東京証券取引所(以下、東証)は2022年4月より、現在の一部・二部・マザーズ・JASDAQの4つの市場区分を「プライム」「スタンダード」「グロース」の3区分へと再編。上場しているすべての企業は、2021年12月30日までに移行先を選択する必要があります。
現在、東証一部のサイボウズでは、「プライム市場」への移行を決定。しかし、この決定の裏では全社員を巻き込んだ議論が行われ、「グロース市場」という選択肢も浮上しました。
そんな新市場選択のプロセスについて、同プロジェクトの主担当を務めた財務経理部の田中那奈と、最終的な意思決定を行なった経営支援本部長の林忠正に聞きました。
東証の市場再編にあたり、全社員でどこへ移行するか議論
中森
サイボウズでは、経営にかかわる意思決定においても、全社員がかかわっていると伺ったのですが、本当ですか?
林
そうですね。社内の情報は機密情報と個人情報以外はすべてオープンになっていて、サイボウズとしての意思決定は全メンバーが議論できる場で行っています。
経営会議もZoomのURLと議事録を共有し、誰でも参加・意見することができるようになっています。
林忠正(はやし・ただまさ)。メガバンクに就職後、リクルート、国立大学と風土の大きく異なる組織を経験。2013年、「和製ソフトウェアとしてグローバルマーケットで勝つ」という代表・青野の想いをともに実現したいと思い、サイボウズへ入社。営業企画として戦略策定やパートナー制度のリニューアルなどを担当。その後、経営企画室を立ち上げ、経営会議運営や新規事業開発、業績データの収集、分析、報告を担当。2018年 7月より執行役員経営戦略本部長として、経営企画と財務経理のマネジメントを担当
中森
徹底したオープンな情報共有ですね……! 最近では、東証の市場選択も全社で決めたと伺いましたが、そもそも今回の市場再編はどのようなものなのでしょうか?
田中
簡単に言うと、各市場のコンセプトを明確にし、日本市場への投資を増やすため、2022年4月4日から以下の図のような形で東証が市場区分を見直すことにしたんです。
国内外の多様な投資家にとって、よりわかりやすい市場区分へと整理し、持続的な企業価値の向上を図るために行われる東証の市場再編
「グロース市場のほうがおもしろい」。経営陣の想定外の意見に困惑
中森
なるほど。この東証の新市場「プライム市場」への移行をサイボウズでは全社員で決めた、ということですね。
田中
はい。厳密には「助言アプリ」というものを使って、全社メンバーからの意見を募ったうえで、意思決定しました。
中森
助言アプリ……?
田中
kintone上でつくられた、ある議題に対して、全社員に助言を募れる仕組みです。
今回メンバーには、市場再編に関するすべての情報を提示した上で、任意でプライム市場への移行に賛成か反対かを5段階(「わからない」を含む)で選んでもらい、さらに自由コメントも募りました。
すると、助言アプリ史上最多となる54件の投稿(※2021年9月時点)が集まったんです。当初、経営層以外はそこまで興味がないと思っていたので、自分事として捉えているメンバーの多さに驚きましたね。
助言アプリでは、部署・経歴問わずさまざまなメンバーからの意見が集まった
中森
すごい数ですね……! 一般の企業だと、経営層の一存で市場選択すると思うのですが、サイボウズでは全社を巻き込んで議論した、と。
林
そうですね。ただ、実はこの助言アプリを活用する前に、わたしを含む各本部長が集まる会議で議論はしていました。
もともとサイボウズのような東証一部の企業には、「プライム市場」の基準を満たしているかどうか、東証による審査があって。
東証から「サイボウズはプライム市場の基準を満たしている」という通知が届いたのが、7月ですね。
田中
その後、9月〜12月の間に新市場への移行を申請する必要があったので、8月中旬の本部長会議の議題に挙げたんです。
経理・財務担当としては、上場基準も満たしたので、とくに懸念がなければ、いったんプライム市場で問題ないと思っていました。
もしも、プライム市場への移行によって、事業活動が窮屈になったり、膨大な維持コストがかかったりするのであれば、あとからスタンダード市場に移行すればいいだろう、と。
田中那奈(たなか・なな)。2006年に新卒で住宅メーカーに入社し、住宅営業に従事。その後、経理へ異動し単体・連結決算など一通り経験し、経理の魅力を知る。2016年にサイボウズへ中途入社後、財務経理部に配属。現在は投資家向けの広報や予算管理/分析などの業務を担当。入社以降、会計/開示システムの入れ替え、株主総会イベントプロジェクトへの参加など、次々と降ってくる新しい仕事にワクワクしながらも日々奮闘中
林
ところが、本部長陣からはサイボウズのチャレンジングな姿勢が伝わりやすそうだし、あえてグロース市場に行ってみたほうが、おもしろいんじゃない?」という意見が出たんです。
わたしたちとしては、まったく想定していなかったので、「おもしろいで決めちゃっていいのかー!?」と困惑しましたね(笑)
田中
東証のホームページでも、東証一部の企業はプライム市場かスタンダード市場への移行についての説明資料しかないんですよ!
だから、わたしたちもどちらかだろうと思い込んでいて、グロース市場については調べきれていませんでした。
林
そもそも、スタンダード市場やグロース市場への移行となると、各メンバーにどんな影響があるのかわからない部分も多くて。
プライム市場は信用度が高くて、採用や営業面でのメリットが多いという想定はありましたが、実務上ほかにどんな影響があるのかを正確に把握する必要があるな、と。
田中
サイボウズでは従業員の持株会制度があり、9割が加入しているんです。そういった側面からも、市場選択はメンバー全員に大きな影響があると感じ、改めて全社員に意見を募ることにしました。
「助言アプリ」で本部長が把握していなかった、現場の声が聞けた
中森
全社から意見を集めたら、本部長会議とはまた違った意見もあったんでしょうか?
田中
そうですね。本部長会議で議論した際には、「現場メンバーは、どの市場に行くかそこまで気にしていないはず」と話していたんですが、実際そんなことはなくて(笑)
人事や営業のメンバーからは、「世の中的には信用をまだまだ重視する傾向も強く、社外への影響度、従業員のモチベーション、採用、営業活動においてプライムへの移行を希望します」という声が上がって。
事業を展開する上での信用・信頼面からプライム市場への移行を賛成する意見が多く寄せられました。
林
開発メンバーからは「業務上、要件定義書やセキュリティチェックシートの対応を多く行っておりますが、企業情報に関する回答も多く存在し、位置する市場区分により判断されるケースが一定数あると考えます」という意見がありましたね。
顧客と取り引きするときに、東証一部の企業やプライム市場の企業であれば、免除される対応が一定数あるそうで、実務的な影響も大きいことがわかりました。
田中
US(Kintone Corporation)メンバーからも、「グローバル企業への脱皮を図るのであれば、投資的観点から海外投資家の目に触れる環境をつくることも重要」という意見もありました。
USメンバーにとっては、どこの市場にいても影響がないかと思っていたのですが、海外ではサイボウズ自体の認知度が低いことから、プライム市場への所属が信頼につながることがわかりましたね。
林
あと、「『東証一部』というブランドも、内定承諾の要素にありました」という生々しい意見もあって(笑)
チャレンジングな取り組みが多いサイボウズだからこそ、「東証一部」というお墨付きが内定の決め手となったり、親御さん世代の安心につながっていたりすることにも気づけました。
田中
入社4か月目の新入社員から意見があったのも嬉しかったですね。サイボウズでは誰でも経営会議に参加できるのですが、やはり経営陣がいる場で新人が意見するのは勇気がいるもので。
助言アプリであれば、職歴や肩書きに関係なく、より多様な意見が拾いやすいと感じました。
林
常識的に考えればプライム市場一択なのですが、サイボウズではそうした常識よりも、「チームワークあふれる社会を創るという理念にもとづいているか?」を第一に考えます。
今回助言アプリを通していろんな人の意見を知り、あらためてその前提から議論できたことで、自信を持ってプライム市場への移行という意思決定を下せました。
意見を募るなら「説明責任」を果たす。反対意見へのフォローも欠かさない
中森
なるほど。逆にプライム市場への移行に対する反対意見はなかったのでしょうか?
林
少数ですが、ありました。反対意見は「顧客やパートナーから見ると、プライム市場からスタンダード市場への移行はネガティブなイメージがある。様子見をしたいなら、いったんスタンダード市場のほうがいいのでは」というもので。
その意見から「プライム市場と決めたら、そこから移行しないほうがいいのか」と考えることができました。賛否理由のコメントによって考えが深まりましたし、反対意見のメンバーに対してのフォローも取りやすかったですね。
中森
反対意見のメンバーには、具体的にどんなフォローをしたんですか?
林
「反対」、または、「わからない」を選択したメンバーには、疑問点への回答を含めて、今後の対応方針について伝えました。
意見を募る以上、各メンバーへしっかりとフィードバックするのは、担当としての「説明責任」だと思いますので。
田中
知らない間にいろんなことが決まっていたら、「勝手に決められた!」と、不満を抱く人もいるかもしれませんからね。
林
そうそう! 会社の意思決定に対して思うところがあっても、意見する機会や権限がなかったら、やはり納得できないですよね。
一方、意見を言う機会や意見に対するフィードバックなどで社員の意見を尊重していれば、会社としての決断が自分の意見とは異なっていても、納得感は持ってもらえるはず。
前者と後者では、事業や戦略を進めていく推進力が全然違ってくると思うんですよね。
助言プロセスがあれば、「スーパーマン」でなくても、誰もが意思決定ができる
中森
とはいえ意見が多いと、取りまとめるのも難しく、肝心の意思決定をするのは難しくないのでしょうか?
林
意思決定自体の難しさは、助言アプリを使う場合も使わない場合も変わらないかもしれません。助言をもらうことで意思決定の方向性は見極めやすくなる一方、異なる意見だった人へ果たす説明責任の重さは増すので。
ただ、助言アプリを使えば一部の人の知見だけでなく、いろんな人から知見をもらえるので、判断材料が豊富にそろうことになります。
田中
一般的には、経験値のある経営陣の意見が正しいだろうと、なんとなく賛成してしまうと思うんです。「グロース市場がおもしろいというなら、そうなんだろうな」と。
でも、今回たくさんの意見を聞けたことで、それがごく一部の考えであるということもわかりました。その意味では、意思決定者にバイアスがあったとしても、助言プロセスを経れば、公正な判断が下せるんだな、と。
中森
実質的には全社員で、意思決定できるようになりますもんね。
田中
そうです。もっと言えば、助言プロセスを取っていれば、経験の浅いメンバーであっても、意思決定は難しくないとも感じていて。
わたし自身、今回初めてプロジェクトを起案し、メンバーに説明責任を果たせたのは、助言アプリのおかげかな、と。
林
「スーパーマン」のような知見とスキルがある人でも、万能ではないですよね。スーパーマンの一存よりも、広く知見を集めたほうが正しい選択をしやすくなる、ってことですかね。
逆に言えば助言プロセスを取り入れることで、スーパーマンでなくても、誰もが意思決定しやすくなるのかな、と。
誰もが意思決定できれば、役職よりも助言が上手な人に信頼が集まる会社へ
中森
今回の取り組みを通して、組織の意思決定に対する認識が変わったと思うのですが、今後組織の意思決定がどうあるべきだと考えていますか?
林
今は昔に比べて、市場も製品も競合も複雑になってきました。だからこそ、多様なメンバーから広く知見を集めて、チームとして意思決定することが不可欠になっています。
その際、意思決定者には3つの義務があると思っていて。1つ目は、寄せられた意見に対する説明責任をしっかり果たすこと。
2つ目は、全メンバーへ同じレベルの情報を提供すること。情報量に差があれば、対等な議論ができません。そのため、経営会議の資料を共有するなど、情報の透明化もあわせて進める必要があると思います。
3つ目は、全権限をもつ人と異なる意見を言ったとしても、不利益を被らない「心理的安全性」が確保されていること。そうでなければ、権限をもつ人に迎合する意見しか出ない可能性があります。
中森
心理的安全性は最近よく耳にする言葉ですね。どうすれば意思決定の場において、それが確保できるのでしょうか?
林
これは、ニワトリが先か卵が先か理論だと思っていて。まずは社員の助言に対して、権限を持つ人たちが意見を受け止める。そして、それらに対する説明責任を果たしながら意思決定していくと、社員の心理的安全性も確保されていくのかな、と。
田中
一方で、そこでは助言する側も、モラルというか、伝え方をスキルとして身につける必要があると思っていて。
今回の新市場選択に関する助言は、反対意見も含め、配慮のあるコメントが多かったんです。
でも今後、サイボウズでも人数が増えていくと、「言うだけの人」が出てくるかもという懸念もありますよね。
林
うんうん。ちょうどいま、サイボウズは規模が大きくなってきていますからね。
これは強制するものではないですが、「こうしたほうが伝わりやすいよ」といったお作法みたいなものを明示するのもいいかもしれません。
田中
そうですね。そう考えると、今後は役職ではなく、助言やフィードバックが上手な人に信頼が集まるのかもしれません。
適切な助言プロセスのもと、誰もが意思決定できるようになれば、一人ひとりが主体性を発揮し、自律的に行動できるような組織になるのではないかと思います。
企画:鈴木瑛里加(サイボウズ)執筆:中森りほ 撮影:栃久保誠 編集:野阪拓海(ノオト)