そのがんばりは、何のため?
グズだからと否定せず、ダメな私さえも肯定したら「自分の物語」を生きられた話
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」。高円寺の銭湯・小杉湯の番頭兼イラストレーターの塩谷歩波さんが見つけた「自分を否定する頑張りから、肯定する頑張りへの変化」を執筆いただきました。
頑張ることが特技だった。
小学生のころ、猫背だったわたしは頑張って姿勢を治した。毎日姿勢に気を使って、背中が曲がっていたらしゃんとさせることを頑張ってコツコツ続けた結果、姿勢はすっかり変わった。それを見た父は「意志を持って頑張り続けるのはすごいことだ」と言ってくれた。その言葉がとても嬉しくて、わたしは頑張ることが上手なんだなと得意げに思った。
だから、今までどんな逆境にも負けず頑張った。中学受験も、推薦入試も、大学の勉強も、就職も、頑張って、うまくいかない時も歯を食いしばって頑張った。死にもの狂いで頑張り続けた結果、就職して1年半の時に大きく体を壊してしまった。
わたしは人より劣っているから、何倍も頑張らないと人並みにはなれない
院生として建築学科を卒業した後、都内の設計事務所に就職した。そのころはとにかく頑張ることにこだわっていた。学生時代、建築学科の成績はあまり良いものとはいえなかったからだ。
建築学科ではさまざまな設計課題が課される。成績優秀者はその課題を教授にプレゼンすることができて、それが建築学科の花形的存在だった。でも、そこで発表できるのは1学年200人中、わずか20人のみ。
建築家を目指しているわたしにとって、その1人に入ることが何よりの栄誉だったが、なかなか入ることができない。著名な建築家の設計事例を探したり、寝ずにアイデアを練ったり、先輩にアドバイスをもらっても、発表できる機会はわずかしか得られなかった。
20人に入れなかったという事実。それはやがて大きなコンプレックスになり「わたしは人より劣っているから、人の何倍も頑張らないと人並みにはなれない。もっともっと頑張らないと、あの20人にはずっと追いつけない」と思うようになった。だからこそ、設計事務所に入ってからはがむしゃらに仕事にかじりついた。
先輩の指示は迅速かつ完璧に。打ち合わせの議事録は取り漏らしがなく。デザインもよりよく、完璧なものを追求しないと。定時を過ぎても仕事が終わらない時は「要領が悪いわたしのせいだ」と自分を叱って夜中まで仕事をし、ミスをしてしまった時は先輩が叱る以上に自分を罵り自分のグズさを心から呪った。
「仕事ができないのも、ミスをするのもわたしのせいだ。わたしはダメだから、もっともっと頑張らないと。頑張ることだけはわたしの特技なのだから」
睡眠時間を削り、食事の時間を削り、食べるものもチョコレートバーで間に合わせ、仕事に打ち込む日々を送っていた。そうして就職して1年半が経とうという時に、大きく体を壊した。
最初はめまい。歩いている途中に沼にハマったような突然のめまいを何度も感じるようになった。次は、キーーンという耳鳴り。その次は貧血のようなクラクラした感覚。その次は倦怠感。
次から次へと現れてくる体調の悪さに、病院を訪れるも症状はわからないまま。体調不良を引きずりながらだからミスも増え、自分を責め立て、さらに頑張らないとと追い込み……。悪循環がずっと続いていた。
ある日、目を覚ますと体が鉛のように重かった。しっかり寝たはずなのに、全然疲れが取れていない。それでも仕事があるから、高い栄養ドリンクを流し込み、重い体を引きずって駅からの坂道をゆっくり登る。いつもは悠々歩いている道が今は重くて苦しくて仕方がない。
いつもよりもずっと時間をかけて会社にたどり着くと、会社の人たちが驚いた顔でわたしの顔を見た。「塩谷さんの顔、真っ白だよ」。鏡を見ると、血の気が引いたような顔色。すごく気持ち悪かった。自分の顔とはとても思えない。
もう体が限界だとこのときやっと自覚して、別の病院に行ったところ、医者からもっと長い時間休みなさいといわれ、3ヶ月の休職を余儀なくされてしまった。
「今まで自分を培ってきた芯がなくなってしまった」。頑張り続けても、報われない
まったく打ちのめされてしまった。頑張ることだけが特技だったのに、現実はどうだ。頑張っても、まったく報われず、とうとう体を壊してしまった。結局、ダメなやつは何をやってもダメ。わたしがいままでやってきたことはなんだったんだろう。
だるくて起きることすらできないわたしは、実家で眠り続けていた。眠りながら、空っぽになった気持ちを茫然と感じていた。
頑張り続けて体を壊したことに対してショックだったが、何より、何もなくなってしまったという虚無感のような気持ちの方が大きかった。今まで自分を培ってきた芯がなくなってしまった。さらに言えば、金もないし、彼氏もいないし、そして職もない。もう何もないなら、生きるのをやめてしまってもいいかもしれない。そんな風に思う時もあった。
体のだるさと、虚無感にさいなまれる日々の中、休職にまつわるSNSの投稿を見た友人から連絡をもらった。サークルで同期だった彼女、そしてサークルの先輩も同じように休職しているそうだ。同じように休職しているなら、休職同士で一度話でもしようよ。そんな風に、中目黒にある焼肉店にフラっと集まった。
「休職してからどう?」
「休職になった時は、休めるって嬉しかったけど、休職している負い目を感じていて、、」
「そうだよね。なんかどこかにいくのも罪悪感があるし、辛い。。」
心なしか表情に影を落としているのはわたしだけではなかった。元気そうに見えているけれど、みな休職という後ろめたさを引きずっている。でも、こうやって話して共有することで、その後ろめたさを隠さなくてもいいという柔らかな安堵感を感じていた。
「最近といえば、俺銭湯にハマってて」
先輩が見せてくれたのが、ライターのヨッピーさんが書いた銭湯にまつわる記事だった。たまたま、わたしもその記事をネットで見かけていたので感激した。
「わたしも気になってて。交互浴、すごい良さそうですよね」
「じゃあ、近くに銭湯あるし行ってみようよ」
話はとんとん拍子に進み、焼肉臭い服のまま、ぞろぞろと中目黒の光明泉へ向かった。光明泉は、わたしの銭湯のイメージとは真逆の存在だった。わたしが最後に行ったのは、大学の近くにある昔ながらの銭湯。そこはお世辞にもきれいとはいえず、なぜか照明も暗く閑散としていて、あまり好感を持てなかった。光明泉はその真逆。モダンなデザインで、人が多く、昼の光がサンサンと入り、湯面がキラキラ輝いていた。
おそるおそる、湯に足をつけ、一気に体を沈める。体をふわっと包む柔らかなお湯、熱のこもった石鹸の清潔な香り、心地よく柔らかな白い光。
「あぁ〜〜〜〜」
思わず腹の底から声が抜け出てしまった。湯に浸かり、体の力が「ふっ」と抜けたとき。今まで背中も肩もカチコチに固まっていたことに気づいた。こんなに全身の力が抜けるほど心地よいと思えるのはいつぶりだろう。こんな感覚、本当に久しぶりだった。
その瞬間、ふと許されたような気持ちになった。今のままの自分でいいような、よくわからないけど、安心できる感覚だった。
浴室を後にして、待合室で待っていた先輩と顔を合わせる。気持ちよかったですね、と、ふにゃふにゃになって笑ってしまった。わたし、こんな風に笑えたんだな。
初めて「頑張る必要がない」と思えた。それが銭湯だった
それからはもう銭湯に夢中になった。
ワンコイン以内、体力を使わずに済む、医者にも入浴を進められているから罪悪感を感じない、など休職中の自分にとって銭湯はとても行きやすい場所だった。それに何より、銭湯にいると、今のままでもいいと思えるからだ。
その当時、同じ年代の人がいっぱいいるところが怖かった。生き生きとしている同世代がみんなまぶしく見えて、立ち止まっている自分が不合格だと言われているような気がして、逃げ出したくなる。
でも、銭湯は年上ばっかり。それどころかおばあちゃんばかりだ。それにみんな裸で、どんな身分の人なのか、どんな職業の人なのかまったくわからない。誰かと自分を比べ続けていたけど、銭湯という場所では自分を誰かと比べようもない。
人より劣っているから頑張らないといけないと思い続けてきたわたしが、初めて「頑張る必要がない」と思えたのが、銭湯だった。だから、光明泉に入った時、許されたと思ったのだ。頑張っても報われないわたしでも、いいんだと。
やがて、銭湯への想いが募り、その情熱を絵に描いてSNSにあげるようになった。すると知らない人からもたくさんいいねをもらう内、絵を描く楽しさに気づき、何枚も何枚も描くようになった。
そんなとき「うちのパンフレットを書いてよ」と声をかけてくれたのが高円寺にある銭湯 小杉湯だった。
小杉湯はヨッピーさんの記事でも取り上げられていた憧れの銭湯。すぐさま打ち合わせに向かったところ、小杉湯三代目の平松佑介さんと意気投合し、最初は打ち合わせでだけのはずだったが、パンフレットにとどまらず小杉湯のこと、銭湯のこと、銭湯の意義とは? という深い話をする仲になっていった。
それから小杉湯に何度も通うようになり、体もどんどん回復したので、休職して3ヶ月後に設計事務所に復職した。時間を短縮して始めたが、思った以上に体が動かず、以前は2時間でできたものが1日かけても終わらなかった。数日続けてみても、体の調子はちっとも好転しない。やがて、この職場だけでなく建築業界自体働くことが難しいと思い始め、それを平松さんに相談したところ「じゃあ、うちで働かない?」と誘われた。
最初は悩んだ。これまで建築で頑張ってきたことを無駄にしたくなかった。建築業界で働くことは難しくても、それにつながる業界なら今までの頑張りは無駄にならないかも。でも、銭湯で働いたら、その頑張りはどこかにいってしまうだろう。自分が必死に積み重ねてきた石を自分で踏みにじるような恐ろしさに、思わず二の足を踏んでしまう。
でも、それでも、心から銭湯が好きだった。そして絵を描く楽しさにもう気づいてしまった。
「うちだったら体を治しながら働けるよ。それに、塩谷ちゃんは、自分の物語を歩んで欲しい」
そう続けた平松さんの言葉に、はっと気づかされるものがあった。
自分の物語。わたしは、ずっと自分じゃない誰かの物語を生きていたんじゃないか。わたしはダメだから、わたしはグズだから、そうやって頑張ることが美徳と信じていた。じゃあ、「わたし」を否定したその人生は、誰の物語だろう。わたしは、わたしじゃない何かになるための物語を生きていた。
わたしの「自分の物語」は、銭湯が好きで、絵を描くことが好き、という気持ちを大切にすることが、わたしのための物語じゃないか。
そう気づいた時に、わたしの物語を生きることを決めた。もしかしたら、その生き方は今までよりずっと辛いものになるかもしれない。失敗するかもしれない。収入もずっと減るかもしれない。でもその失敗すら、わたしの物語ならば、受け止めて生きていけると思ったのだ。
自分を否定した頑張りから、自分を肯定した頑張りへ
その決断をしてから、わたしはもうずいぶんと頑張っていない。
頑張っていないといっても、無理難題の絵を描く時や、大きいプロジェクトを前にした時、何か大きな決断をする時は頑張る。でもそれは、以前の頑張りとはまったく違う。
以前のわたしは、わたしがダメだから、グズだから、頑張らないといけないという頑張りだった。それは自分を否定する頑張りだ。
でも今は、わたしを肯定した上で頑張っている。それは何も「今のわたしのすべてが最高!!!」という強い自信があるからではない。ダメなところももちろんある。ただ、そのダメさすらも肯定した上で頑張っているのだ。
わたしは体力がないし、コミュニケーションもそんなにうまくないし、人が多いところだとカチカチになってしまうし、突然変わったことがあるとパニックを起こして動かなくなってしまうことがある。
以前だったら、そのダメな部分を頑張って必死に解消しようと躍起になっていたと思う。今は、そんな欠点もよしとしている。目をつむっているわけではない。欠点があるということを理解した上で、何ができるかを考え、努力しているのだ。
自分を否定した頑張りは自分を追い込むだけだ。それは際限がない。たとえ、その欠点を解消できたとしても、また新しい欠点を探し始める。一度作られてしまった思考方法を変えることはなかなか難しい。
だからこそ、自分を否定した頑張りではなく、自分を肯定した頑張りが必要なのだ。
少なくとも、わたしはその頑張りの質を変えてからずいぶん息がしやすくなった。自分を否定するばかりの頑張りは、常に頑張っていないといけないし、何かが起きるとまっすぐに自分を攻撃していたので、ただただ苦しかった。その結果、体が先に壊れて、頑張れなくなってしまった。
肯定する頑張りになってからは、精神的にも良い環境になったし、事態をさらに前に進めることになるから気持ちがいい。頑張れば頑張るほど、自分の身になっている感覚があるから、さらに頑張ることができるのだ。
自分を否定する頑張りから、自分を肯定する頑張りへ。銭湯という「頑張らなくていい場所」に出会い、小杉湯にきて自分の物語を生きるようになってから、”頑張り”に対する考えは大きく変わった。これはいわば、自分の声をしっかり聞くようになるということだと思う。
頑張っている時、自分の声が聞こえなくなることがしばしばある。筋トレのように「もう休みたい!」というだらけた声を無視しないといけない場合もあるが、自分の声を聞かずに無理やり頑張ることは、自分の首を閉め、ともすれば体を壊しかねない。
あなたのその頑張りは、自分の声を聞いているだろうか。自分を大切にしているだろうか。一度立ち止まって、あなたの”頑張り”を考えてみるのもいいのかもしれない。サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」
一生懸命がんばることは、ほめられることであっても、責められることではありません。一方で、「報われない努力」があることも事実です。むしろ、「努力しないといけない」という使命感や世間の空気、社内の圧力によって、がんばりすぎている人も多いのではないでしょうか。カイシャや組織で頑張りすぎてしまうあなたへ、一度立ち止まって考えてみませんか。
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執筆
塩谷 歩波
高円寺の銭湯・小杉湯の番頭兼イラストレーター。休職中に通い始めた銭湯に救われ、銭湯のイラスト「銭湯図解」をSNS上で発表。2019年には書籍「銭湯図解」を中央公論新社より刊行。