そのがんばりは、何のため?
本当は誰がやっても問題ない「新人のごみ捨て」がなくならないのはなぜですか?──為末大さん
「あなたは今の会社で、自分らしく働けていますか?」
会社では、個人の意思に反してがんばらざるを得ないことも多いのでは。例えば「早く出社して社内を掃除する」「コピー機のごみを処理する」といった、誰もが等しくやるべきことが新人だけの仕事になっているような職場もあると思います。
そうした「がんばり」は、本当に必要なのでしょうか? 昔から続けていることだから、当たり前だからと思考停止していないでしょうか……?
陸上競技の元トップアスリートであり、現在は経営者として活躍する為末大さんは、「間違ったがんばり方では長期的に成長することはできない」と話します。「間違ったがんばり方は、会社や事業に貢献しない人を増やしてしまう」とも。
なぜ職場では間違ったがんばり方が生まれてしまうのか。そうした現状を変えるにはどうすればいいのか。サイボウズ式編集部の高橋団が聞きました。
「新人のごみ捨て」がなくならないのは、間違ったがんばりが前提になっている職場だから
すぐにでもなくせそうな習慣なのに、なぜなくらないのか、疑問に感じています。
スポーツの世界では、心理学などをもとにした「チャンク化」という考え方があります。
例えば、どんなスポーツを始めるときも、最初は手も足もバラバラでちぐはぐな動きしかできないもの。そこから熟達していくと、手足の動きに関するいろいろな要素がつながっていき、最終的には動作の一つひとつを切り離せないくらいの連動が起きてくるんです。
すると、スポーツや競技における一連の動作が、無意識でもつながるようになります。
ハードルを飛ぶたびに、つま先が伸びてしまうんですよ。
ですが、一度身についた動作というのは、なかなか直らないんです。足首の伸び縮み一つをとっても、体全体のバランスと関連が出てくるからです。
つまり、足首の伸びという1カ所だけを直すのは難しく、チャンク化した動作全部を変えないといけません。だから大変なんです。
ビジネスの現場でも、この例と同じことが起きてるんじゃないかと思うんです。
「掃除やごみ捨ては新人がやるものだ」というのは、組織の常識がチャンク化してできあがった、(新人教育の)「型」のようになっているのかもしれません。
ビジネスのルールは変わる。だからこそ、個人のがんばり方も変わる
「ごみ捨ては新人がやる」のような型には、はまらないほうがいい気がするのですが、スポーツの型との違いはどこから来ていますか?
スポーツに型が存在するのは、根底にあるルールが受け継がれていて、外的環境がほとんど変わらないからです。
だけどビジネスは違いますよね。
そこで問題になるのが、「組織特有のチャンク化」です。
例えば、いまだに紙を使うことが前提になっていたり、みんなが朝から出社することが前提になっていたり。これは、武器が主流になった環境でも、まだ素手の戦い方を続けているようなものです。
そうした普遍的なものと、組織特有のチャンク化が混ざって型化されてしまい、この切り離しに失敗しているんじゃないでしょうか。
非合理の押しつけをなくすために、プロセスを分析する
陸上の場合はかつて、「タロイモ」が持てはやされたことがあって。
だけど、そうやって笑い話にできないようなことも、あちこちで起きていると思うんです。
年輩者やコーチがその人だけの成功体験を持っていて、若い人に「私はこうやって成長したんだ」と、合理的ではないトレーニング方法を押しつけることもあります。
「君はこの試練に耐えられるかな?」と。
三途の河原で石を積むようなことをがんばらせるより、もっと合理的な仕事をがんばってもらったほうがいいに決まっています。
あえて制限を設けることで変化のチャンスを生む
ひたすら練習時間を増やし、どんどんブラック化していく部活とは真逆のアプローチですね。
限られた条件で結果を出すために、アスリート自身が「いちばん大事なことはなんだっけ?」と考えるようになるからです。
例えば、3カ月ほどグラウンドに立てない期間ができてしまったアスリートは、本当に大事なものは何かを考えるようになります。結果的に復帰後のパフォーマンスが劇的に向上することもあるんです。
ビジネスでも事業を休みなくずっとぐるぐる回していくだけでは、本質と向き合うのは難しいでしょうね。
会社にとっては、強制的なストップを余儀なくされている今がまさに変化のチャンスだと思います。
「やめる」実験の繰り返しが、間違ったがんばりの蔓延を防ぐ
ただ、何かをやめる提案をするときって、組織の中枢に触れてしまう可能性が高いじゃないですか。「この事業をやめましょう」なんて提案すれば、関係する人の数は非常に多くなるわけです。
だから「やめる提案」というのはしんどいんですが、普段から練習しておいてほしいので、やめることを提案できる人の価値を高く置いています。
例えばミーティング時間も、これまでに「60分」「30分」「15分」といろいろ実験してきました。
その結果、何かを決める会議は30分くらいがちょうどいいとわかりました。その後、うちは出社義務がないので、近況報告などの時間を含めて今は60分に落ち着いています。
そうやって社内の常識を疑っていけば、間違ったがんばり方を見直せそうな気がします。
間違ったがんばりに気づけないなら、新人の声を聞けばいい
僕のような職業をしていると、どんどん異質な人と出会うんですね。そうすると頭の中に新しいマッピングができて、自分の位置がわかっていくんです。
新人の存在はとても大きいです。重宝したほうがいいですよ。先輩たちは「私たちはどこが変かな?」って、積極的に聞けばいいと思います。
「あぁ、まったく感覚が違うな」と思いましたよ。
もう新人代表には、役員会にも参加してほしいレベルですね。組織内では、外部の俯瞰的な視点を持つのが難しいですから。
ビジネスの場合も、年齢に関わらず現場で勝負し続けることで気づくことがあるはずです。「私たち、時代遅れになってしまっているかも」って。
みんなで無理をする働き方は長続きしない
世の中の会社を見て、変化のために必要だと思うことはありますか?
もっと「この人は嫌だ」と言えるようになったほうがいいですね。人が流動化すれば淘汰が始まり、言いやすくなるはずです。
個人が我慢すること、がんばることをやめてみればいいと思う。
社内でがんばるべきことがあるとしたら、それは「合理化」だけでしょう。合理化をがんばってもダメならあきらめて、我慢することをやめて、合理化できそうな組織へ移っていくほうがいいんじゃないですか。
今までの日本型組織は「みんなで無理をしなければ乗れない船」だったと思うんです。ただ、無理ながんばりを続けられる人もいると思いますが、1日2時間しか働けない人もいるかもしれない。
無理にがんばることを前提にしていくシステムでは、多くの人が引退してしまいます。これでは長期にわたり事業を継続することはできません。
だから、もっともっと個人の好き嫌いを全面的に出していってもいいと思うんです。それが、我慢をやめて自分の人生を選ぶことにつながるんじゃないでしょうか。
今はその選択肢がフリーランスに流れていますが、自由に組織で働く方向もあったらいいなと。これからは、個人と会社にも多様な関係性が必要だと思いますね。
執筆:多田 慎介/撮影:加藤甫/企画編集:高橋団
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」
一生懸命がんばることは、ほめられることであっても、責められることではありません。一方で、「報われない努力」があることも事実です。むしろ、「努力しないといけない」という使命感や世間の空気、社内の圧力によって、がんばりすぎている人も多いのではないでしょうか。カイシャや組織で頑張りすぎてしまうあなたへ、一度立ち止まって考えてみませんか。
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執筆
多田 慎介
1983年、石川県金沢市生まれ。求人広告代理店、編集プロダクションを経て2015年よりフリーランス。個人の働き方やキャリア形成、教育、企業の採用コンテンツなど、いろいろなテーマで執筆中。
撮影・イラスト
加藤 甫
独立前より日本各地のプロジェクトの撮影を住み込みで行う。現在は様々な媒体での撮影の他、アートプロジェクトやアーティスト・イン・レジデンスなど中長期的なプロジェクトに企画段階から伴走する撮影を数多く担当している。
編集
高橋団
2019年に新卒でサイボウズに入社。サイボウズ式初の新人編集部員。神奈川出身。大学では学生記者として活動。スポーツとチームワークに興味があります。複業でスポーツを中心に写真を撮っています。