歳の自分」を想像できるだろう?「100年生きる時代」という意味を頭では理解できても、体が動かなくなっていくさまを、どれだけの人が身体で感じられるだろう? 「100年生きる時代」を考えるためには、単にスキルや知識として頭の中で理解するだけではなく、身体感覚を伴った理解が必要なのではないかと思う。
40歳を過ぎたころ、「人生も中盤だな。これからは収穫の時期だな」と思っていた。体にも老いを感じ始めて「もう、若くないな」と思った。けれども、100歳を前提にすると、まだ半分にも達していないという、この現実。
この先、どうなるか私には分からない。けれども、100歳生きることを前提にしながらも、「今を生きる」しか、ないのだろうなぁ。
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執筆
竹内 義晴
サイボウズ式編集部員。マーケティング本部 ブランディング部/ソーシャルデザインラボ所属。新潟でNPO法人しごとのみらいを経営しながらサイボウズで複業しています。
撮影・イラスト
松永 映子
イラストレーター、Webデザイナー。サイボウズ式ブロガーズコラム/長くはたらく、地方で(一部)挿絵担当。登山大好き。記事やコンテンツに合うイラストを提案していくスタイルが得意。