長くはたらく、地方で
複業は「新しい働き方」に思えて、地方に住む人からは「昔の働き方」へ回帰しているように見える
サイボウズで複業をしながら、地方中心の働き方をしている竹内義晴が、これからの仕事や人生のあり方を語る「長くはたらく、地方で」。今回のテーマは「地方と複業」について。かつての地方では、複業は決して特別なことではなかった。今、盛り上がっている複業は「昔の働き方」に回帰しているように見える。
複業は、どちらかを「主」、どちらかを「副」と区別する副業とは異なり、すべてを「主」として複数の仕事をする働き方である。私は新潟を軸に、東京にあるサイボウズで複業をしている。
地元の友人の何人かに「今、複業している」と話してみた。しかし、多くの場合「ん?フクギョウ?」という顔をされる。地方では、まだあまり認知されていないようだ。情報が全国に実感として浸透するには、それなりの時間が掛かるものである。
けれども、「複業」という言葉こそ使っていないが、実は、首都圏よりも地方のほうが、複業は馴染み深いのではないかと、個人的には思っている。
なぜなら、地方にはもともと複業の文化があり、多様な働き方をしてきた人が多いからだ。
地方では複業が「これからの働き方」ではなかった
例えば、知人の中にはペンションを経営しながら自然ガイドをしている人もいるし、地域おこし協力隊をしながら農業をしている人もいる。彼らはきっと、複業家である。
また、雪がたくさん降る新潟では、季節によって仕事を変える人も少なくない。例えば、夏、家を建てる仕事をしている友人は、冬、除雪の仕事をしているし、冬、スキーのインストラクターをしている知人は、夏、水道関係の仕事をしている。
これらは同時に複数の仕事を行う、いわゆる「パラレルワーク」ではないかもしれない。けれども「複数の仕事をしている」という意味で、複業の一つの形ではないかと、私は思っている。
また、会社に勤めながら農業を行う「兼業農家」も、明らかに複業だと、私は思う。
例えば、私の父親がそうだ。彼はサラリーマン時代、自動車整備の仕事をしながら、田んぼで米を作ってきた。自宅で消費する以外の米はJAに出荷する。定年を迎えた今もなお、個人事業主となって農機具の修理をしながら、それを続けている。私は彼のことを複業家だと思っている。
ひょっとしたら、かつて、寒く雪が多い地域の農民が、冬、仕事ができないために都市部に働きに出た「出稼ぎ」も、複業の一種と考えることもできるかもしれない。
このように、地方の人にとって複業は特別な働き方ではなかったし、「これから」の「新しい働き方」でもない。むしろ、「今までの働き方」だったのではないか。
人々は「食うため」に複業した
地方の人々が複業をしてきたのはなぜか……。一言で言えば「食うため」だろう。その時々で食うに困らないように、必要なものが得られるように、自分で米を作り、季節によって仕事を変えた。
そう、状況によって柔軟に対応してきたのだ。
近代化が進み、会社勤めが一般的になると、季節によって仕事を変えたり、出稼ぎに行ったりしなくてもよくなった。戦前や終戦直後より世帯収入は上がり、自分では米を作らず、お金を出せば買える時代になった。そして、兼業農家は減少の一途をたどっている。
農林水産省の農家に関する統計によれば、農業所得を主とする「第1種兼業農家」は、平成12年は35.0万戸だったのに対し、平成28年度は18.5万戸、農業所得を従とする「第2種兼業農家」は、平成12年度が156.1万戸だったのに対し、68.2万戸に減少している。
実際、私が住む新潟のある集落でも、かつては多くの家庭が兼業農家だったが、現在、米を作っているのは我が家だけである。以前、春になれば見渡す一面に苗が行儀よく並び、夏になれば風が青い稲を撫で、秋になれば首を垂れた水田は、今は耕作放棄地になり、米どころ新潟でさえ「作るより買ったほうが安い」「大変なことは無理にしなくてもいいんだよ」と言われるようになった。
季節によって仕事を変える働き方や、天候によって左右される農業は「不安定」と言い、多くの人が企業に入ることを目指す。
そして、地方の複業家たちは減り、かつての生産者は消費者になった。
しかし、時代は回帰しつつある
けれども、今まで「安定」と言われていた、特定の一社に所属する働き方は、最近「不安定」と言われつつある。そして、厳しい環境を生き抜く方法のひとつとして複業が注目を集めている。「複数の収入源を確保できる」「幅広いスキルが身に着く」など、「これから」の「新しい」働き方だと人はもてはやす。
しかし、地方に住む私の目には、「昔の働き方」に回帰しているように見える。
確かに、会社という制度の中で、複数の仕事をするのは今までになかったことなのかもしれない。けれども、それは制度の問題であって「働き方」の問題ではない。
「不安定」で「先が見えにくい」と言われるこれからの時代に、私は、かつての、地方の複業家たちが、自分たちの力で「食うため」にやっていたやり方を学べばいいのではないかと思っている。
「食うため」という言い方は、なんとなく夢も希望もないように感じられるかもしれない。けれども、ここはあえて複業に「やりたいことができる」「好きなときに好きな仕事ができる」といったふわっとした言い方や、「収入チャネルが複数持てる」「100年生きるこれからの戦略」といった、インテリジェンスな言い方を、今、私はなぜかしたくない(本当は、そういう言い方も嫌いではないのだけれど、この文脈では)。
なぜか。食うのは、生きるのは、理屈ではないからである。生物が元来持っている欲求なのである(そんな、大げさなぁ)。かつての地方の複業家たちは、その欲求を満たすために働いたのではないか。
その働き方は、今の時代から見れば、確かに「不安定」かもしれないし、「先行きが見えにくい」のかもしれない。
でも、その時々で必要なものを自分の頭で考え、自身で生産している姿が、私にはとても柔軟に見える。「自分の食い扶持は自分で稼ぐ」ではないが、自分の力でなんとかしようとする、その姿や心意気が、とても力強く見える。
もっとも、かつての地方の複業家たちは、そんなに難しいことを考えちゃいなかったのだろうけれど。「なんで、いろんな仕事をしているんですか?」とたずねたら、きっと、「おまんまを食うためにやっているだけさ」と答えるに違いない。
与えられた環境でできることをやる
だからといって、企業に勤める働き方を否定するつもりもない。「安定」も、安心した暮らしをする上で重要な要素であることには間違いない。私には、起業してお金がなかった時代がある。だから、「これからは起業だよ」「会社に所属した働き方なんでダメだよ」なんて、一部のハイパフォーマーが言うような煽り方はしたくない。お金は大事である。
一方で、いわゆる、「守られた」環境にいるだけではなく、「自分で」何かを創っていくということも、これからは大切なのではないかなぁ。
例えば、いきなり複業はできなくても、社会の課題を解決しようとしているNPOなどのコミュニティに参加することなら、今すぐにでもできる。
例えば、首都圏に住んで兼業農家をすることはできないかもしれないけれど、プランターでちょっとした野菜を作ることならできる。地方に住んでいたらおばあちゃんの畑を少し間借りして、野菜を作ってもいい。
それらは、決して複業ではないかもしれないし、自分の食い扶持を自分で稼いでいることにはならないかもしれない。けれども、企業に属していようがいまいが、複業をしていようがいまいがに関係なく、単にお金を出して消費するだけではなく、まずは、ほんのわずかなことでもいいから「自分の食い扶持は自分でコントロールする」「生産者になる」という意識を持つことから始めるのがいいのではないか。それなら、今すぐにでもできるのではないか。
かつての地方の複業家たちは、そんな生き様を教えてくれているような気がしてならないのだ。
イラスト:マツナガエイコ
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執筆
竹内 義晴
サイボウズ式編集部員。マーケティング本部 ブランディング部/ソーシャルデザインラボ所属。新潟でNPO法人しごとのみらいを経営しながらサイボウズで複業しています。
撮影・イラスト
松永 映子
イラストレーター、Webデザイナー。サイボウズ式ブロガーズコラム/長くはたらく、地方で(一部)挿絵担当。登山大好き。記事やコンテンツに合うイラストを提案していくスタイルが得意。